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Back Stage|ときめく音楽を 海の見えるホールから|西澤洋

ときめく音楽を 海の見えるホールから
Inspiring Music from a Hall with a Seaside View

Text by 西澤 洋 (Hiroshi Nishizawa)

ホール外観(リニューアル前)©平舘平

横浜みなとみらい21地区に集積する音楽施設の密度は、国内で他のどこにも例がないといってよいだろう。現在、私たちが2022年10月21日のリニューアルオープンに向けて準備を進めている横浜みなとみらいホールをはじめ、2023年の秋までには歩いて回ることができる範囲に300席のホールから約2万人を収容できるアリーナまで、大小10を超える施設で様々な音楽を楽しむことができる特異な場所になる。この強みを活かし世界に向けて魅力を発信できる音楽の街を目指すべく関係者が定期的に集まる委員会が立ち上がった矢先、このコロナ禍に襲われた。しかし、幸いなことに私の知る限りどの施設からも弱音やぼやきは聞こえてこなかった。こんな時だからこそ逆に使命感に燃えて前に進もうとする同業者の志の高さを誇らしく感じ、私達もきっとこの困難を乗り越えられると信じることができた。今回このような機会を頂いたので、横浜みなとみらいホールがこのたび定めた新たなスローガンを表題に掲げ、このコロナ禍が全国の音楽ホールの活動に打撃を与え始めた頃から現在までを振り返るとともに、再開館を前にして思うことを書いてみたい。

横浜WEBステージのコンテンツ例。
この動画では演奏を4つの画面で様々な角度から同時視聴できる。

2020年4月に緊急事態宣言が発出され、お客様が音楽ホールに集うことができなくなると、一般社団法人日本クラシック音楽事業協会が音頭を取り、お客様や演奏者の安全を確保するための実証実験が行われた一方で、多くの音楽ホールで無観客でも何とか音楽を届けようという努力が始まった。もともとこの時期に長期改修工事のために休館することになっていた横浜みなとみらいホールでは、新井鷗子館長の発案で計画していたWEB上の音楽フェスティバル「横浜WEBステージ」を1年前倒しで展開し、ユニークな視点によるプログラムで143に及ぶコンテンツを提供。2021年2月までに世界中から270万を超える再生回数によって音楽ファンと繋がる手応えを感じることができた。コロナ禍もホール改修工事による長期休館も初めての経験であったが、ホールに来ていただけないのならばWEB上で音楽の別の楽しみ方を提案し、県境を越えた移動の自粛が求められるなら、質の高い音楽を小規模の施設でも楽しめるサイズにして、横浜市の全18区にある身近な施設へ出かけていった。この「横浜18区コンサート」では、馴染み深い有名なコンチェルトをソリストと弦楽五重奏という組合せで聴いて頂き、密度の高いアンサンブルから生み出される美しく新鮮な響きに対して、素直な驚きの声を実に多くのお客様から頂くことができた。

2022年7月21日(木)開催「横浜18区コンサート」より
©藤本史昭

そして今、以前に比べれば社会が少し落ち着きを取り戻してきたとはいえ、次の不安が多くのクラシック音楽関係者を覆っているのではないだろうか。それは、コロナ禍が過ぎ去った後、クラシック音楽ファンが再びホールに戻ってきてくださるだろうかという不安だ。先ごろ日本クラシック音楽事業協会が会員ホールへのアンケートにより行なった2021年の回復状況の調査は、対前年比較で主催公演回数は48%程度回復しているものの観客動員数はその1/3程度の回復に留まっており、観客は未だ回復しているとは言えない状況としている。定期的にホールに足を運んでお気に入りの会員席でゆったりと時を過ごす習慣をお持ちの方々にはご高齢の方が多い。一方で、映画を倍速で観る若者たちの存在が知られるようになって久しく、時間に対するコストパフォーマンスが彼らの心を縛っているようだ。概ね90分なりを要求するクラシックコンサートに新たな顧客として呼び込むことは簡単ではない。だが、ここで私たちが心しなくてはならないのは、音楽が単に情報と同じように消費するだけのものではないことを、こうした若者たちに経験してもらう努力を重ねていかなくてはいけないということだろう。

大ホール内観(リニューアル前) ©平舘平

音楽の楽しみ方は様々であってよいと思う。王侯貴族の宮廷やサロンに独占されていた音楽の恵みをコンサートホールで誰もが享受できるようになり、さらに家庭の居間から個人の部屋へ、そしてとうとう時も場所も選ばず個人の耳を楽しませるようになり、今は同じ電車に乗り合わせたおよそ100人がそれぞれ別々の音楽を聴きながら移動時間を過ごしている。そこで思うことは、今こそドイツの文芸批評家ヴァルター・ベンヤミンがその代表的な著作『複製技術時代の芸術作品』のなかで使っている「アウラ」という言葉が意味するものを思い起こしてみようということだ。

-複製技術時代の芸術作品において滅びゆくものは作品のアウラである-
-いったいアウラとは何か? 時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である-
(上記引用部分は野村修氏の訳による)

写真や映像ばかりでなく音楽においても昨今の複製技術のレベルには驚嘆するばかりだが、ライブから生み出される「アウラ」を感じ取ること無しに、どのようにそこから至福の感覚を掬い取ることができるだろうか。また、今後この世に産み落とされるまったく新しい芸術に触れるチャンスがあるとすれば、それはライブにしかあり得ない。ライブと非ライブが共に音楽で豊かな日常を作り出すビジョンを示していかなくてはならない。歴史の広大な時空のなかで生きる人間の集団的知覚は、社会の歴史的変動によって変容するというベンヤミンの指摘を受けて、この感染症が<ホールに集い音楽を楽しむ>ということの意味をどう変えていったかを、いつか歴史が検証し評価するであろうことを意識しながら。

横浜みなとみらいホール
総支配人
西澤 洋

(2022/8/15)

横浜みなとみらいホール2022年度主催・共催事業一覧