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〈異才たちのピアニズム 8〉トーマス・ヘル(ピアノ)|西村紗知

〈異才たちのピアニズム 8〉トーマス・ヘル(ピアノ)
[ Pianist Series 8 ] Thomas Hell (pf)

2022年8月19日 トッパンホール
2022/8/19 Toppan Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by 藤本史昭/写真提供:トッパンホール

<演奏>        →foreign language
トーマス・ヘル(ピアノ)

<プログラム>
ハイドン:アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII-6
権代敦彦:Diesen Kuß der ganzen Welt(2011)
矢代秋雄:ピアノ・ソナタ(1961)
ベートーヴェン:ディアベリの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120

 

峻厳さを湛えた、音楽の強さである。右手のタッチが強く、どの作品も言ってみれば輝度が高い。どこの音域でも、どれだけ音が離れていても、スイートスポットを外すことがないトーマス・ヘルのタッチは、冒頭のアジタートで矢継ぎ早に音が跳躍する矢代のピアノ・ソナタと特に相性がよいと感じられる。
それは、岩石を割って宝石を掘り当てるような演奏スタイルであり、その音は、原石の断面の鋭利な輝きを放つ。フォルティッシモは火花であり、作品は、空間から彫刻が取り出されていくようにして現れる。

演奏の音圧の強さは、作品の個性の強さに相応しい。この日のプログラムは、すべて現代曲でまとめたプログラムよりも、強度の高い聴取体験をもたらすだろう。この日の規格外の変奏曲が並んだプログラムを聴いて、むしろ、変奏曲とは何だったろうと、変奏曲という分類が確定する前にはこれはどんなふうに聴こえただろうかと、遠い過去へ向かって思わず考え込むのであるから。変奏曲とは、変奏の技法を競うよりも前に、今まさにこの瞬間を希い、時間に流されたくないと願うことにその根幹があるのだろうか、などと。
その希う精神性とでもいうものは、権代敦彦「Diesen Kuß der ganzen Welt」において最も高まる。静かなE音の連打を、変奏が取り巻いていく。散発的に跳躍するパッセージ、コラール、そして単線の旋律など、E音の周りは変遷していくものの最後もまたE音の連打で作品は閉じられる。ずっと変わらないもののために祈るように。
ハイドン、権代、矢代の作品は、それぞれ少しずつ似ていたように感じられた。
ハイドンのは矢代の第三楽章と少し似ているかもしれない。長大な楽段ののち急な展開が訪れる、どちらもスリリングな形式だ。
ハイドンの「アンダンテと変奏曲」は、同じ楽段の、装飾音が変わるくらいのゆるやかな反復が続く緩徐楽章だが、最後は急に、半音階的に進行する展開部が差し挟まれるものの結局最初の主題、元の調性に戻る。変奏曲がほんのひと時だけソナタ形式になったかのようだった。この不安定な形式感が、作品の中ふとした瞬間に訪れる寂寥の感を、一層高めていたように思う。
また、コラールと跳躍する素早いパッセージの対比がみられるという点では、権代作品と矢代のソナタが類似する。
ベートーヴェンのディアベリ変奏曲という、改めて実に法外な変奏曲。これはさながら様式の見本帳のようでもある。
いかなる瞬間にもピアニストは音の強さを失わない。忌憚なく、取り繕うところがない。だから変奏曲のもつ遊びっぽさが覆い隠してきた、何か本質的なものが露呈されているようにも感じられる。

それは、忘却への根源的な恐怖だったのか。もう今の時代状況では消失した精神性なのかもしれない。すでにして聴こえなくなったものに思いを馳せ、会場を後にした。

(2022/9/15)

  

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<Artists>
Thomas Hell, pf

<Program>
Haydn: Andante con variazioni in F minor Hob.XVII-6
Atsuhiko Gondai: Diesen Kuss der ganzen Welt (2011)
Akio Yashiro: Sonata for Piano (1961)
Beethoven: Diabelli Variations in C major Op.120