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パリ・東京雑感|「人が神になる」宗教がなぜウクライナ侵略を祝福するのか? 「第三のローマ」の幻影|松浦茂長

「人が神になる」宗教がなぜウクライナ侵略を祝福するのか? 「第三のローマ」の幻影
Ukraine War Divides Orthodox Faithful

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

スヴャトヒルシク大修道院

ウクライナのスヴャトヒルシクに、巡礼者が大勢やって来る大修道院がある。川に沿った高い丘に、まっ青なねぎ坊主屋根の建物が連なる姿は壮観だ。この素敵な修道院にも、たびたび砲弾が飛び込んで、少なくとも4人の修道僧と尼僧が殺されたし、境内にある木造のねぎ坊主を沢山つけた中世風の貴重な教会も焼けてしまった。
この修道院がロシアの敵の宗教だというのなら、砲撃されるのも理解できなくはないのだが、スヴャトヒルシク大修道院はロシアに忠誠を誓う正教。(独立ウクライナ正教との混同を避けるため、「ウクライナ正教モスクワ総主教庁系」とややこしい名称で呼ばれる)。司祭と信者は、ミサの中でロシア正教の総主教キリルさまのために祈るのだ。キリルさまといえば、ウクライナとの戦争を「ゲイ・プライド・パレード」のごとき西欧のたたりからロシアを守るための聖なる戦い(悪の支配に対する形而上学的戦い)だと言って、戦争を祝福したお方。プーチンの戦争イデオロギーの担い手である。
2月に戦争が始まると、信者たちはロシア直系の修道院なら弾も遠慮するだろうと期待して、子供60人をふくむ300人ほどが避難してきた。彼らも修道僧と一緒にキリルさまのために祈ったのに、その甲斐もなく、砲弾の標的になってしまった。

焼け落ちたウクライナ最大の木造聖堂

砲弾が飛んできたとき、尼僧ヨアンナはお祈りの最中だった。壁が吹き飛び、その破片が彼女の頭に当たった。病院のベッドに横たわるヨアンナさんは「ロシア兵は修道院を砲撃しました。でも彼らは命令に従っただけなのです。私たちは兵士たちのために祈ります。神さまが彼らを目ざめさせ、自分たちが何をやっているのか悟るように祈るのです」と言う。
キリル総主教に祝福されたロシア軍の砲弾でケガしても、総主教への忠誠は揺るがない。ウクライナのアントン・ゲラシェンコ元内務副大臣は「ロシア軍は修道院を迂回して進むことも出来たのに、直進したのです。彼らには聖なるものへの畏れなどありません。」と言う。ロシアを愛し、ロシアのために祈る教会を破壊し、司祭たちを殺すプーチンの流儀には、深い意味がありそうだ。

町も教会も破壊され、肉親を殺されたウクライナ人が、この戦争を祝福したキリル総主教を指導者として仰ぎ続け、彼のために祈り続けることができるだろうか?
アンドリー・ピンチュック神父は、「信者の目をのぞき込むのが恥ずかしい。キリル総主教の身の毛のよだつ好戦的な言葉を聞くのが恥ずかしい。ウクライナ正教の司教たちが、モスクワに見捨てられるのを恐れて、何も言おうとしないのが恥ずかしい」と嘆く。

聖ソフィア大聖堂のモザイク『祈る聖母』

同じ正教でもモスクワから独立したウクライナ正教会がある。そもそも最初にキリスト教が入ってきたのは、モスクワではなくキーウ。988年のことだ。聖ソフィア大聖堂の神々しいモザイク(11世紀)を見れば、キーウがモスクワの大先輩であることは一目瞭然だろう。ところが、モスクワの教会は時と共にキーウの教会より強くなり、やがてモスクワ大公国が帝国になるとウクライナ正教はロシアに呑み込まれてしまう。
それでも、僕が1991年にキーウに行ったとき、ウクライナ独立正教のミサに出会えた。十数人の信者しかいないちっぽけな教会だったが、明るくはつらつとしたものがあふれ出ていた。あの聖ソフィア大聖堂のモザイクの喜びにあふれる明朗、親しみやすさにつながる霊性だったのかもしれない。

モスクワでのぞいたロシア正教のミサは、聖書を朗読する僧侶の地の底からわき上がるような力強いバスの声、黄金の杖をつき十字架と杯を捧げた司祭たちの行進、とろけるようなソプラノのいささかセンチメンタルな聖歌が、恍惚とさせる美をかもし出していた。その美は、どこまでも華麗かつ厳かで、まるでオペラの一場面のようにドラマティックだが、「明るい」とか「はつらつ」とかの形容とは無縁だ。暗く、重々しく、どこか悲しい。
それにひきかえ、キーウで見たウクライナ独立正教のミサがあんなにフレッシュだったのは、その年ようやく地下に潜る必要が無くなったせいもあるのだろう。

モスクワに従属させられてきたウクライナの教会が最初に独立を企てたのは、ロシア帝国が滅び革命政権が出来たときだ。しかし、宗教を敵視し、真っ先に司祭を殺した共産政権がウクライナ独立正教を許すはずはなく、たちまちつぶされてしまった。独立の次のチャンスは、第二次大戦でウクライナがドイツに占領されたとき。この独立も短命で、戦争が終わりソ連支配に戻ると、ウクライナ独立正教の司祭は処刑されるか強制収容所送りになった。そして第3のチャンスが、1991年、ソ連が崩壊しウクライナが独立したときだ。
復活したウクライナ独立正教は、ロシア正教に敵視され、非公認のまま若々しい生命力を示した。正教世界では、教会の独立にお墨付きを与える権限があるのはコンスタンチノープルの総主教ということになっている。ヴァルソロメオス総主教は、モスクワに遠慮してウクライナ独立正教を無視してきたが、2019年、モスクワとの断絶を覚悟のうえ、ついに公認してしまった。
晴れて正式の独立教会となったウクライナ正教会は、信者の数1500万人。モスクワに忠誠を誓うウクライナ正教会信者は500万人。プーチン=キリルの大ロシア思想にとって許せる事態ではない。彼らは、ウクライナ正教3回目の独立も、過去2回のように力尽くで粉砕できると考えているに違いない。

ロシアにはモスクワこそ「第三のローマ」だというイデオロギーがある。1453年コンスタンチノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅びると、キリスト教文明の中心は東へ移ると信じたのだ。プスコフの修道者フィロフェーイは、皇帝ワシーリィ3世に「すべてのキリスト教国は、陛下の唯一の王国に溶け込む。すでに二つのローマは陥落し、第三のローマであるモスクワは現存し、第四のローマは存在しないであろう」と書き送った。世の終わりまで、モスクワがキリスト教世界の支配者だとするイデオロギーだ。

パリにアルフレッド・コルトーが創設したエコールノルマル音楽院という私立音楽学校がある。日本人が大勢留学するし、フジテレビのメセナの相手にぴったりではないかと思い、校長のユジェルさんとたびたび会った。あるとき、ユジェルさんが「私は正教の信者です」と言う。東ヨーロッパからの移民でもないのに、なぜ正教徒なのかと聞くと、「神学的に正しいから、改宗したのです」との答え。彼の行く教会の司祭は、ピアニスト(僕も聞いたことのある名前だったが忘れてしまった)だそうだ。どうやらフランスの知識人や芸術家は、東方正教にカトリックにはない魅力を感じ取るらしい。
フランスの東方正教が特別魅力的なのには、理由がある。ロシア革命のあと、ほとんどの司祭、修道士は殺されるか収容所送りになったが、哲学者ベルジャーエフは秘密警察の取調官に向かって共産主義の誤りを理路整然と述べ立て、殺される代わりに海外追放になった。ほかにも、ロースキー、ブルガーコフら独創的な神学者が殺されずに追放され、パリに結集した。彼らが来る少し前には、ディアギレフのロシア・バレー団がパリで大成功したことだし、パリには東方の思想・文化への強い憧れがあったのだろう。パリに拠点をおくことで、東方キリスト教の霊性は一層深められ、フランス文化に大いに貢献することになる。
カトリックが『神学大全』のような整然とした知的体系を大切にするのにくらべ、東方正教は、理論より直感を大切にする。そしてイエス・キリストの使命について「神は人間となった。それは人間が神になるためである」と、途方もないことを言う。

人間の神化という教義は西ヨーロッパにおいては、まだあまり知られていないが、反対に東方神学においては、その心そのものとされる(パーヴェル・エフドキーモフ『ロシア思想におけるキリスト』)

西方キリスト教では、人間の罪を贖うために、キリストが十字架にかけられたとされ、贖罪が信仰の中心だ。自分の罪を糾明するのに疲れたヨーロッパの信者の中には「人が神になる」と聞いてパッと視界が明るくなるような衝撃を受けた人も少なくなかったに違いない。

キリル総主教

他方、本国ロシアではソ連崩壊と同時に、正教がほとんど国教のような地位を取り戻し、クリスマスともなれば、もとは共産党幹部だった大統領もモスクワ市長も行儀良く教会に行き、3-4時間も続く儀式をテレビが中継する。復活祭が近づくと、クレムリンに通じる道路に大きな横断幕が掛けられ、昨日までの共産主義勝利の標語のかわりに「キリストは復活された!」と古風な書体で書いてある。テレビニュースのキャスターは、夜のメインニュースの最後に「皆さん、今日キリストは復活されました」とにっこりした。時代に敏感な若者たちは教会を再発見し、洗礼ブームになった。
プーチン時代になると、正教の国教化は一層強まり、内務省は聖ウラジーミルに公式にご加護を求めるし、国防省の守護聖人は聖ゲオルギー。プーチンの専用機には大統領を守る聖ニコラのイコンが祭られる始末となった。
ロシアの宗教・哲学は19世紀末から20世紀はじめに大思想家が輩出し、西欧とは異なる信仰の深みを示してくれた。しかし、偉大なロシア正教の伝承はそっくりフランスに移り、本国には中世そのままの教義と信心が残ったように見える。
ロシア正教の最高学府である神学アカデミーの院長にインタビューしたとき「ロシア社会がこれほど激しく変化しているのだから、教会も改革が必要なのではありませんか」と聞いてみたが、答えはきっぱりと「ノー」。

西ヨーロッパの教会は正教から分かれ、真理から離れた。真理を失うと人は変化を求めるのだ。東方の正教会は真理を守り、真理とひとつだから、変化を必要としない。

真理は永遠不変であり、正教会は真理だから、したがって正教会に変化はあり得ないという明快な論理だ。
しかし「変えない」ためには、変化を求める動きを取り除かなければならない。永遠不変の真理を守るためには、多くの犠牲者が出るのだ。

ミン神父の教会

最も貴重ないけにえはアレクサンドル・ミン神父だ。ペレストロイカの時代、ミン神父は学校、病院、映画館にまで出かけ、いまの世界に通じる言葉で福音を説き、やがてオリンピック・スタジアムで大観衆に説教するほどのスーパースターになった。純白の衣に身を包んだユダヤ人ミンの、旧約の預言者を思わせるフォトジェニックな姿は、西側のジャーナリストに新時代到来を信じさせたほどだ。ところがそれから半年もたたない1990年9月9日ミン神父は斧で頭を叩き割られて死んだ。
僕はミン神父亡き後の彼の教会を訪ね、他の正教教会とまったく違うさわやかな空気に驚いたのを覚えている。澄んだ目の青年に声をかけると「僕はトルストイが好きです」と言うので、またびっくり。ロシア正教会にとってトルストイは教会への裏切り者であり、悪魔のような存在なのに、ミン神父の教会にはトルストイ主義者がいたのだ。
教会を変えようとして殺された神父はミン一人ではない。相前後して3人の司祭が惨殺された。
こうして、ベルジャーエフらが切り開いた20世紀初頭の清新なキリスト教を受け継ぎ、教会を生まれ変わらせる道は閉ざされ、ロシア正教はプーチン=キリル型の戦闘的帝国宗教へとまっしぐらに突き進んだのである。

(2022/08/15)