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三つ目の日記(2022年10月)| 言水ヘリオ

三つ目の日記(2022年10月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

中学生のころ、冬休みの自由課題で星の観察を行った。どの星であったかの記憶はないが、オリオン座とその周りだったのではないかと思う。毎日夜8時とか9時とかの時間を決めて、住んでいる建物の非常階段から空を眺め、星を点としてその位置を紙に記していた。それだけのものだったので、毎日の観察結果がほとんど同じで、これはなんだろうと自分で思っていた。目視では感知できない星の変化をとらえたというより、記す際の誤差が記録されたにすぎなかったであろう。星を見ているときの夜の大気のつめたさをいまでも思い出すことができる。

 

2022年10月6日(木)
長袖のシャツを着て外出する。急に寒くなった、という会話をあちこちでかわす。雨が降っている。
数多くの作品が並ぶ会場。まだ3点くらいしか見ていないが、その場の流れで、作品とは少し距離のある場所に座ることになる。事前にSNSで写真を見た際には、ばらばらと作品が置かれているような印象を受けていた。現場で眺めるとそうではなく、たとえば一方向に向きを揃えたりはしていないのに、むしろそれぞれが必然の場にあるように感じられ、自然と星々の配置を思い浮かべていた。立体が同じ高さの台座に置かれていることで、会場の空間に水平に広がる平面が張られている。座ってその面の下に浸ったまま空間を眺める時間。
席を離れ、個々の作品に近づいて観察する。素材は白い紙粘土。表面は蜜蝋で薄く覆われているらしい。しっとりとした感触が目から伝わる。手の、指の跡が見られる。何のかたちかというようなことを考えず、あるものをそのままうけとめたい。作品タイトルは「ヨル」「沼」「旅」「ワケイッテモ」となっており、末尾に番号が振られている。「沼」の数点にはどこか凹みがあるという共通点があるようにも思えたが定かではない。どれも、底面と想定され造形されたと思われる部分が底になり台に接している。ひとつだけ黒い作品があり、それは黒鉛を混ぜた蝋でできているとのことであった。台の上の13点の立体。壁には「月」「道行」というタイトルの平面作品が6点展示されていた。

 

 

山崎豊三展
ギャラリー川船
2022年9月26日〜10月8日
https://kawafune.com/2022/09/26/20220926山崎豊三展/
●展示風景(上)
●沼4 2018年 紙粘土・蜜蝋 H110×W165×D110mm/道行2 2022年 銅版画 ed.5 98×137mm/沼5 2019年 紙粘土・蜜蝋 H120×W130×D130mm/沼3 2018年 紙粘土・蜜蝋 H115×W155×D120mm(下、左から)

 

同日
展示を見終えて日比谷駅方面へ向かう。途中で東京交通会館の中の「むらからまちから館」に寄る。しょうゆを買うつもりであったが、店がなくなっていた。帰宅後確かめると6月19日に閉館したとのこと。衝撃を受ける。しょうゆ、みそ、その他保存食、お菓子など、各地の食品が並んでいる夢のようなところだった。

 

10月20日(木)
ギャラリーの展示室入口。ドアが閉まっている。ひとりずつそれを開け閉めして中に入ることになっているようであった。その場合、開けること、閉めることが、見る態度と連なっているだろう。室内、正面奥に、黒い祠のようなものがある。黒く塗られているのではなく、焼けて炭になっているように見える。その手前の床に、厚みのあるアルミの箱状のものが畳のように組み合わされて設置されている。4つの正方形と、正方形をふたつ繋げたサイズの長方形が8つ。一部に隙間がある。アルミの面を、上方から1灯のスポットライトが照らす。作品のまわりを移動すると、アルミの表面の、円運動を移動していくことでこすられついたと思われる無数の浅い痕がきらめく。そこに、揺れるさざなみや、雲海を眺めたりするように、定まらない焦点の視線を浮遊させる奥行きを感じる。そして祠の部分かと思われる炭の小片が散っているのは、超越的な存在の意志がそこにそれを放ったかのようである。祠に近づいて観察する。設置されているアルミと同じものかどうかわからなかったが、同様の金属の台に載っている。まわりの床に粉状の炭が落ちているのは、祠が震えた結果の痕跡のように思える。四方に出入口はない。
展示室入口近くの壁には、展示作品を図として抽象化したような作品。この空間に入ってから、何度か目にした作品ではあったが、退室直前に初めて、そのなかに自分が映っていることに気づく。鏡になっていたのである。ドアを開け、外に出てドアを閉める。数秒、壁に貼られた展示に関する掲示物に目をやりぼおっと立っていたような気がする。書かれている内容を読むためというより、内面へと向いていた視線を外へと向かわせるための取っ手として文字がそこにあった。背後から作者の声がして振り向く。

 

 

前原ヨシノブ展「はじまりの特異点」
ギャルリー東京ユマニテbis
2022年10月17日〜10月22日
https://g-tokyohumanite.com/exhibitions/2022/1017bis.html
●はじまりの特異点 木・アルミ

 

10月22日(土)
展示に出かけるため電車に乗る。しばらくして、座席の向かい側からインコのさえずりが聞こえてくる。姿は見えない。そのそばに座っているやけに派手なオレンジ色のズボンを履いた人が目に入る。下車する際、なにか入った大きな袋を足元に置いている人がいてそのなかを気にしている様子だった。インコはおそらくその袋のなかにいるのだろう。乗り換えて目的の駅で降りる。改札を出ると、人が立ってこちらを向いており、鮮やかな色彩の大型のインコを左肩に乗せてバナナを食べさせている。帰り道、自宅の最寄駅への電車に乗車して三人掛けの席につくと、行きの電車で見かけたオレンジ色のズボンを履いた人が端に座っていた。偶然が重なる。こまごまとした食品、花などを買って帰宅する。パソコンの電源をオンにする。

 

10月25日(火)
渋谷のユーロスペースで、ストローブ゠ユイレの『セザンヌ』を見る。絵についやされた時間、映画についやされた時間にくらべて、この映画を見ることにあてられた時間は極端に短く、代わりに、なんども見ることが自分には必要のように思われた。映画の音声とその日本語訳字幕のことばが、あたまのなかの網目に引っかかったまま未整理で放置されている。ジョワシャン・ガスケという人の著書『セザンヌ』に、それらのことばが収録されているらしい。

 

10月31日(月)
何軒かの書店で探して在庫のなかった『セザンヌ』(ガスケ著、與謝野文子訳、岩波文庫)を注文する。この本を読んで、見る、ということについて考えることができるだろうか。展示の作品を見ているとき、見えていないと思うことがたびたびある。

(2022/11/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。