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生活三分|Relish Expert|葉純芳

Relish Expert

Text by 葉純芳(YEH CHUN FANG)
Translated by 喬秀岩(Chʻiao Hsiuyen)

>>> 中国語版

随分前になるが、山西師範大學で教職に就いている義兄弟から、台湾で出版されている林文月先生の著作『京都一年』を買って送ってくれないか、と頼まれた。中国で台湾の書籍を買うのは中々大変だったからで、もちろんお安い御用と引き受けた。書店に行くと、『京都一年』は直ぐに手に入ったが、私は林先生の別の作品『飲膳札記』の方に興味を引かれた。こちらは林先生の料理本だ。よく見かける綺麗なカラー写真付きの料理本とは趣を異にし、林先生はそれぞれの料理の作り方や手順を説明するだけでなく、文章の中に折に触れての感慨を吐露し、その昔、台湾大学の老先生や同僚たちを自宅に招いて楽しく和やかに一緒に食事をしたりしていた情景も描写している。

私も林先生と同じ中国文学専攻の学生であったから、林先生の文章に現れる先生方の名前はいずれもお馴染みのもので、この本の中に一番よく登場する孔徳成先生に至っては、私も博士課程在学中、履修登録こそしなかったものの、その授業に出たことも有る。林先生の文章を読むと、貴くも暖かな師弟感情が行間に溢れていることに深い印象を受ける。中国文学専攻の人人は、特にこうした感情を重んじたもののようで、私が中国文学専攻の大学院に在学していた頃も、中国文学専攻の教授たちは他の専攻の先生方とは違い、自分の指導する学生との間に親子のような関係を築いており、食事や飲酒の場で学問を伝授したり、学生の婚姻や就職の面倒まで見たりするのだ、という話をよく聞いていた。しかし、そのような「良き時代」は、私が博士課程を卒業しようかという頃には既に過去のものであった。大学教員の限られたポストを多くの博士課程卒業者が奪い合わねばならない状況下で、学生たちは何とか早く卒業して職に有り付こうと必死で、親子のような師弟感情を作っているようなゆとりは何処にも無く、それぞれが自分の力で何とか進路を見つけて行くだけとなっていた。

一昨年、配偶が台湾の東華大学で一年間の学術交流を行うこととなり、私も一緒に台湾に帰った。滞在先の東華大学の図書館で偶然目にしたのが『府城的美味時光──台南安閑園的飯桌』という本だ。作者は辛永清という。東華大学歴史学部のご好意で提供された研究室で配偶が『礼記』の研究をしている傍らで、私はこの肩の凝らない読み物を読んだ。一つ一つの料理に、作者の青春時代の家族の物語が有った。この本は、日本語版が原書(『安閑園の食卓――私の台南物語』)で、漢訳本には、台南の有名レストランのシェフに本の中に出てくる全ての料理を復原させて作ったカラー版別冊が附録されている。辛氏の実家は台南の名族であるが、この本に描かれた日常生活は、多くの台湾人にとって共通の記憶だと言うを妨げない。辛氏の叙述を読んで、私は自分が宛も子供の頃の外祖母の家に帰ったかのような思いがした。外祖母の家は、私の母を含めて兄弟姉妹が十四人も居る賑やかな大家族であった。新年や中秋といった大事な節句には、必ず全員が各地から外祖母の家に集まってくる。食事の前には、叔母たちが食卓に置かれた大きな笊を囲んで「客家糍粑(客家の伝統的な餅)」を捏ね、ピーナツの粉をまぶして、家に着いたばかりの人たちに振る舞い、彼らの食事前の空腹を和らげた。食事の時間は、母の兄弟である叔父たちと、母の姉妹の配偶たちが外祖父と共に酒を酌み、料理を食べながら、政治談議などをしていた。女性たちは別のテーブルで食事をする。料理そのものは、男性たちと変わらなかったが、見た目には拘りが無く、無造作に並べられていた。子供たちはテーブルに就いて食事をしない。母の姉妹たちと母の兄弟の配偶たちが、それぞれ自分の子供の後を追いかけまわすようにして食べさせるのである。厨房では、外祖母の家で雇っていたお手伝いさんと、薪をくべた竈が、外祖父たちが食事を終えるまで休みなく働き続けていた。

一年の学術交流を終えて東京へ帰った配偶は、台湾の飲食が学生たちの興味を引くのではないかと考え、『飲膳札記』を中国語講読の教材とすることにした。配偶の中国語力は、この本を講釈するのに全く困らないものだが、大部分の内容は料理の手順であり、料理関係の用語の他に台湾の方言や習俗の問題も有って、一筋縄ではいかない。配偶が授業の準備をする際には、暇な私が「顧問助手」を務め、役に立つことも往々にして有った。

私は、六十年代末期の台湾に生まれた。自宅の客間のソファーテーブルの下には、父が献辞を書いて母に贈った様々な料理本が置かれており、子供の私はそれを引っ張り出して読むのが楽しみだった。いずれも、母が読みながら実際に作って料理を学んだもので、本の頁のあちこちに、水に濡れた跡や、飛び散った小麦粉や調味料などが着いていて、見ているだけで料理の味が分かるような気がした。学校から帰れば、宿題を済ませてから、母と一緒にテレビで「傅培梅の時間」を見るのが、絶対に欠かせない毎日の楽しみだった。私にとって、傅さんが作り出す様々な料理を見ることは、アニメなどを見るより遥かに大きな喜びであった。人間何かをしようという時には、大抵は思いがけないきっかけが有るものだ。傅さんの場合は、彼女の出した料理が不味かったために、旦那さんが同僚の前で恥ずかしい思いをした、というのがきっかけで、大金をはたいて有名レストランのシェフに教えを乞うたという。テレビのインタビュー番組で彼女自身が語っていた所によれば、当時、それらの有名シェフから指導を受ける為に、傅さんは母親からもらった嫁入り道具も全て質に入れてしまっている。そうした苦労の甲斐有って、傅さんは、旦那から料理の腕が認められるようになったばかりでなく、台湾で始めて他人に料理を教える先生となった。1978年には日本のフジテレビの番組「奥さまクッキング」の講師も務めるようになり、五年間続いたそうだ。

人の親たるもの、子供に聞かずにはいられないのが「将来何になりたい?」という質問だ。兄や姉や妹がどのような将来の理想を答えていたのかは覚えていないが、私自身は、ためらう事無く「賞味専門家!」と答えた。父から、「それは一体何であろうか?」と聞き返されて、私は「色々な人が作ったものを食べて、それを評価する専門家」と答えた。父はカラカラ笑って、何とも都合の良い職業だね、と言った。私は子供なりに、傅さんのように手の込んだ素晴らしい料理を作り出すのは自分にはとても無理だが、食べるだけの役割なら自分にも出来るのではないか、と考えていたのである。

数か月前、配偶の友人である某先生の奥様が東京にお出でになったので、拙宅にお招きして粗飯を召し上がって頂いた。奥様は台湾が大変お気に入りで、数年前に私と配偶がお宅を訪問した際には、うれしそうに台湾紹介の書籍を十何冊も取り出して、台湾の何処に行ってどんな美味しいものを食べたか、という話を詳しくして下さった。そんな訳で、今回は、油で熱した台湾のカラスミ、魚のすり身と海老を油揚げで巻いて蒸したもの、煮込んだ牛肉の薄切りを小麦粉の薄皮で巻いたものと、台湾風炒めビーフンをご用意した。この二年餘り、感染病の影響で台湾に旅行することも出来なくなっている。我々は、奥様と食事をしながら、台湾のおいしいものを回想していた。話が、配偶が林先生の『飲膳札記』を授業の教材にしていることに及ぶと、奥様は、以前似たような本を見たことが有る、作者は「辛永清」で、結婚して日本に来て、日本で中国料理を教えていた人で、大変良い印象を持っている、と仰った。お話を伺っている途中に気付いたが、奥様が仰っているのは、私が東華大学図書館に並んでいる数多くの料理本の中からただ一冊選んで借りてきたあの本のことだった。

台湾には、誰にも予想できなかった政治的原因で、中国各地の様々な美食が集まってきた。それに改良が加えられて、台湾人の口に合うような料理が形成されている。傅培梅、林文月、辛永清の三氏は、いずれも1930年代に生まれている。中国東北地方から国民政府と共に台湾にやってきた傅さん、上海の租界に生まれて、その後台湾に帰ってきた林先生、子供の頃から台南で育った辛氏、全く異なる背景を持つ三人が、それぞれ同じように台湾人の飲食の記録を作り、日本にまで広められたというのは、何と不思議な縁であろうかと思わざるを得ない。現在では、ネット上に世界諸国のシェフや美食youtuberたちが料理を教えてくれるチャンネルが有り、動画の説明どおりの手順を踏んで行けば、誰でも殆ど失敗することなく、美味しい料理を作ることができる。紙の料理本の妙味は、読者それぞれの理解力・想像力に応じて、出来上がる料理が必ず予想とは異なるものになってくる所に在る。それでこそ面白い、と私は思っている。

台湾には「飯食う人は皇帝と同じ」という言葉が有る。食事をしている人は皇帝のように偉い、どんな大事な用が有ろうとも、食事が済むまでは控えておけ、という訳だ。そして、台湾人の挨拶の言葉は「しっかり食べましたか?」だ。食事が我々にとって如何に重要であるか、お分かり頂けよう。子供の頃、食事の席で父が私たち兄弟姉妹に繰り返し教訓したのは、住むのは立派な家でなくともよい、着るのは有名ブランドでなくともよい、しかし食べる物だけはしっかりと良いものを食べよ、ということであった。数十分から一時間かけて準備した食事も、食べる時は十五分もかからない。そこまで手間をかける必要があろうか?と思う人は少なくない。確かにそうかもしれない。人生の中で何を優先するかは、人それぞれ。ただ私は、料理を作る楽しみや、食事の重要性を感じることができない人は、損をしているなあ、と思う。数年前、配偶が自分の学術書の後書きで、北京大学の学食職員たちへの感謝を述べているのを見て、同僚や学生たちは可笑しがっていた。確かに、学食の職員に謝辞を書く人は珍しい。しかし、私にはそれはしっくりきた。彼らのお陰で、私たちはしっかりと食事をして、しっかりと勉強することができていたのだからである。

(2022/8/15)

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葉純芳(YEH CHUN FANG)
1969年台湾台北生まれ。台湾東呉大学中国文学系博士卒業。東呉大学、台湾大学中文系非常勤助理教授、北京大学歴史学系副教授を経て、現在鋭意休養中。著書は『中国経学史大綱』(北京大出版社)、『学術史読書記』『文献学読書記』(合著。三聯書店)など。