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フィディアス・トリオ / Phidias Trio vol.5 “Connect the Dots”|西村紗知

フィディアス・トリオ / Phidias Trio vol.5 “Connect the Dots”
Phidias Trio vol.5 “Connect the Dots”

2022年6月23日 杉並公会堂 小ホール
2022/6/23 Suginami Koukaidou Small Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by 後藤天/写真提供:Phidias Trio

<演奏>        →foreign language
Phidias Trio(フィディアス・トリオ)
ヴァイオリン:松岡麻衣子
クラリネット:岩瀬龍太
ピアノ:川村恵里佳

<プログラム>
ヨハネス・マリア・シュタウト: Bewegungen (1996)
安良岡章夫: 無伴奏ヴァイオリンのためのアリア (1992)
アルバン・ベルク: 室内協奏曲より 第2楽章 アダージョ (クラリネット三重奏版)
―休憩―
ゲラルド・レッシュ: Sostenuto (クラリネット三重奏版)(2017) 世界初演
アントン・ウェーベルン: ヴァイオリンとピアノのための4つの小品 op.7
トーマス・ヴァリー: Soliloquy (2012) 日本初演
安良岡章夫: アリア・スコンポスタ II (2020)

 

2017年に結成されたフィディアス・トリオの5回目となる主催公演。「Connect the Dots」という今回の企画の趣旨は、安良岡作品を中心に置き、彼が敬愛するベルク、ウェーベルンの作品、並びに新ウィーン楽派の生まれた土地で現在活動中の作曲家の作品を置くことで、点と点の結びつきを提示することにある。この場合点the dotsとは作品ないし作曲家のことである。だが筆者が感じ入ることの多かったのは、作曲家ごとのぱっと知覚できる限りでの影響関係よりも、作品内部のConnect the Dotsについてであった。
ひとつひとつの音がなにゆえに連結されうるのか、この作品はいかにして存在しうるか。音(the dots)は確かに実体だ。しかし音への想念(connect)はこれ自体実体ではない。だがこれは、決して明かされない謎として、謎のまま作曲家や演奏家のうちに引き継がれていく。作品のオリジナリティとは、謎に対するひとつの解釈行為のことかもしれない。

最初はピアノ・ソロ作品であるヨハネス・マリア・シュタウト「Bewegungen」。動きの様々な意匠。長7度の凍えた響き、全体に行き渡る硬質なアタック。序盤は不定形な音型がうごめき、中盤になると持続の間隔が空いて残響に主役が譲られる。のち、右手には不規則なリズムの音型。
長7度の厳しい響きは、安良岡章夫「無伴奏ヴァイオリンのためのアリア」の最初の方にも聞こえる。しかしこの響きはもっと熱をもっている。今ひとたび取り戻された、ヴァイオリンの肉感と情念。最初の展開は、1度の重音、旋律、ピチカート、駒寄り、また歌うようなパッセージにと、かなり急だ。その後曲想が落ち着いて、最後は再び情熱的になる。
アルバン・ベルク「室内協奏曲より 第2楽章 アダージョ」では、一転して3度や6度の柔和な響き。3人の距離が近づいたり離れたりすることで生まれるアンサンブルの立体感。

全体として演奏は爽やかであった。作品に対し誠実かつ中立的な音楽だと筆者は感じた。ベルクだったら情念のこじれであるとか、ウェーベルンであればオドラデクのせせら笑いのようなものであるとか、筆者はそういうものを予想していたのであるが、それよりももっと健康的な情感が行き渡っていたように思った。どの作品も他の作品との絶えざる干渉の最中で在った。そもそもの点の始まりである彼ら新ウィーン楽派の音もまた、神聖不可侵な存在ではなく、常に現在から逆照射を受けるに至ったということだ。これは、この企画全体のひとつの重要な価値判断でもあった。点の間の揺れ動きの中に、彼ら二人の作品をも投げ込んでいくことで、息吹を吹き込み直す。

ゲラルド・レッシュ「Sostenuto」。ヨハネス・マリア・シュタウト「Bewegungen」と丁度反対の内容に聴こえる。長めの音価に丸みを帯びたアタック。急に激しい断片が挿入されることはあっても、それ以外のところのアンサンブルは弛緩している。
アントン・ウェーベルン「ヴァイオリンとピアノのための4つの小品 op.7」。極小形式は火花。この日のプログラムにおいてこの作品は影響関係の始点に置かれていたわけだが、そのことでなお一層、謎として現れてくる。
クラリネットソロ曲、トーマス・ヴァリー「Soliloquy」。静かな一人語り。伸びやかな息に楽音が混ざっていく。重音も美しい。

作曲家と同じように、音もまた揺れ動きの中に投じられる。点の数々(音、作品、演奏家)は、いくつかのパラメーターの極の間を動き回る。スタティック/デュナーミク、響きの厳しさ/柔和さ、アタックの強/弱、身体性/超越性、などといったパラメーターを、である。

演奏として一番優れていたのは最後の安良岡作品「アリア・スコンポスタ II 」であった、と筆者は思う。比較的近い音域で3人の音色が混ざるところは繊細さを保持したままに。ベルクのアダージョとはまた違った、何か分かちがたい親密さを感じる。

音楽とは、またの名を、謎を愛する力のことであろう。

(2022/7/15)

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<Artists>
Phidias Trio
Maiko Matsuoka (violin)
Ryuta Iwase (clarinet)
Erika Kawamura (piano)

<Program>
Johannes Maria Staud: Bewegungen
Akio Yasuraoka: Aria for Violin Solo
Alban Berg: Adagio from Chamber Concerto for Violin, Clarinet and Piano
-intermission-
Gerald Resch: Sostenuto
Anton Webern: 4 Pieces for Violin and Piano op.7
Thomas Wally: Soliloquy
Akio Yasuraoka: Aria Scomposta II