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五線紙のパンセ 2)音楽と社会、音楽の真理|佐原詩音

2)音楽と社会、音楽の真理

Text & Photos by 佐原詩音 (Shion Sahara)

こんにちは。作曲家の佐原詩音です。今回は、「音楽が社会に及ぼすもの、未来の音楽が社会とどうつながっていけばよいのか、そして音楽の真理について」考察します。実は、体調を崩し、先月の寄稿(2022年6月)はお休みさせていただきました。この場をお借りしお詫び申し上げます。この回では、最初にテーマとして掲げた「音楽と哲学、音楽と社会、音楽の真理」のうち、2・3番目をまとめて書き綴ります。最後までお読みいただけたら幸いです。

都内で電車に乗ると、皆うつむき携帯を見ている。小さなスマートフォンには古今東西の書物に音楽に動画、オンタイムのネット記事が詰まっている。それが2022年の日常だ。作り手は目の前におらず、受け手も特に声をあげない。誰が作ったか、誰に届くのか両者わからなくてもよい。そうやってたくさんの”作品”が大量に制作され消費され、流れていく。こういった時代で”何か”を残していくにはどうしたらよいのだろう。

私が作曲を始めた21 歳のとき、「人に聴いてほしい」とはあまり思わなかった。頭の中の”音楽”をただ、楽譜や演奏によって具象化したい。うまく書けない部分は音大で勉強し技術を得て、進化させたい。そうして作品を創作しては、宝物のように蓄積していけたらよいと感じていた。日曜作曲家のように、本職と別に休日に趣味で作曲をするなど。今思えば甘い考えだし、拙くも音楽で仕事を得ている身なので、そんなことを言えば周囲にいろいろな誤解をもたらすが、これはこれでひとつの原点だ。なぜなら、たとえこの世に自分ひとりだけになったとしても、私は歌ったり踊ったり楽器を弾いたり、鳥や風や波の声を聴いたり、頭の中で音楽をかき鳴らして生きていくと思うからだ。つまり他者を必要としないものが、芸術の根源にはある。虚しさを感じれば、人はたぶん内面から何かを探し出す。私の場合も孤独や虚無を埋めるための自然な欲求として、何より誰より自分の幸せに必要だと感じて音楽人生がスタートした。音楽の聴き手の唯一無二の1人目は、「自分」。だから今も、芸術の原点は、「個」にあるといつも思う。他者に伝えたいという欲求は、対人や文化、社会への意識が発展してから生まれるもので、芸術の原点は、生物そのものに内包された、精霊のような何か、揺るがない存在だと思う。だからこれだけ多くの”作品”が世に溢れているのだろう。しかし、創作…それだけではちょっと寂しいものだ。人間は豊かな余暇を楽しむために、”共感”を育んできた。社会へどのように届け、何が返ってきたら芸術家は幸せなのか、社会はどんな変化を望まれるべきか。きれいごとや理想論にならないよう、順に考えてみたい。

2022年正月、宮城県松島の太陽に、自然に内包された精霊のような何かを感じた。芸術の原点は「個」だ。

私には、受験時代も含め作曲の師匠がたくさんいる。受験時代は3人の先生、東京藝術大学に入学してから作曲をご教示いただいたのは4人、夏田昌和先生、安良岡章夫先生、福士則夫先生、鈴木純明先生だ。のちほど、先生方にいただいた言葉を紹介しながら、まずは大学時代を振り返ってみる。私が卒業した2013年頃の東京藝大は、進路について「卒業したらどうするの?…そうなんだ。がんばってね。」という淡々とした空気があり、一般大学のような職業訓練や企業斡旋はあまりなかった。今でもそうかも知れない。「どうやって生きていこうか」という悩みは、教員や職員が多少なり相談にのってくださるものの、学生がそれぞれ考えて、紆余曲折ありながら、何らかの道を見つけ、はたまた自ら開拓し、様々なベクトルで進んでいく。音楽学部だと、大学院、留学、オーケストラやオペラ、吹奏楽、合奏団体への所属、音楽関連企業・組織への入社、音楽ビジネスの起業、サイドビジネスへの転身、音楽教師、スタジオミュージシャン、フリーランスなど。家庭が経済的に裕福な学生も、それと真逆で早朝から真夜中までアルバイトをして学業に勤しむ貧困学生もいた。どの環境にしろ、その多くが一心不乱に音楽に打ち込んでいた。きっと大学側の意向は、「芸術は人生をかけ必要不可欠である一方で、多くの大衆の余暇でもある。数限られた職業芸術家になるための道は自分で模索しましょう」ということであったと思う。

戦後すぐは、復興や高度経済成長のための就労、多産が推奨される雰囲気があったが、昭和後半や平成は、不景気や貧困の波はあれど「職業選択の自由=やりたいことをやってみる」という方向が徐々に、多くの国民の人生のテーマとなった。音大などはその最たるもののひとつで、学生らは、音楽=仕事にしていく過程を悪戦苦闘しながらも楽しんでいる。優れた能力と努力、人間的魅力、世渡りの巧みさなどで、有名になっていく人もいれば、大きな受賞歴もなく現代音楽のコンサート企画という特殊な畑を地道に掘削する私までいる。ただ、どの道を進んでも、皆が最初に強く体感したのは、ビジネスモデルが体系化されていない音楽で収入を得るのは、とても大変だということだろう。コロナ禍の今、より一層いばらの道だ。「リサイタルをやります」と自主企画すれば、音楽的クオリティ、集客、企画コンセプト、採算、その過程や終演後の達成感、すべての成功が目標だが、それら全部を自分でやり遂げるのは至難だ。パフォーマンスの一回性・一過性は、楽譜やテクストが作品そのものにならず、サウンドの現象が大きく伴う。ディテールに拘り、作品への密着を深めることが何よりの目標となるだろう。私自身いくつかのコンサートを企画しては反省を繰り返し、まず企画者として先の「難しさ」を強く実感している。それとともに、私は音楽で社会に何を投げかけたくて、どんなレスポンスを期待しているのか、自分によく問いかけるようになった。

毎年開催している作曲個展や企画公演には、音楽を通じて、異文化との融合、物語の教訓、子どもの視点などを伝えたいというコンセプトがある。

コンサートというのは、人気のある公演=常に素晴らしいとも限らない。満席であっても、「うーん」と唸って帰宅することもあれば、お客がたとえ数人でも、その全員が「素晴らしかった!」と数日興奮することもある。世間の評判以上に、いろいろ行ってみないと自分が好きになる音楽に出逢えない。評価がまちまちになるときの理由は、昨今の音楽の多様性による未解決の疑問や消費流行型が影響し、作品や演奏の真価が定まらないまま過ぎ去っていくことが幾分あるのだと思う。それに加え、今では誰でも芸術創作に携われることで、質的価値と商業的成功のアンバランスも起こる。コンサートに限らず、有料配信や制作物販売をする場、多様なメディアアートの制作現場など。感動ではなく商業的売り込みがやけに印象に残ったり、もっと売れてもよいであろう音楽にふと道端で出会ったり。そんななか、YouTubeなどのプラットフォームで多くの人が簡単に音楽を聴けることを利用し、チャンネル登録者数を伸ばし、大きなバックアップや支援を得て、実力で独自の収入形態を獲得していく人もいる。優秀な人は自然と人が集まり、有力な支援者もつく。先進国で職業音楽家として生きていくには、その本質が煌めくなら、そう難しいことではないのだろう。一方で私は、足りない職種や人間に本来不可欠な仕事、温暖化などの危機が世の中にあるのに、「やりたいこと」だけをやっていてよいのか、時折考える。すべてをロボットやAIに任せずに人間が担うべき仕事(特に介護、看護、マイノリティ支援、環境支援や教育など)は、これからの時代に皆が万遍なく手分けして手掛けたらどうか。それでいて、「今はこれがやりたい」とそれぞれ邁進できる環境が目指す世界だと思う。そんなふうに、次世代は全体の職業バランスを取れないだろうか。恩師の一人、鈴木純明先生は、2021年秋に、作曲個展をどうにか毎年続けている私におっしゃった。「書きたいから書くんだよね。それを継続するのが何よりの力になるとつくづく実感するよ。」と。悩んでいた私は、堂々と「やりたいことをやる」ために、世の中に直接必要なこともできるようになりたいと思った。

「音楽で生きていく」…この言葉は、音楽を職業として成り立たせ、生計を継続して保っていくこと。それと並行して、「音楽と生きていく」…こちらの言葉は、音楽面の収入に関わらず、音楽を人生の豊かな糧、生きがいとして大切にしていくこと。どちらか一方ではなく、後者が前者につながっていくイメージのはずが、資本主義経済ではよく、これらを単にプロとアマチュアに分断したり、キャラクター先行の娯楽形態を全面に、「売れそうなものを売る」戦略でアプローチする。売るための近視眼的な策略が氾濫し、音楽と社会の関係性についてコミュニティが目指すものがなかなか見えないこともある。しかし、今の時代、多くの若者が既存メディアから離れ、独自の選択で音楽を模索するようになった。チャンスは多くの人に到来する。ちょっと面白い時代になったなと思う。これからの音楽業界の存在理由とは何なのだろう。著作権などの知的財産権はどこまでいつまで必要なのだろう。私たちが真に良い音楽だと思っていくものは何なのだろう。どうやって楽しんでいけばよいのだろう。私より新しい世代が生み出す、「偽りのない真っ直ぐな選択」に一種の希望を感じる。音楽以外でも、すべてのカテゴリーにおいて、若者は真実を探し求めている。夏田昌和先生は、レッスンでよく、いろいろなCDを聴かせてくださった。「これね、面白いのよ。全然現代の作品じゃないけど。ね!このティンパニ、良いでしょ?」そのときは、ラモーの「ザイス」序曲だった。他にもたくさん。良いと思うものを真っ直ぐ伝えてくださる姿勢とニコニコされる笑顔が、いつも素敵だった。

ポピュラー音楽や現代音楽は、伝統音楽と違って新しく創作されていく。もちろん伝統を踏まえた上の新作もあるし、作品は既出でも、演奏家によってそれまでにはない新たな発見や感動を人々に伝えられることもたくさんある。これらには、世界中の人々へ、どこに向かって行こうか考えることを激励する力がある。作り手が導いた結論の提示は、個人のアイデンティティの形成に影響を与える。音楽を聴いている時は独りぼっちでも、同志を想えば連帯の感覚が生まれる。音楽に感応した人間は決して隔絶しない。彼らは翻って社会に絶大な影響をもたらす。今、多くの人に聴いてもらうチャンスを自身の手で掴める時代となった。テクノロジーの進歩によってだ。「音楽で生きていく」ことは兎にも角にも個々が頑張るとして、「音楽と、そして仲間と生きていく」ことを、多くの人と簡単に共有できることになったことは喜ばしい。これは理想の時代の第一歩だと思う。音楽は社会に大きな共感をもたらすのだ。

遥か昔から、歌は世を映す鏡として、私たちの身の回りの出来事を映し出し、伝統的に次世代へと受け継がれてきた。楽譜がない多くの民俗音楽は、作曲家の手を離れた”みんなのもの”という認識で、音楽そのものが世を渡ってきた。20世紀に入り、オーディオなどの技術革新が世界をあっという間に小さくして、音楽を以前より大きなスケールで広めた。録音技術の進化は、人々の音楽の地平を劇的に拡げる重要な役割を果たした。こうして名演やスピリチュアルな音楽が次々に録音され、迅速かつ幅広く届けられるようになると、創作側は拡大し続けるオーディエンスと自らの体験を共有することが可能になり、聴き手との間にエモーショナルな絆を築き上げた。学生時代、作曲棟で八村義夫作品のスコアをよく持ち歩いていると、安良岡章夫先生がレッスンで一言。「八村さん好きなの?あーたの音楽は似ているところがあるかもね。逢えたらよかったね。録音たくさんあるから、いろいろ聴いてごらん。」…そのとき会えなくても、そうやって出逢える時代に生きて、共鳴できる仲間と出会えて、幸運だと思った。

個展vol.3にて「シュレーディンガーの猫たち」というモノオペラを書いた。
楽譜も動画も、インターネットに残っている。

文化は元来、母体となるコミュニティから自然発生し、その動向に合わせて分裂・結合を繰り返しながら多様化してきた。こうした社会での音楽業界は、本質的には、独り歩きしていく文化に相乗りする形で商業が展開され、文化消費のカンフル剤として作用することこそあれ、業界自体が文化をゼロから生み出し、定着させたわけではない。文化の導入はそもそも、「文化の母体となるコミュニティの性質そのものを、別社会にそっくり移植し、機能・定着させる」という、言語や歴史観をはじめとした諸々の違いを補填する啓蒙・教育活動が必須となり、これらは大航海時代から現代までの侵略・植民地化などにおいて強者から弱者へ行われてきた。今、資本主義社会で企業の存在目的は、利益を生むことだ。地域を超えて市場は拡大され、一部の文化は加速して、融合・混在していくように思える。しかし、魅力ある芸術や文化はその性格に関係なく、商業的に消費されるだろうという沁みついた感覚もなく、心揺さぶられた人たちのコミュニティにすーっと浸透していく。

人には感情や意思があり、社会と関わればそれを伝えたい本能が芽生える。それが身体的感覚を通して表現される。子どもは全身と五感を駆使しながら、遊びをとおして人や世界との関わり方を発見していく。成長すると、自分の感情をより多様かつ洗練された方法で表現したい、より多くの人に意思を上手に伝えたい、もっと大きな世界を知りたい、という欲求が出てくる。その様式化されたものが音楽や芸術だ。言語表現であれば文学や詩、身体表現であれば楽器演奏、舞踊、絵画など。私は冒頭で、まずは誰に聴いてもらうでもなく作曲をしたかったと述べた。そして、いざ作品ができあがり、そして、こうやって仕事を進めるうちに、いろいろな人に聴いてほしいと強く思うようになった。これからの時代に思うことは、資本主義社会であっても、単に職業音楽家として線引きすることなく、「音楽とともに生きていくうちに音楽で生きられるようになった」という人が増えていくのではないかと想像する。表現することは、個性の発達や集団社会の精神の形成につながる。子どもにとっては遊びが、大人にとっては芸術が重要な役割を果たす。だから、どんな社会が形成されようと、音楽でお金を稼がねば…という目標が至上にはならない、音楽の在り方が大切だ。良いと思う音楽をひたすら求め、感動を共有するコミュニティがそれを強く保持し、社会的価値をおいていく。そういった視点から、私の場合、自分の作曲が他者にとって価値あるものになれば嬉しい。お金は二の次で、そういう姿勢を忘れずにいたい。そう思って、まだ自分で稼げない年齢の子どもたちの音楽レッスンはできる限り安く、そして仕事とは別に常に書きたい作曲を続けようと決めた(うまく書けないこと多々…一生かけて向き合うしかないですね)。福士則夫先生はレッスンで、「佐原が心底好きな音楽を追究してよ。それで、ぼくがのけぞるような音楽を書いてよ。」とおっしゃった。私の音楽でも、内へ外へ広がることで、いつか誰かを、世界を、変えられるかも知れない。

2018年に訪れたリトアニア・シャウレイにある”十字架の丘”は、人々の深い嘆きと慈悲の心が結晶化した地。
音楽もそうやって結晶化され、生き続ける。

太平洋戦争の敗北から77年。資本主義経済は日本のほとんどの分野・領域に浸透し、全体統制のなか、利益を得て大きくなることを第一とする考えが広まった。その欠点として、技術が進歩し生産物に余剰があっても、いくらかの人々はお金を稼ぐことが厳しく、心身の貧しさを感じる世となった。今、日本の子どもの貧困率は7人に1人だそうだ。それでも音楽との出逢いや感動によって楽しさを知れば、子どもから大人まで多くが時間と心を費やしている。国家の体制に関わらず、音楽が社会に与えるものは、人間の揺るがない精神や普遍の真理だ。音楽は人を直接は救えないが、心を豊かにし、ときに深く突き刺す。言葉以上に意思を伝えることがある。私たちがいくら、今も続く戦争について、それは「絶対悪」で、何も生まれず、国土と人心を荒廃させ、悲嘆と怨念を生むと叫んでも伝わらないとき、芸術に残すという手がある。時空を超えて意志を投げかけられるのが芸術の特徴だ。音楽とは、社会のなかで、人の心を掴む役割や力を持つのだと、忘れずにいよう。近い未来や理想とする社会のために、もっと自由に創作され広がらなければならない。今、そんな想いで、多くの人が温かな気持ちになれる音楽会(佐原詩音作編曲個展vol.5)を試行錯誤しながら準備している。歌で伝えたい、音楽と社会の在り方。描きたい音楽を、大切に創りあげたいと思う。

(2022/7/15)

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佐原 詩音 Shion SAHARA/Composition
1981年大阪府生まれ、石川県金沢市育ち。関西学院大学社会学部社会福祉学科卒業後、商社や災害復興制度研究所勤務を経て、27歳のとき東京藝術大学音楽学部作曲科に再進学。作曲を石原真、澤内崇、夏田昌和、安良岡章夫、福士則夫、鈴木純明の各氏に師事。ピアノを谷合千文氏に師事。自身が代表するコンサートプラン・クセジュを2020年に団体として発足。2018年から作曲個展を毎年開催。音楽絵本「ヨビボエンのなつ」の制作など、近年は物語性のある作品に取り組んでいる。その他、現代音楽や即興を取り入れたピアノ・ソルフェージュ教室、作曲理論など後進の指導や楽譜制作、楽曲分析などの執筆を行っている。チェロでは弦楽合奏団アンサンブル・フランに所属。音楽事務所エトワに所属。日本芸術専門学校・ピアノ非常勤講師。理数系塾講師でもある。

<今後の公演情報>
8月31日(水)15時~&19時~ティアラこうとう小ホール。
佐原詩音 作詞作編曲個展vol.5にて、33作品の歌曲を披露。
出演:Soprano 小林 沙羅 Mezzo Soprano 石田 滉Tenor 高橋 淳 Percussion會田 瑞樹Piano白河 俊平 Piano小川 至
12月22日(木)・23(金)19時~西早稲田トーキョーコンサーツ・ラボ。室内楽によるテーマ音楽祭。