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新国立劇場 ペレアスとメリザンド|秋元陽平

新国立劇場 ペレアスとメリザンド
New National Theatre, Pelléas et Mélisande

2022年7月2日 新国立劇場
2022/7/2 New National Theatre

Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<キャスト>        →Foreign Languages
【ペレアス】ベルナール・リヒター
【メリザンド】カレン・ヴルシュ
【ゴロー】ロラン・ナウリ
【アルケル】妻屋秀和
【ジュヌヴィエーヴ】浜田理恵
【イニョルド】九嶋香奈枝
【医師】河野鉄平
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

<スタッフ>
【指 揮】大野和士
【演 出】ケイティ・ミッチェル
【美 術】リジー・クラッチャン
【衣 裳】クロエ・ランフォード
【照 明】ジェイムズ・ファーンコム
【振 付】ジョセフ・アルフォード
【演出補】ジル・リコ
【舞台監督】髙橋尚史
【合唱指揮】冨平恭平

 

メーテルランクの詩的言語は二重である。それは一方で簡潔かつ日常的、他方で隠喩的で形而上学的だ。「触らないで」「気をつけて」「窓を開けて」そういった台詞のひとつひとつが、字義通りに受け取れると同時に、それを超越した黙示録的次元を開示する。あらゆる象徴がそうであるように。この二重性ゆえに、初演時にあっては、状況の詩的な抽象性に似合わぬことばの卑俗さが観客を当惑させた。ところが、ケイティ・ミッチェルによるこのたびの翻案においては、むしろ状況の卑俗さのほうに全体を照準することで、言葉の持つ隠喩性を転位させる。このような措置がとられるのは、彼女によれば、メリザンドを頂点とする隠喩の体系において、しばしば女性が、不可解であると同時に無数の意味を押しつけることのできる従属物に変えられてしまうからだ。つまり、世界は女のように謎めいていて、謎解きをするのは男というわけだ。ヒロインを人間として救出するには、ともあれ一旦、脱神秘化が施されなければならない。こうしてメリザンドの長い髪をめぐるシークエンスも、遠回しな言葉で盛り上がる不倫カップルの睦み合い、という文字通りの情景へと成り代わる。ミッチェル流の象徴主義の脱構築においてはもはや、文字通りの意味が「聖的」な意味を内包しているのではない。むしろ単純なことばに見えていたものが、より露骨な「性的」意味の婉曲表現としての含みを持つ。「触らないで」は、要するに痴漢行為に及ばないでくれという意味でもあるわけだ。ここで言語の象徴性というものは、男が自分の欲望を美化するために必要としたお為ごかしとしても現れてくる。
だが、このような現実に観客を完全に引き戻すだけでは、メリザンドの台詞の持つ謎めいたトーンはどこか拠り所を失い、宙に浮いてしまいかねない。本演出の危険はつねにここにあるのだが、少なくとも脱神秘化と同時に、再び夢の魔術が導入されていることに着目しよう。本演出でその作用を担うのは、しばしば導入される分身(ダブル)だ。メリザンドの分身はブルジョワジーの住居と化した森の中に入り込み、見ることのできないはずの暗部に侵入する眼差しとなる。禁断の愛のさなかでも、どこかで誰もが自らを冷静に、あるいは呆然と眺めている。ゴローもまた、まだそこにいないはずの時点でメリザンドたちを眺めている。この演出のメインフレームはメリザンドの「夢」であるが、作品全体を支配するモチーフとして重要なのは夢や分身といったことよりもむしろ、それらが可能にする離人症的な窃視である。ゆっくりと手足を動かして壁画のように動く人々の姿(クロード・レジへのオマージュのようだ)、そして本公演の白眉のひとつである卓越したライトワークで彩られる、ハマースホイ風のどこか虚ろで寂しい大邸宅の室内が、観るものを再び幻想へといざない、隠喩を再び活性化する。ミッチェルの読解はそれ自体、英国のレヴューが繰り返し書き連ねるようにたしかに「偶像破壊的iconoclastic」なフェミニスト批評なのだが、それを可能にしているのは、幻想を告発するだけでなく、フィクションにべつの幻想を供給するその手練、その美的な強度である。メリザンドはたしかに謎の女であるが、それは象徴主義が都合良く祭り上げた女性性ゆえにではない。作中の台詞にあるように、むしろ彼女が表象するのは世界そのものの謎であり、人間一般の心の中の謎として置き直されている。メリザンドの分身は、謎そのものに「なる」のではなく、この謎に「直面する」女性という主体的な位置取りを形象化するための仕掛けでもあろう。
大野和士と東京フィルが、場面場面にねっとりと絡みつき滞留する濃厚な、ともすれば小節の効いた演奏でこの蒼白い舞台にふんだんに官能的色彩を与える。歌手はコミカル、コケティッシュ、ミステリアスと複数の演じ分けを成し遂げたメリザンドはもちろんだが、むしろゴローを演じたナウリの存在感が際だった。
ところで、こうした読み替えが、メーテルランクのもっているテクストの情緒を本質的に削いでしまうという批判があるとしても、この作品に関しては、少なくともこれが原作を無視した改変であるとはただちに言えない、つまり、象徴の持つ機能に賭けられていたものが、ここで再び問い直されているからだ。このタフな読み替え戦略の貫徹を思えば、これほどまでに演出家の強い意志とコントロールを感じたことは、近年の新国立劇場での観劇体験においてかつてなかったように思う。

(2022/8/15)

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<Cast>
Pelléas: Bernard RICHTER
Mélisande: Karen VOURC’H
Golaud: Laurent NAOURI
Arkel: TSUMAYA Hidekazu
Yniold: KUSHIMA Kanae
Un médecin: KONO Teppei
Geneviève: HAMADA Rie
Chorus: New National Theatre Chorus
Orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra

<Creative Team>
Conductor: ONO Kazushi
Production: Katie MITCHELL
Set Design: Lizzie CLACHAN
Costume Design: Chloe LAMFORD
Lighting Design: James FARNCOMBE
Choreographer: Joseph ALFORD
Revival Director: Gilles RICO