Menu

Pick Up (2022/11/15)|マリオ・ブルネロのバッハ無伴奏リサイタル|丘山万里子

マリオ・ブルネロのバッハ無伴奏リサイタル

Text by 丘山万里子( Mariko Okayama)
Photos by 堀田力丸/写真提供:紀尾井ホール

>>>Italian

世界最高峰のチェリスト、ブルネロのバッハ無伴奏作品全12曲、チェロとチェロ・ピッコロでの2日間の公演第1夜を聴く。チェロ組曲3曲にチェロ・ピッコロでのヴァイオリン・パルティータ3曲の組み合わせ、2回の休憩を挟みそれぞれ2曲ずつ、3時間の長丁場だ。
帰路、四谷の土手を歩きながら、人の目指す「高み」というのは果てしなく無限である、と気の遠くなるような思いを抱いた。
弓月が冴え冴え美しい夜。
何を仰ぎ見て、生きるか。
人は有限の心身の中に広大無辺の宇宙を宿す。
そういうところに立つひとの、くったくなきひろやかと、峻厳な孤高。
彼に導かれ、私たちは感じる。
いと高く、いと遥かに、人は翔べる、と。

もちろん、チェロ組曲3曲も素晴らしかった。
が、チェロ・ピッコロでのヴァイオリン・パルティータ『第2番』シャコンヌは、別次元のものだった。

チェロ・ピッコロというのはその名の通りチェロより小ぶりで、17~18世紀には頻繁に弾かれたものの、やがて忘れられた楽器。ブルネロは友人の楽器製作者フィリッポ・ファセルがアマティをモデルに作ったこの楽器で無伴奏ヴァイオリン曲を弾き、バッハの新たな世界、月の裏側に隠された至宝に目覚めたという。
両手に華、みたいにそれぞれの楽器を持ってステージに現れたブルネロは、なんだか嬉しそう。新しい玩具を手にした子供のようで、日本でのお披露目にわくわくしている感じだ。
チェロ・ピッコロは遠目にはやや小さいかな、くらい。アマティは5弦だがブルネロの希望で4弦、ヴァイオリンの一オクターブ下に調弦されている。2017作というからある意味、冒険だ。特に、ブランドや年代物にこだわる日本人には。
ブルネロほどになれば、どうでもいいこと。いや、同時代者の作だからこその楽しさがあったろう。作曲家と演奏家が互いに話し合いつつ一つの創作を成就するのは昔からある話だが、楽器となると新奇の目で見られることが多い。
だが、時代というのはいつでも、旺盛な好奇心と怖れを知らぬ無謀さと遊び心を備えた人々が拓いてゆくものだ。

そのチェロ・ピッコロでのシャコンヌ。
シャコンヌは数多聴けどもこれほど深く、これほど壮大、これほど壮絶な音宇宙は見たことがない。名作というのは、どんな道でもその登攀を可能にするのだ。
何より響き。ヴァイオリンとは異なり、チェロとも異なる、えぐりの深さ。深さというより、鋭さ、だろうか。高音のぴんと張り詰めた響き、低音の少しひなびた響き(何かいろいろな色が混ざっていて、その色同士がさわさわと擦れ合う感じ)がそんな印象を与える、と言ったらいいか。
冒頭テーマの力強いボウイングから響き立ってくるのはどこか野性味を帯びた色合いで、まずそのことに衝撃を受ける。一本一本の弦が合わさるとこんな響きになるのか、と。これまで何気なく聴いていた音や声の重なり、唸りがいちいち鮮明な形をとりつつ、一つの大きな風景が描かれてゆくみたい。近景と遠景が同時に見えるのだ。和声って、そういうものだったんだ。
すっと息を潜めてのささやきになったり、時々こちらの心を刺してきたり、撫でてくれたりと、音とともに流れてゆくのに一ところにじっと佇んでいるような二重感覚。
軽やかに弾んでゆくのにずっしりと全重量をかけられるようであったり。
全ては背反を含み、だからこそ人生は、世界は美しい、とでも?
約30の変奏に通底するオスティナート・バスとそれを彩る、あるいは縁取る、あるいは綾なす全ての音の動きが、これほどに立体的に迫ってくるのを筆者は知らない。
それはこの楽器の特性(独特の声質)、あるいはこの楽器を奏でている奏者の特性、あるいはこの楽器そのものとなっている音楽の化身、つまり楽器には魂がある、と筆者は思った。
何度、絶息したか知れない。中盤での明るい星光が差し込んでくるようなところでやっとのこと蘇生したように大きく息を吸い、それからまたやってくるバスの低音に突き動かされ....。
ブルネロは瞑目するようであり、ほとんど楽器をかき抱き狂乱するようであり、けれども常に神々しい。
終盤、弱奏での静寂なモノローグから再びの小さな登攀、最後のテーマの降臨のち、全てがブラックホール、宇宙の始原に吸い込まれ、長い長い沈黙。
人は楽器一台で奇跡を起こす。

バッハはやはりとんでもない人だったと思う。
他の組曲、パルティータのそこここに、その時代の前衛(現代にまでつながる)たるバッハが居た。
それもブルネロのセンスだろう。

筆者が初めてこの人を聴いたのは、1998年12月、この紀尾井ホールだった。当時人気のヨーヨー・マが性能の良いスポーツカーでメディア間を飛び回る現代文明人なら、ブルネロは先祖伝来の音の土地を耕すクラシカルな文化のひと、と書いた。
変わらず、彼は土を耕す。革新の鍬をもって。そして何より音楽を信じて。

会場で多くのチェリスト、演奏家を見かけた。
こういう公演は、実は少ない。
2つの楽器を手放さず、カーテンコールに往復するブルネロに、彼らが何を受け取ったか。
挑むこと、遊ぶこと、信じること。
彼らのこれからにも、耳を澄ませたい。

(2022/11/15)

―――――――――――――――
マリオ・ブルネロのバッハ無伴奏リサイタル
2022年10月28日 紀尾井ホール
<曲目>
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011
〜〜〜〜〜
バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
〜〜〜〜〜
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012