五線紙のパンセ|うつろいに五感を澄ます|渡辺俊哉
うつろいに五感を澄ます
Text & Photos by 渡辺俊哉(Toshiya Watanabe)
前回のコラムでは、自身の作曲において僅かな光明を見出したことを書いた。それではそれから順風満帆に進んだかと言えば、そうでもなかった。どのような音に関心を持って聴く、即ち作曲していくかという点においては、浮上するきっかけが掴めたのかもしれない。しかし最大の問題は、それをどのように持続させるか、つまりどのようにして、音楽としての持続を作るかということである。前回のコラムで述べたようなことは、音の一つの現象でしかない。それは特殊奏法もそうで、今までにない奏法を生み出すことは、楽器の新しい可能性を開拓していくことに繋がるので、それ自体は価値のあることだと思うが、それだけでは単なる効果と変わりがない。要は、様々な素材をどのように配置して持続を作っていくか、ということが問題となる。
受験前はソナタ形式を学び、その学びにおいては、あるモチーフを展開させて持続を作り出していた。しかし現代の音楽においては、ソナタ形式など既存の形式を使わずに(もちろんソナタ形式と言っても、全てパターン化できるわけではないが)、1曲ごとに持続を考えなければならなかった。その際に、どのような持続によって曲を作っていくか、ということが大きな壁となっていた。ソナタ形式ではないにせよ、何かを展開、発展させ変奏させていくということは、持続を作る上では重要な要素の一つで、通常はどのように展開させていくか、ということを中心に教わる。しかし私は曲を作る際、なぜそのようにしなければならないのだろうか?という根本的な疑問が生じてしまったのだ。つまり、発展や展開させるのは、何のためにそうするのか?ということだ。
展開、発展と言ってすぐ名前が思い浮かぶのは、ベートーヴェンだろう。彼の音楽の多くは、強い方向性を持っており、ある地点へ向かうエネルギーには強烈な推進力がある。もちろん、それは調性音楽の一つの特徴でもある訳だが、その中でも彼の音楽は飛び抜けており、それが彼の音楽の大きな特徴の一つにもなっている。そう考えると、ある素材を発展、展開させるということは、常に違うものへ更新していき、そのこと自体が推進力を獲得して、ある目的へ向かうエネルギーを作り出しているのではないか、と思えてきた。しかし、それは私が書きたい音楽ではない、ということだけは明確に認識していた。
私は小学生の頃、学校の課題だったかどうかは定かではないが、朝顔を育てていた。朝顔の花が咲いたときは嬉しかった記憶があるが、それより、咲いていない状態から咲くまでに、どのような変化が起こっていくのか、そして、咲く瞬間はどのようになるのか、ということにとても興味があった。残念ながら、咲く時間まで起きてじっと観察することはできなかったものの、花が咲いた際は、花が咲く過程において少しずつ変化していく(それははっきりと目には見えない)ほんの僅かな変化、前の状態とは僅かに違う状態を、まるで顕微鏡で観察するようにあれこれ想像していた。つまり咲くという最終、尚且つ1番の目的があって、そのためにどのようなプロセスを辿ったか、つまり目的のためにプロセスがあるのではなく、最終的に咲くという結果は同じだとしても、少しずつ変化していく、その僅かな変化はどのようなものか、想像することに興味があったのだ。そのような幼少の頃の記憶を思い出したりしながら、少しずつ自分が書きたい音楽に繋がっていったように思う。それは、ある程度素材を限定してテクスチュアを認識させること、そして曖昧な反復を取り入れ僅かな変化を作り出すこと、目的性を持たない、たゆたうような持続等、現在の私の曲との関連性を見出せるだろう。こうした持続は劇的な変化が少ない分、個々の音を聴いていくという関心とも合致するように思う。
このように文字として長々書いていくと、何やら作曲家は常に難しいことを考えているのだな、と感じる方もいらっしゃるかもしれない。「ゲンダイオンガク」は頭で考えすぎているから難しすぎるのだ、といった批判を目にすることもあるが、それでは昔の作曲家が何も考えず、常に鼻歌を歌うように作曲していたかと言うと、様々な資料などを見る限りその様なことはなく、それは偏見の域を出ないだろう。ただ考えすぎると進まないというのは、少なくとも私の場合は当て嵌まる。だから敢えて誤解を恐れずに言えば、考えているときもあるし、考えていないときもあると言えようか。
最後に、最近あったことで私にとって興味深く感じた出来事を少しご紹介しよう。
私は作曲家、指揮者、演奏家、音楽学者と一緒に、「庭園想楽」というグループでも活動している。このグループは、演奏会や、オンライン・レクチャーなどを行なっているのだが、8月に行なわれたオンライン・レクチャーはF.シューベルトをテーマとして、講師に堀朋平先生をお招きした。「庭園想楽」では、過去のクラシックも現代の音楽と垣根を設けることなく扱い、最新の研究を取り入れながら、常に今日的な視点から捉え直し、演奏会はレクチャーとの関連を持たせたものにしている。さてこのレクチャーで興味深かったことは、作曲家、演奏家、音楽学者の立場の違いによって、それぞれ視点の違いが見えたことだ。ちょうど《交響曲第7番 ロ短調 D.759「未完成」》についてのお話のときで、講師の堀先生は、時代背景、交友関係、自筆譜等、あらゆることを調べ上げそれを元に作品を解釈する。堀先生は音楽学者なので、それはとうぜんのことであろう。また、演奏家はそうした解釈を参考にしつつも、演奏する際は、そこから少し離れ実際に鳴っている音を聴いてそれに反応する。そして作曲家は(人によって違うのかもしれないが)、出来る限り解釈から離れて、あくまで音から判断していく、といった違いを感じたのだ。メンバーの一人で作曲家の星谷丈生さんは、「書かれた音符は、手癖ということも考えられませんか?」と質問をして、まさに私も手癖、またはそれまでに書いてきた音の記憶もあるのではないか、と考えていたので私が思っていたことと近かった。この様に考えたのは、シューベルトは短い生涯の間に膨大な作品数を残しており、いろいろ考えすぎる前に筆を動かしていないと、あの作品数は書けないだろうという実際的な理由からだ。しかし、研究や演奏をしていく人は、残された作品から何らかの資料を元にしながら、解釈をしていく。そうすると、それが作曲家の意図と完全に一致しない可能性もあり得る。もちろん作曲家の意図に近付けるため資料にあたる際は、確実なエビデンスが必要になってくる訳だが、それでも作曲家が死んでしまったら、その作曲家が本当は何を考えて作曲したのか、正確に追うことは極めて困難だ。しかしだからと言って、解釈を止めてひたすら楽譜通りに演奏するだけでは、作曲家像が常に同じものになってしまい、創造性がなくなってしまうだろう。
それでは現代の場合はどうであろう? 現代の作曲家は、幸いにして著作や映像などで様々な言葉が残されていることが多く、それらは作曲家を知る手掛かりになる。しかしそれに囚われ過ぎるより、現代の作曲家においても、いろいろな立場から自発的に作品を解釈し、それらを付き合わせて論議していくことにより、作曲家も気が付かなかった別の可能性を広げ、作品に奥行きを与えることになるのかもしれない。
作曲家によって作られた作品は、必ず他者と関わり、その関わりの中で作品は作曲家が考えていたものとは、また違った形に変容していく。そう考えると「音楽」には、そもそも絶対的な正解というものはなく、常に移り変わっていく「謎」の存在に思えてくる。逆に言うと、いつまでも「謎」であるからこそ、私はしぶとく音楽に関わっているのだろうとも思うのだ。
(2022/10/15)
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プロフィール
渡辺俊哉
東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。同大学大学院修士課程作曲専攻修了。1999年度武満徹作曲賞第3位入賞、武生作曲賞2003入選、第24回入野賞佳作、第9回佐治敬三賞受賞など。2012年Music from Japan(NewYork)、2013年HIROSHIMA HAPPY NEW EAR 、その他、様々なアンサンブルや個人の演奏家から委嘱を受けている。武生作曲ワークショップ、ロワイヨモン音楽セミナー(フランス)などに招聘され、2013年にはタンブッコ・パーカッション・アンサンブルより、レジデンス・コンポーザーとしてメキシコへ招かれた。2020年3月に、作品集「あわいの色彩」(ALCD-122)のCDがコジマ録音より発売され、各誌で高い評価を得た。現在、国立音楽大学准教授、東京藝術大学、明治学院大学各講師、日本現代音楽協会事務局長。作曲家、演奏家、音楽学者とともに、研究と実践を通して音楽を多角的な視点から考えるグループ「庭園想楽」代表。
https://www.teiensogaku.com
http://composerworklist.wixsite.com/composerworklist/toshiya-watanabe
【公演情報】
・庭園想楽 第19回オンラインレクチャー 「ドッペルゲンガーと反復強迫—シューベルト
の”心のくせ“に迫る」 講師:堀朋平先生
10月25日(火)19:00
https://www.teiensogaku.com/posts/37891140
・庭園想楽 第4回演奏会
11月3日(木)開演 19:00 会場:TRINITY B3 PARK & SHOP(東京都板橋区舟渡4-12-20)
https://www.trinitytokyo.com
F.シューベルト、A.シェーンベルク他の編曲
金沢青児(ten.)、玉山彰彦(bass)、尾池亜美(vn.)、石上真由子(vn.)、多井千洋(va.)、荒井結(vc.)
https://www.teiensogaku.com/posts/37831300
・「静寂の中の静寂」土橋庸人ギター・リサイタル
11月7日(月)
開演 19:00 会場:マリーコンツェルト(東京都板橋区中板橋18-11)
《複数の声》(2021) 再演 土橋庸人(guit.)
・Phidias Trio vol.7 “Live on…”
11月12日(土)
開演 15:00 会場:KMアートホール
《あわいの色彩I》(2017) 再演 岩瀬龍太(cl.)、松岡麻衣子(vn.)、川村恵里佳(pf.)
https://phidias-vol7.peatix.com
【CD情報】
・渡辺俊哉 作品集「あわいの色彩」(コジマ録音/ALCD-122)
http://www.kojimarokuon.com/disc/ALCD122.html
・《Music for Vibraphone》
「ヴィブラフォンのあるところ」/ 會田瑞樹(コジマ録音/ALCD-113)に収録
http://www.kojimarokuon.com/disc/ALCD113.html
・《葉脈》
24 Preludes from Japan / 内本久美(piano) (stradivarius/STR37089)に収録
https://www.stradivarius.it/scheda.php?ID=801157037089100