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三つ目の日記(2022年6月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2022年6月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

食べたあと保管してあったカップ麺の容器を植木鉢の代わりにして土を入れ種を蒔いた。発芽するにはいつも湿った状態であることが大切らしかった。数日たって芽がひとつ出た。次の日芽はふたつになった。土の表面が乾かないよう気をつけていた。そして一日たった。夜、見てみると芽はふたつとも消えていた。おそらくは、日中の暑さで萎んだものと思われる。それから一週間、次の芽は出てこない。

 

2022年6月2日(木)
空間の短辺に平行に、木製のベンチが長辺を区切るようにふたつ置かれている。入ってすぐ左の、この画廊ではたいてい作品のキャプションが掲示されている場所に掲示物がない。その広い壁面には、壁掛けのスピーカー内蔵式CDプレイヤーがひとつあり、CDを回転させ動作している。奥の壁には同じCDプレイヤーがひとつと、額装された楽譜らしきもの。楽譜は二重になっており、上からは何本もの直線が引かれている。曲のタイトルかなにかが外国語で記されているが自分には読めない。その右側には、ドローイングのようななにかが額装され設置されている。その次の広い壁面の隅に、同じCDプレイヤーがひとつ。次の壁面には、ドローイングのようななにかが2点と1点展示されている。紙の上には鉛筆か木炭かなにかで記された数字と線。数字の記される位置は3枚とも同じ位置と決まっているようであったが、欠けている数があったりする。線も同じ位置に記されていたりいなかったり。ひと回りして、ベンチに腰かける。CDからの音が聞こえている。画廊の人が、音の元はハイドンの曲でありなんらかの規則に基づき抽出されていること、「メモ」も同様になんらかの規則に基づいた抽出を経て記されていることを教えてくれる。ときどき座る方向を変えたり、もうひとつのベンチへ移動したりする。
数十分。
壁と床に沿って伸びているCDプレイヤーからの電源コードを目で追う。立ち上がり、小部屋の作品を見る。印刷物に切り込みのある額装された作品。方眼紙に「メモ」の残された額装された作品。

 

 

河田政樹 夜空のレッスン
藍画廊
2022年5月30日〜6月4日
http://igallery.sakura.ne.jp/aiga878/aiga878.html
http://www.black-river.org/mkw/
●紙にインク 420×297mm 2022年(上左)、紙にインク 174×126mm 2022年(上右)
●展示風景(下)

 

6月3日(金)
梅と氷砂糖と容器を買い、梅シロップを仕込む。やってみたら簡単だった。

 

6月17日(金)
入口から右回りに、2012年の「線描」、2016年の「時間の形」、2022年の「時間の形」、2012年の「点描」、合計22点の和紙に鉛筆の作品がならぶ。どれも同じ大きさの正方形。「線描」では、重なった鉛筆の跡のなかに、描かれたというのか、描かれなかったといっていいのか、線が浮かび上がっている。線を目でとらえようと、その形を視野に刻印する。線のさまざまな固有の形は質感を帯びてそこにあるよう。「点描」には同様に点が描かれている。「時間の形」にはくっきりとした輪郭のある形は描かれていない。鉛筆の跡と重なりの様子が、制作へと至る堆積を内包しているだろうか。平面的でありながら立体物への意識がはたらいている。そんなことを思いながら、鉛筆と紙の隙間をくぐって視線は進む。作品の面を見て、その奥へと入りこんでいたような気持ちになる。
床には「地上から」という鉄の作品が1点、そして3点の台上の「一枚」という鉄の作品。いずれも円柱型で、上から覗き込むと途中までえぐられたようになっている。「一枚」では、円を二等分するような薄い鉄の板が垂直に立っており、円柱上方がわずかに狭まっているように見える。

 

 

海崎三郎展 ─鉛筆の仕事─
ギャラリーせいほう
2022年6月14日〜6月24日
https://ameblo.jp/seiho-g/entry-12748229321.html
●上の写真中央は「地上から」 鉄 2010年。壁面左から「線描7」2012年、「線描5」2012年、「線描16-7」2016年、「線描16-5」2016年、「線描16-8」2016年、「線描16-6」2016年、「線描16-3」2016年、「線描16-4」2016年、「線描16-2」2016年、「時間の形16-5」2016年(平面作品は全て和紙と鉛筆)
●「時間の形22-1」 和紙・鉛筆 2022年(下)

 

同日
空間の短辺に平行に、木製のベンチが長辺を区切るようにひとつ置かれている。壁面の絵を右回りに見ながらゆっくり通り過ぎ、ベンチに腰かける。会話する声のほか、階下からの、エンドレスで繰り返される短い沖縄民謡が聞こえている。この日は、そういったもの音も気にならず、ベンチでしばらくのときを過ごす。一瞥しただけではモノトーンの色面の絵のように判断してしまっていたのかもしれない。眺めていると、なにかが描かれているということが滲み見えてくる。なにが描かれているのかはわからない。
こういうふうに目の前にあるなにかを眺めるしかなかったことがあった。そのときのそれはむしろ絵などではなく、その場所から見えているなにかに過ぎなかった。いまも、同じような気持ちが去来している。穏やかでもなく、荒れてもいない。
すこしうとうとしたり、ペットボトルのお茶を飲んだりしていると、やがて、来場者が訪れた。ベンチを譲ってもうひと回りする。退出直前に、作品についてのあれこれを作者から聞く。それらをどこに記憶したのだろう。探して出てきたのは別のことかもしれなかった。今日の、もうひとつの現実。もうここに戻ってくることはできない。

 

 

髙馬浩
藍画廊
2022年6月6日〜6月18日
http://igallery.sakura.ne.jp/aiga879/aiga879.html
●春霞 土手の道 キャンバス、油彩 634×912mm 2022年(上左)、echo キャンバス、油彩 634×912mm 2022年(上中)、残影 キャンバス、油彩 634×912mm 2022年(上右)
●展示風景(下)

 

6月20日(月)
吉田タカヨの鉄の彫刻。硬い表皮は、その内部を守っていたのだろうか。裂け目は、自ら生じたものなのか、外部からの力によるものか。そこから覗くと重なる層が見えたりする。内側は空洞だが、宿るものがあるだろう。奥へと踏み入ることがためらわれる。種子や繭、生物の卵を思わせる形態。
黒い直方体の台の上の褐色の大きな自刻像は浦上桜の作品。周りの壁面には頭部や上半身。いずれも脱活乾漆による像である。「うつくしい人生 否定しないでいて」という作品では、ベロを突き出し、白眼とともに金色に輝いて正面を向いている。表情からなにかを推し量る。
壁と床の際に、三色のコンクリートブロックの小片と、薄い金属を切ってできた葉のように見えるもの、そしてブロックを貫通する茎。その左上の壁、薄い木の板の台に、色の塗られていないコンクリートブロックの小片と金属の葉と茎。それから、フォークの柄かなにかで構成されているミノカサゴ。これらは稲嶺春菜の作品。
一巡して、入口の壁にあったそれぞれの略歴や文章を読む。出身はさまざまだが、3人とも沖縄で学生としてすごしている。浦上は自らの体験などをもとにジェンダーをテーマに、稲嶺は生まれ育った沖縄での記憶にまつわる作品を、それぞれ制作しているらしいことも記されていた。

 

 

三叉路 Vol.1「オキナワ」 稲嶺春菜/浦上桜/吉田タカヨ展
GALERIE SOL
2022年6月20日〜6月25日
●展示風景(以下写真は上から)
●吉田タカヨ 「嘆きの白」 鉄 160×200×200mm 2020年
●浦上桜 「うつくしい人生 否定しないでいて」 脱活乾漆 140×115×130mm 2021年
●稲嶺春菜 「構想された花(3)」 コンクリート、ステンレススチール 150×100×110mm 2022年

 

6月23日(木)
どこかで食べた紫たまねぎのピクルスの色がきれいだったのでつくってみる。ピクルスのつくりかたを調べて、酢に砂糖を少し入れて熱し、そこに漬ければいいのだと大雑把に理解する。

 

6月30日(木)
大きな紙を本くらいの大きさに切る。切り揃える際に出た端っこの細長い紙片を捨てられなくなり、まとめて瓶に挿して棚に置く。

(2022/7/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。