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イギリス探訪記|(2)伝統と幻想|能登原由美

(2)伝統と幻想|能登原由美
Another side of Britain (2) Tradition and the illusion

Text & Photos by 能登原由美(Yumi Notohara)

イギリスに来てから1ヶ月ほど、大学の宿泊施設に滞在した。そこはテムズ川の南側に位置し、東に向かって歩くと、国内では最大規模とも言われる食品市場として有名なバラ・マーケットがある。一方、西側には「エレファント&キャッスルElephant & Castle」という一見奇妙な名前のついた地区が広がっていた。

街の歴史に特に興味があるわけではない。ゆえに、日本語であれば「象と城」と呼ばれるその不思議な名の由来については、特に気に留めることはなかった。ただし、公共交通のハブにもなっていた上、研究にも関わりのある帝国軍事博物館が近くにある。そのため、時折この駅を利用することになった。

エレファント&キャッスル駅前のラウンドアバウトの一部

地下鉄の狭い構内から路上に出ると、まずは巨大なラウンドアバウト(イギリスで一般的な環状交差点)に圧倒される。幹線道路の接点になっているらしく、複雑な形をしていた。そのくせ歩行者用の横断歩道は少なく、反対側に行くのが難しい。何よりも、激しい車の往来のために排気ガスや騒音が立ち込め、最初はあまり良い印象をもたなかった。それにも拘わらず気になったのは、街全体に一風変わった雰囲気があることだった。というのも、世界有数のコスモポリスとして知られるロンドンの中でも、このあたり一帯の民族の多様性、言ってみれば有色人種の割合の高さが目を引いたのである。それを裏付けるように、周辺にはアジアや中近東など様々な地域由来のお店がいくつもあった。古くさびれた建物1階の軒下にぎっしりと積まれた野菜や穀物の色や匂いなど、他の場所にはない空気を醸し出している。もちろんイギリスでは定番の「パブ」もあったが、それらは一見して観光客にもわかるような伝統的な店構えをもたず、メニューを見なければ何のレストランだかわからない。ただし、こうした怪しげなパブが出す料理は安くて美味しく、その後行きつけになってしまったのだが。

キャッスル・スクエアに設置された新しい象のオブジェ

この界隈に興味をそそられたのはそればかりではない。路地を少し進むと、これらを押しやるようにピカピカの高層ビルがいくつも姿を現した。いずれもコンクリートとガラスに覆われたモダンなもので、1階にはスーパーやレストランなどがあり、上階は住居として使用されているようであった。お店の中には中華や和食系の食事を出すところもあり、さまざまな食文化が入り混じっているところは同じであった。ただ、いずれも小綺麗で整然としていて先の地区のような生活臭が感じられない。新しいのだから当然かもしれないが、このあたり一帯はどこか急拵えの感があった。土地にまだ根を下ろしていないというか、一時的にその場に置かれているといった風であった。周辺にはやはりそれほど時を経ていないと思われる広場や公園もあったが、点在するオブジェや植えつけられた樹木も地に馴染んだようには見えず、どこかよそよそしさがあった。要するに、どちらの場所も「イギリスらしさ」を感じさせないのだ。「イギリスらしさ」と言えば、旅行者の勝手な先入観と言われるかもしれない。別の言い方をすれば、いずれも「よそ者」的な空気が漂っているという点で共通していたのである。

エレファント・パークの象のオブジェ

こうした独特の風合いゆえに、まずはその名にこの土地の特色が表れているのではないかと疑った。つまり、街の起こりは「象」の生息地であるアジアやアフリカなど、南の国から来た人々を受け入れたことにあったのではないか、その結果、現在のように多国籍的な土地柄になったのではないか、というものである。けれども、改めて調べてみると、全く違っていることがわかってきた(1)。なんでもこのあたりは、古代ローマ時代から交通の要所として栄えていたらしい。テムズ川のすぐ南にあることからも、水路も含めた往来の接点となっていたのであろう。その後、18世紀頃になって「エレファント&キャッスル」という名前の宿屋が現れた。それが現在の地名に繋がっているのだという。その宿屋の成り立ちを調べればもっとさまざまなことがわかるだろうが、さすがにそこまでやる余裕はない。

ただ興味深いのは、19世紀後半以降、劇場やミュージック・ホールなどが集まるロンドン有数の歓楽街として発展していることだ。一方で、遊興の場として賑わうと同時に膨れ上がっていく貧民街も社会問題になっていたらしく、あのチャールズ・チャップリンも貧しかった子供時代、この地区にあった救貧院に保護されたことがあったという。その後、第二次世界大戦ではドイツによる空襲で壊滅的な被害を受けたが、戦後は大型ショッピングモールや大型アパートの建設などで再び戦前の賑わいを取り戻した。一方で、治安の悪さでも知られるようになったが、60年代、70年代に建てられたそれらの建物もすでに取り壊され、2000年代に入って再び大規模な都市開発が進められた結果、現在のような超近代高層マンションが姿を現したのであった。なお、付近には工事中の広場や建設途上の建物も多く、この数年でさらに大きく様変わりするに違いない。

つまり、私の推測は全く外れていたわけだ。とはいえ、古来、交通の要所であり、とりわけ産業革命時に河川交通で栄えたテムズ川近くにあることを考えると、外部からやってきた人々を受け入れる土地になっていたことは間違いないだろう。さらに言えば、その地名の由来となったのが宿屋、つまり旅人たちに仮の寝床を提供する場であったことを考えると、私が感じたあの「よそ者的」な空気もあながち見当はずれではなかったように思える。つまり、この辺り一帯が大昔から宿してきた「地霊」が、今なお息づいていたのだ。この国を支配してきた貴族やジェントリらは、先祖代々受け継がれてきた土地を守り続けることに誇りをもつというが、それとは反対に、人々が一時的に逗留する場所、あるいは社会から取り残された人々が仮に身を寄せる場として繁栄した街が、「エレファント&キャッスル」だったのではないだろうか。

女王の棺への弔問に並んだ人々。テムズ川の向こうにはセント・ポール大聖堂と共に新しい高層ビル群が見える。

あのエリザベス女王崩御の一連の出来事に遭遇したのは、この界隈のエキセントリックな空気に次第に馴染みつつある最中でのことであった。国葬までの10日間、街中の至る所に女王のレリーフと弔辞が掲げられ、コンサートに行けば必ず幕開けに国歌が立奏されるのを起立して聞いた。また、24時間とも言われる長い弔問の列やそれらを整備する完璧な警備態勢、あるいは世界中に中継された国葬の壮大なスペクタクルを繰り返し見るにつけ、まさに国全体が同じ空気を纏っているかのように思えたものだ。とりわけ、夜を徹して並んだ末に見た、微動だにしない衛兵たちと彼らに固く守られた棺と王冠が放つ荘厳な輝き。元々、バードやモーリーといったイギリスの古い作曲家、それも王侯貴族らによって親しまれた音楽を研究対象としていた私は、こうした儀式の伝統と歴史が数百年経っても衰えていないことに感激し、高揚した気分を抱えて宿舎に帰ったのであった。だが、そこから一歩、別の方角に足を向けてみると、そのような富と威厳に満ちた世界とは全く異質の時間が流れ、空間が広がっているのを目の当たりにした。その時空の断絶には驚いたものだが、そこがこの伝統に彩られた社会の「外側」にいる人々によって入れ替わり立ち替わり築き上げられてきた土地―「エレファント&キャッスル」であったゆえなのかもしれない。

いや、実はこの街こそロンドン本来の姿なのであり、あるいはイギリスの今を表しているのではないだろうか。というのも、ロンドンにまだ数多く残されている歴史的建造物も、その周囲にはかの街で見かけたような超近代的な高層ビルがいくつも聳え立っていることがもはや珍しくない。 この都市の変貌ぶりは、テムズ川の南から市街を見渡せば明らかだ。生まれた時からロンドンにいるというタクシーの運転手に聞いても、街の変化はこの20年余りの間に一挙に押し寄せたのだという。物理的な側面だけではない。はからずもこの10月末には英国史上初めてとなる非白人系の首相が誕生した。そのリシ・スナク氏の両親はアフリカ生まれのインド人で、1960年代にイギリスに移住してきたのだという(2)。まさに「外部」からやってきた人々なのである。もちろん、かつてアジアやアフリカを中心に植民地政策をとってきた同国の歴史からすれば、多様な人種に溢れていることは自明のことであり、いずれはその中から国のリーダーが誕生することは予想されたことではあった。伝統的建築物を覆い始めた高層ビル群同様に、こうして徐々に醸成されてきたこの国の変化が、ここにきてようやく姿を表し始めたということなのだろう。

そう考えると、国葬までの10日間に繰り広げられたあの一連の出来事は、歴史と伝統の灯が消える寸前の最後の輝きであったのかもしれない。あるいは、すでに幻想になってしまった世界がほんの束の間、再び姿を現しただけだったのであろうか。

(2022年11月15日)

(1)以後、エレファント&キャッスルの歴史については、Elephant and Castle Partnershipが運営するサイトTHIS IS ELEPHANT AND CASTLEを参照
(2)Joe Sommerad, “Everything you need to know about Rishi Sunak’s family.” Independent, October 31, 2022.