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ペデルツォーリの音楽劇~祝典音楽劇「音楽・絵画・詩」を中心に~|大河内文恵

ペデルツォーリの音楽劇~祝典音楽劇「音楽・絵画・詩」を中心に~
Pederzuoli: “Musica, Pittura e Poesia” and Works by his contemporaries
2022年10月10日 日本福音ルーテル東京教会
2022/10/10 Tokyo Lutheran Church

Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by Atsuko Ito (Studio LASP)/写真提供:il Merlo

<出演>          →foreign language
音楽:小野綾子
詩:彌勒忠史
絵画:大野彰展
詩人・グッビオ:辻康介
音楽家・画家:阿部大輔

菅沼起一(リコーダー)
桐畑奈央(リコーダー)
丸山韶(ヴァイオリン)
佐々木梨花(ヴァイオリン)
廣海史帆(ヴィオラ)
島根朋史(チェロ)
渋川美香里(バロック・ハープ)
上羽剛史(チェンバロ)

主催:イル・メルロ(小野綾子 桐畑奈央 上羽剛史)

<曲目>

G.P.コロンナ:キリエ・コンチェルタート
M. カッツァーティ:ソナタ「ラ・タナーラ」
M. カッツァーティ:モテット「おお天よ」
作曲者不詳:運命の神のいたずらのために
M. カッツァーティ:エコーのカプリッチョ「イル・マレスコッティ」
M. カッツァーティ:チャッコーナ

~~休憩~~

G.B. ペデルツォーリ:祝典音楽劇「音楽、絵画、詩」

アンコール
ルッツァスコ・ルッツァスキ:マドリガーレ「もし月桂樹がいつも緑だったなら」

 

ペデルツォーリって誰? とだれもが思ったのではないか? それでも、客席がコロナ仕様で埋まるくらい観客がつめかけたのは、珍しいもの好きが東京には多いというよりも、イル・メルロがこれまで実績を積み重ねてきたこと、歌手にも楽器奏者にも実力者が揃っていたことなど、心が動く要因が他にもあったからだろう。

前半は、昨年12月におこなわれた、イル・メルロのプロデュースによる「輝かしい17世紀ボローニャの音楽」の続編とも呼べるもので、ボローニャの聖ペトロニオ教会楽長だったカッツァーティの作品を中心に、全員による合唱、独唱、二重唱、器楽曲と多彩。1曲目のコロンナのキリエ・コンチェルタートは、楽器が独立して動くところがあったり、中間部の躍動感、厳かな終わりかたなど、心を掴む仕掛けが施されていた。3曲目はカッツァーティのモテット。小野の声とリコーダーとの相性が抜群によく、後半のアジリタが冴える。

バロック時代の器楽というと、ルネサンス後期のヴェネツィア楽派から始まって、コレッリあたりまで話が飛んでしまったりするのだが、その間の時代にボローニャでこんな実りの時代があるとは、意外と知られていない。一昔前には「ボローニャ楽派」と呼ばれる17~18世紀のボローニャで活躍した音楽家たちを総称する用語があったと思うのだが、いつのまにかあまり使われなくなってしまった。

カッツァーティはコレッリの1世代前にあたり、本日演奏されたソナタ、カプリッチョ、チャッコーナはいずれもさすがコレッリに影響を与えた作曲家と納得できるものばかり。弦楽器のみで始まり、リコーダーとハープが加わり、トゥッティになる「ラ・タナーラ」もよかったが、なんといってもチャッコーナ。低音オスティナートにのって、各楽器がさまざまに入ってくるさまは、ジャズのセッションを聴いているようで心躍るひとときだった。

さて後半はペデルツォーリによる祝典音楽劇「音楽、絵画、詩」。バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルと神聖ローマ皇帝レオポルト1世の娘マリア・アントニアの婚礼のために書かれたもので、典型的な祝祭音楽である。主要登場人物は、音楽、絵画、詩といった、観念を擬人化したもの(アレゴリー=寓意)で、ルネサンス後期から舞台芸術においてよく見られたもの。モンテヴェルディの《オルフェオ》に、音楽を擬人化した「ムジカ」が登場するのを思い起こす人もあるだろう。

演奏会形式ではあったものの、それぞれ衣装をつけ、持ち道具や小道具に工夫が凝らされており、舞台形式に迫る。たとえば、序曲が始まるも歌手は誰もおらず、序曲の途中で白いドレスを着て小さなハープを持ったムジカ(音楽)が客席後方から登場する。つづいてポエジア(詩)が赤いマントをつけて下手からあらわれ、最後にピットゥーラ(絵画)が上手から登場する。そして、3人が揃い、三重唱になる場面ではピットゥーラ役の大野の明るい声音が祝祭感を増幅させる。

この時代の作品は、厳密にいえば、後の時代のようなレチタティーヴォとアリアの分化はまだないはずだが、伴奏にあたる器楽は通奏低音だけになったり、トゥッティになったりと部分ごとに厚みを変えている。楽譜を見ていないので断言はできないが、どの部分をどの楽器で演奏するかは上演にあたって、演奏者たちが入念に検討したものと思われる。ピットゥーラが「勇敢な花嫁よ」と語りかける場面では、通奏低音のみになったり、その少し後の三重唱の部分はハープの響きに心を奪われた。

楽器編成のみならず、歌唱声部のほうでも、レチタティーヴォっぽい軽い部分としっとり歌うアリアに近い部分とが絡み合って、飽きることなく聞いていられる。中盤になって、グッビオが登場すると、俄然物語が動き出す。グッビオとピットゥーラの掛け合いは往年のドリフターズのコントを見ているかのような、絶妙な間と表情と声色で爆笑してしまったし、その遣り取りの最後のグッビオのアリアにあたるものでは、辻の身振り手振りが楽しく、舞台をこちらから見ていたつもりが、いつのまにか芝居の世界の中に自分も入り込んでしまったように感じた。

ここからはもう一気呵成。途中、ポエタ(詩人)の「この絵はオルガンですね」の部分は、リコーダーがオルガンのような音色で吹いていて、思わず編成にオルガンがあるかと確認してしまったほど。結婚式という機会のための作品であることから、元々ストーリーも音楽も安心してみていられるものなのだが、逆にいうと物足りなくなってしまうおそれもある。そのなかで、教会という場所の制約もありながら、さまざまな飽きさせない工夫により、最後まであっという間だった。

古い時代の音楽劇をこの団体がやるのなら絶対見に行かねばと思う団体がいくつかある。そのなかにまたひとつ、新たな団体が加わりつつあるのを頼もしく思い、彼らの今後に思いを馳せたい。

(2022/11/15)

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MUSICA: Ayako ONO(soprano)
POESIA: Tadashi MIROKU
PITTURA: Akinobu Ono
UN POETA, GUBBIO: Kosuke TSUJI
UN MUSICO, UN PITTORE: Daisuke ABE

Recorder: Kiichi SUGAWARA, Nao KIRIHARA
Violin: Sho MARUYAMA, Rika SASAKI
Viola:Shiho HIROMI
Violoncello: Tomofumi SHIMANE
Baroqueharp: Mikari SHIBUKAWA
Cembalo: Tsuyoshi UWAHA

Giovanni Paolo Colonna: Kyrie Concertato
Maurizio Cazzati: La Tanara Op. 35-2
Cazzati: Motetto per un Santo “O Caelites”
Anonimo: Pergioco di fortuna
Cazzati: Capriccio in Eco il Marescotti
Cazzati: Ciaccona Op. 22

— intermission—

Giovanni Battista Pederzuoli: Musica, Pittura e Poesia

— Encore—

Luzzasco Luzzaschi: Se’l lauro è sempre verde