プロムナード|自分の着る服|小石かつら
自分の着る服
Choose clothes to wear today
Text by 小石かつら (Katsura Koishi)
1998年4月、ドイツのデュッセルドルフに留学した。色々あって、私のドイツ語の準備はゼロに近く、現地に到着後、大学入学準備のためのドイツ語クラスではなく、ABCから学ぶクラスに入学することになった。いわゆる移民難民のためのクラスである。生徒は20人程だっただろうか。皆で声をそろえて1から10まで数えたり、AからZまで唱えたりする一方で、買い物の仕方や役所での手続き方法、ゴミの出し方等を、ひとつずつ丁寧に学んだ。むろん先生のドイツ語はわからないのだが、紙芝居やらロールプレイやらの工夫があり、想像で理解した。と、書けば順調に思えるが、実際のクラスは、授業が成立しない崩壊状態に近かった。遅刻、早退、順番抜かし。授業を無視した先生への頻繁な質問、言葉の通じる者同士のおしゃべりや言い争い。
音楽学を勉強するために留学する、という一大決心と勇気ある一歩を踏み出したはずだったが、私以外の人たちの、故郷を捨てた命懸けの意気込みは、まったくの別次元だった。鋭い目つき、押しの強さ。正直、私はドイツ語を学ぶどころではなく、日々、その気迫の中に座っているだけで精一杯だった。
妊娠している女性も幾人かいたが、ある時、「昨日出産した」と言って教室に来た女性がいた。「え?昨日?この人、昨日っていうドイツ語、間違ってるんじゃない?」と状況を飲み込めずにいると、教室中が拍手。先生も「おめでとう!それで、赤ちゃんは誰が面倒見ているの?」と笑顔満面、「上の子が見てるから大丈夫」と応える女性も笑顔だ。私は、ますます現実が把握できなかった。言葉もわからない異国に来て、昨日出産して、今日授業に来て、生後二日の赤ちゃんは母親と離れていて、それでいて、おめでとう・・・。
そんな強烈なドイツ語クラスから帰宅すれば、ホームステイしていた家のテレビでは、毎日繰り返し、コソボからの避難民の行列が映し出されていた。淡々としたナレーションと、黙々と歩く人々。野原と山と、行列。人々へのインタビュー。日本でも、難民や移民を扱った番組があったし、私も見ていた。違うと思ったのは、報道時間の長さである。本当に毎日、ただひたすら延々と、歩き続ける人々の行列が報道されていた。
もう季節は冬だったと思う。言葉がずいぶんできるようになって、やっと、自己紹介をする授業があった。高校生か大学生くらいに見える十代の女子学生は、コソボから来たと言った。「家族は無事だったか?」と先生が聞くと、その子は泣き崩れた。興奮するし、ドイツ語は話せないしで、要領を得ない。どうやら家族は無事だが、まだ親戚や知人がたくさんコソボに居るという。連絡が取れる人と取れない人が居るという。クラス全体の気持ちが女子学生に集中し、固唾を呑む。「たった一人の政治家のせいで、自分たちの生活がめちゃくちゃに壊された。たった一人の政治家のせいで。アイツさえ居なかったら!」うんうんと皆が頷く。先生は、女子学生に問うた。「それであなたは、ドイツで何を勉強するの?」流れた涙を手で押さえながら、彼女は「ファッション」と答えた。量産された粗い織りの黄色いプルオーバーを着て、白いパンツを履いていた。センスがあるようには見えなかった。「ファッションか、いいわね」と、先生は答え、先生と彼女は、しばらくファッション雑誌のことなど話していた。クラスの皆も、ドイツのファッション雑誌はきれいだよね、みたいな話をしていた。なごやかだった。私一人、全然意味がわからなかった。だいたい、ドイツのファッション雑誌はきれいでもなんでもない。
「ファッション」。その答えは、ものすごく新鮮だった。ただ単純に、私の持つステレオタイプとは、全然違った。祖国を追われ、言葉も通じない国に来て、生活の先行きすら見えない。そのような環境をまるごと無視して、生活のためとか、社会のためとか、祖国のためとかではなく、「ちょっと気になる好きなこと」を勉強する。ただそれだけのことが、これほど普通のことで、その普通のことが、これほど輝いているということを、私はその時知った。そしてその普通のことは、彼女の日常の破壊が、あまりにも唐突だったことを、露呈していた。
何ヶ月間か毎日を共にした彼女が、何人だったのか、私は知らない。あのあと、ファッションを勉強することができたのか、コソボへ帰ることができたのかも、知らない。私は朝、服を選ぶときに、時々思う。彼女は今日、自分の着る服を選んでいるだろうか、と。
(2022/10/15)
*)アイキャッチ画像は、
『難民Refugees』2000年第1号 5頁 UNHCR日本・韓国地域事務所発行
https://www.unhcr.org/jp/wp-content/uploads/sites/34/2017/04/ref_116.pdf
より引用しました。