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Ensemble Toneseek Vol.1 第一回演奏会 ~ 夏の五重奏 ~|西村紗知

Ensemble Toneseek Vol.1 第一回演奏会 ~ 夏の五重奏 ~
Ensemble Toneseek Vol.1

2022年8月4日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2022/8/4 Tokyo Concerts Lab.
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
写真提供: Ensemble Toneseek

<演奏>
指揮:馬場武蔵
ピアノ:秋山友貴
フルート:齋藤志野
クラリネット:照沼夢輝
ヴァイオリン:松岡麻衣子
チェロ:下島万乃

<プログラム>        →foreign language
S. シャリーノ:L’orizzonte luminoso di Aton for flute solo (1989)
B. マントヴァーニ:Bug for clarinet solo (1999)
I. フェデーレ:Thrilling Wings for violin solo (2013)
M. リンドバーグ:Quintetto dell’Estate (1979)
―休憩―
J. ハーヴェイ:Three Sketches for violoncello solo (1989)
T. ミュライユ:Cailloux dans l’eau for piano solo (2018)
E. ポッペ:Gelöschte Lieder for ensemble (1999) 日本初演

 

アンサンブル・トーンシークのデビュー公演が開催された。
彼らは「ヨーロッパで初演されている楽曲をタイムラグなく紹介すること」を目標に据える現代音楽アンサンブル。この日のプログラムに並ぶ作品の制作年はどれも新しい。しかしながら、どちらかと言えばどの作品も古き良き現代音楽、といった趣であったように思う。作風が古いとか保守的だなどと言いたいのではない。譜面に書かれたものに全力で没入していく、この営みの在り方自体に、すでに歴史的なものに移行してしまった、Neue Musikの在り方を思い起こさせるものがあったのである。それはかつて、モデルネ、作品の自律性などと呼ばれていたもので、それがこの日の演奏会では力を取り戻していたのではなかったか、と筆者は感じていた。
作品内部にいかにして「拘束性die Verbindlichkeit」 がもたらされるか、このことが追究されていたのだとも思う。拘束性というカテゴリーについて、この演奏会の間、いろいろ考えさせられるものがあった。そして拘束性がい かにして生じるかというのを考えるに、三つの「体」を筆者は思う。それは、譜面に書かれた、あらかじめ存在する構造体。それを媒介する身体。そして聴衆のもとに届く音響体。これら三つの体の結び付きにより、音楽全体の拘束性が生じていく。そして彼ら若い演奏家が、このようなプログラムに取り組みたいと思ったということ自体に、興味深いものを感じた。

シャリーノ。二つの音が鳴らされ、休符。大抵その最初の音は次にBの音に着地する。ほとんどの場合、息の音が優勢である。時折混ざる楽音。常にこのパターンが守られ、続いていく。次第に息の音以外に加わるもののバリエーションに幅が生まれる。重音、しなるようにカーブを描く速いパッセージ、声を入れて吹く、など。
ここまでは正直予想の範疇だった。少し様子見が長引き退屈に思えるほどだったけれども、終盤、それらがすばやく、順序も決まってないような具合に組み合わされていくと、そこにはトリルも入っていたが、このクライマックスが面白い。拘束性から、拘束力でもって離脱し音楽が自由になる、束の間の時間だったのである。作品は静かに終わる。
マントヴァーニ。こちらはもう最初から、拘束性から自由でいるような書法。低音の強音は音割れも辞さないほどの大胆さ、音は絶えず動き即興的。無伴奏でもあるから、全体を見通すような、音響デザインの見地が少し欲しかったような気がするが、一音一音に食らいついていく迫力のある吹奏。中間部の緩いカンタービレも伸びやかに。即興的に聞こえるものほど、全体の構造による拘束性を耳が欲してくる感覚があり、興味深い聴取体験であった。
三つほどの音が素早く反復されるトレモロ、これが基本的に続くなか、随所に強音が挿入されていく。プログラムの順番もあって、フェデーレの作品はちょうど前二つの作品の要素をどちらも取り入れたような感じに聞こえる。刻み、歌い、急に景色が変わったかのように、歌うパートに入る。のち、駒寄りの音ですぅーっと伸びていく。また最初のトレモロに戻り、最後はきーん、と鳴って終わり。
リンドバーグ作品は、セリエルな音響感覚に少しスタティッシュな感じ。生きた、全力投球のモデルネであった。

休憩ののち、ハーヴェイのチェロのソロ作品は、三楽章構成。一楽章は、グリッサンドやピチカートの音を適宜挟みつつ、中心音Dにその都度戻ってくる感覚が、この日の一、三作品目と似ている。二楽章までは特に意表をつかれるところはなかったが、第三楽章のつくりはそれまでと異なる。チェロ一台でカルテットをやっているかのような作品で、主旋律は重音でハモり、ベース音も鳴り、上方にはピチカートも添えられ、合奏的で楽しい。高音部のアリアも。
ミュライユの作品は一聴してすぐミュライユのものだとわかる。タイトルからしてドビュッシーへのオマージュ作品だが、ドビュッシーらしい作品というより、ドビュッシー、メシアン、ミュライユという系譜がそのまま聞こえてくるかのよう。色彩的だったり、メロウだったり揺れがある感じかと思えば、それよりはもっと音の粒一つ一つが硬質に鳴っていく感覚。
最後のエンノ・ポッぺ作品は日本初演。ピアノが高音部で奏でるオルゴールのような不規則な反復の音型の上に、他の楽器が別々の、長音、長めのパッセージをのせていく。
アンサンブルの組み合わせ、人数は適宜変わっていく。ピアノとピッコロが一対一で演奏したり、合間に三人がカデンツらしいものを挿入したりする。
全体として牽引していくのはピアノの役目である。中盤にはピアノのソロがあり、これに対し四人が対置される。終盤、最初のオルゴールのような不規則な反復が戻ってきて、最後は一定の拍を刻んで終わる。

作品ごとの性格の類似性から、やりたいことと趣味は伝わってくるものがあった。彼らの実直さに素直に心打たれるものがあったことをここに告白しよう。

(2022/9/15)

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<Artists>
conductor:Musashi Baba
piano:Tomoki Akiyama
flute:Shino Saito
clarinet:Yumeki Terunuma
violin:Maiko Matsuoka
cello:Mano Shimojima

<Program>
S. Sciarrino:L’orizzonte luminoso di Aton for flute solo (1989)
B. Mantovani:Bug for clarinet solo (1999)
I. Fedele:Thrilling Wings for violin solo (2013)
M. Lindberg:Quintetto dell’Estate (1979)
―intermission―
J. Harvey:Three Sketches for violoncello solo (1989)
T. Murail:Cailloux dans l’eau for piano solo (2018)
E. Poppe:Gelöschte Lieder for ensemble (1999) *Japan premiere