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円盤の形の音楽|その名はリチャード・ファレル|佐藤馨

その名はリチャード・ファレル

Text by 佐藤馨(Kaoru Sato)

Richard Farrell: the complete recordings vol.2
〈曲目〉        →foreign language
CD1
ラフマニノフ
[1] コレルリの主題による変奏曲 Op.42
[2] 前奏曲嬰ハ短調 Op.3-2
[3] 前奏曲ニ長調 Op.23-4
[4] 前奏曲ト短調 Op.23-5
[5] 前奏曲変ホ長調 Op.23-6
[6] 前奏曲ト短調 Op.32-5
[7] 前奏曲嬰ト短調 Op.32-12
ショパン
[8] スケルツォ第1番ロ短調 Op.20
[9] マズルカ第10番変ロ長調 Op.17-1
[10] マズルカ第41番嬰ハ短調 Op.63-3
[11] 練習曲ホ長調 Op.10-3
[12] 練習曲嬰ハ短調 Op.10-4
[13] 練習曲変ト長調 Op.10-5「黒鍵」
[14] 練習曲変イ長調 Op.10-10
[15] 練習曲イ短調 Op.25-11「木枯らし」
[16] 夜想曲第4番ヘ長調 Op.15-1.
[17] ワルツ第14番ホ短調 Op. posth.
[18] ポロネーズ変イ長調 Op.53「英雄」

CD2
ブラームス
[1] ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ Op.24
[2]-[5] 4つの小品 Op.119
[6] 狂詩曲ト短調 Op.79-2
リスト
[7] リゴレット・パラフレーズ(ヴェルディ=リスト)
[8] 献呈(シューマン=リスト)
[9] 酒宴(ショパン=リスト)

[10] シューマン:アラベスクOp.18
[11] メンデルスゾーン:デュエット 変ホ長調 Op.38-6
[12] ドビュッシー:月の光
[13] グラナドス:嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす

リチャード・ファレル(ピアノ)

〈録音〉1956-8年

 

動画サイトやストリーミングサービスがユーザーに提示してくる、いわゆる「おすすめ」に懐疑的あるいは否定的な意見を持っている人はいまだに多くいる。ユーザーの好みを把握してコンテンツをおすすめしてくれるのは娯楽として便利な一方で、思わぬ方向に自分の嗜好を開拓していく冒険心を忘れさせる。YouTubeのホーム画面が、まさに自分の気に入りそうな動画で満たされている光景は、ふと我に返ると閉塞感を与えるものでもあって、出口のない遊園地に放り込まれている感覚になる。やはり私たちには変化を求める心がいくらかあって、それを能動的に遂行する喜びもまだまだあるのだ。
とはいえ、自分の視聴傾向を分析しているだけあって、そうしておすすめされたコンテンツにはなかなか興味を引くものもあるし、大抵がその場限りの面白さに留まる一方で、不意打ちのように琴線に触れてくるものも存在する。だいぶ他力本願なディグではあるが、こうしたおすすめを通して知り得たかけがえのない演奏もある。個人的に忘れられないのが、リチャード・ファレルとの出会いだ。YouTubeのおすすめとしてしつこく目に入ってくる動画があって、しばらくは無視していたのだが、「そんなに推してくるのなら聴いてやろう」と再生したのが、ファレルが演奏するブラームスの間奏曲Op.119-1であった。
私の感動体験はどれも似たようなパターンだが、この時も、ほんの数小節で惹き込まれてしまった。こちらが狼狽えるほどの演奏に相対するとは思ってもみず、心の準備もないまま聴いてしまったから、余計に鳥肌が立った。心が震える瞬間は、呼吸も覚束ないものである。あのまま動画を無視していたら、この録音は無数のコンテンツが渦巻くインターネットの海の深くにいつの間にか消え去っていたかも知れず、ピアニストの名前も知らないまま私はのうのうと過ごしていたかもしれないと思うと、こんなに恐ろしい話はない。
リチャード・ファレルはニュージーランドのピアニストで、1926年に生まれ、1958年に31歳の若さで自動車事故により命を落とした。夭折のピアニストという点でウィリアム・カペルの名前がちらりと思い浮かびそうだが、実際に二人は仲の良い知り合いだったらしく、ファレルがジュリアード音楽院で学ぼうという際にカペルは師のオルガ・サマロフを紹介しただけでなく、奨学金を得られるように手助けしたという。若くしてコンサートピアニストとしてのキャリアを築いた後に室内楽への関心を強め、自らピアノ四重奏団を結成したり、パブロ・カザルスなどの巨匠と共演したりという経歴も、カペルのたどった道筋にどことなく似ている。
では、演奏自体はどうかといえば、私には両者が演奏で似通っているとは思えない。例えば、カペルに備わっているあの雷神のような剛腕や力強さが、ファレルには欠けているように感じられる。むしろ両者の演奏を聴いてみると、安定したテクニックとヴィルトゥオジティの間にある、決定的な差を痛感させられる思いがする。しかしこの欠如はファレルに限って言えば些細な問題で、最も胸をざわめかせる彼の美点は、ヴィルトゥオーゾ的な強靭さとは全く別の次元に位置している。それはファレルが奏でる儚さの音だ。静謐ながら煌めくような音の美しさはカペルのものだが、ファレルの音は枯れて散り落ちていく侘びしさの美である。
彼の弾いたOp.119-1には落葉という言葉がぴったりくる。曲そのものが持っている寂寥感がよりいっそう濃度を増し、ブラームス自身が望んだように、全ての音がリタルダンドするかのように響いてくる。色めき立つこともあれば、空虚さが押し寄せることもあって、しかし一切は儚い一瞬のうちに向こう側へ消え去っていく。ファレルの音を聴いていると、発音された途端に減衰していくというピアノの避けられない運命がよく思い起こされるようだ。メロディーはレガートで紡がれているようでいて、よく聴いていると、それぞれの音が一人ぼっちで繋ぎ止められないようにも響いてくる。鳴ったその瞬間から消失に向かって音が飛び立っていく、この88鍵に宿命づけられた儚さを、この随一の演奏家はよくわきまえている。ピアニストに対峙する際、大抵は鳴っている音を我々は聴いてしまうものだが、ファレルの場合には、音が消えていく様に聴き惚れ、消えていく先に吸い込まれるような感覚に陥ることになる。彼もまた命をすり減らしてこの境地へと至ったのだろうか。
早世ゆえに録音も少なく、そのわずかな遺産も入手困難だったが、ありがたいことに10年ほど前からニュージーランドのAtollレーベルが録音全集と銘打って復刻を果たし、現在はvol.3までリリースされた。しかし、これらも今や入手が難しく、私としてはせめてこの文章を読んだ人がリチャード・ファレルという存在に耳を傾けてくれるよう願うばかりなのである。

(2022/12/15)

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Richard Farrell: the complete recordings vol.2
〈Tracklist〉
CD1
Rachmaninov
[1] Variations on a Theme of Corelli Op.42
[2] Prelude in C-sharp Minor Op.3-2
[3] Prelude in D Major Op.23-4
[4] Prelude in G minor Op.23-5
[5] Prelude in E-flat Major Op.23-6
[6] Prelude in G Major Op.32-5
[7] Prelude in G-sharp Minor Op.32-12
Chopin
[8] Scherzo No.1 in B Minor Op.20
[9] Mazurka No.10 in B-flat Op.17-1
[10] Mazurka No.41 in C-sharp Minor Op.63-3
[11] Etude in E Major Op.10-3
[12] Etude in C-sharp Minor Op.10-4
[13] Etude in G-flat Major Op.10-5 “Black Key”
[14] Etude in A-flat Major Op.10-10
[15] Etude in A Minor Op.25-11 “Winter Wind”
[16] Nocturne No.4 in F Op.15-1
[17] Waltz No.14 in E Minor Op. posth.
[18] Polonaise in A-flat Op.53 “Heroic”

CD2
Brahms
[1] Variations and Fugue on a Theme by Handel Op.24
[2]-[5] Four Piano Pieces Op.119
[6] Rhapsody in G Minor Op.79-2
Liszt
[7] Rigoletto Paraphrase (Verdi-Liszt)
[8] Liebeslied /Widmung (Devotion) (Schumann-Liszt)
[9] Hulanka (Drinking Song) (Chopin-Liszt)

[10] Schumann : Arabeske Op.18
[11] Mendelssohn : Duetto in E-flat Op.38-6 (from “Songs Without Words”)
[12] Debussy : Clair de lune (from “Suite Bergamasque”)
[13] Granados : Quejas O La Maja Y El Ruisenor (“The Maiden and the Nightingale” – from Goyescas)

Richard Farrell, piano

〈Recording〉1956-8
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佐藤馨(Kaoru Sato)
浜松出身。京都大学文学部哲学専修卒業。現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室に在籍、博士後期課程1年。学部時代はV.ジャンケレヴィッチ、修士ではCh.ケクランを研究。博士では20世紀前半のフランスにおける音と映画について勉強中。敬愛するピアニストは、ディヌ・リパッティ、ウィリアム・カペル、グレン・グールド。