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三つ目の日記(2022年5月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2022年5月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

忘れた。忘れている。忘れてしまった。それらが、覚えていることの別の謂であるとき。

 

2022年5月6日(金)
児童、かつて児童だった人々、関わりのある人々、近隣の住人、など。そういった人々の記憶の残された建物が建て替えとなる。建物の内外に、数名のアーティストやワークショップ参加者の作品が展示されている。手渡された会場の案内図をもとに建物内をたどる。いくつかの部屋を訪ねたのち、案内図ではグレーに塗りつぶされ展示は行われていないはずの部屋の扉が開いていた。入ってみると、アーティストによる作品らしきものは見当たらない。額装された記念写真のようなものが壁面に何枚かかかっているということのほか、ここにだれかが暮らしていたといういくつもの痕跡が残っているだけである。痕跡が、住人の不在と、跡じたいの存在を伝えはじめる。ここがたんなる空き部屋だったのか、匿名のだれかによる展示であったのかはわからない。あえて推察すれば、それらは混在していたのではないだろうか。写真撮影可とのことだったので、何枚も写真を撮る。

 

5月15日(日)
東京から100km以上離れた場所でのいくつかの展示に出かけて一泊した次の日。昼過ぎまでに予定していたその町の会場をめぐり終えのんびりする。近くの美術館で、以前東京で見た展覧会が巡回していることを知っていたが、それをもう一度見るかどうか迷いながら食事する。きっかけが訪れ、美術館へ行くことに。展示を見て、見てよかったとの思いとともに、図録を購入しようと見本を開いたのだが、見たばかりの作品との違和感が著しく、急いで閉じた。

 

5月18日(水)
建物に入ると、二つのギャラリーが存在しているようであった。最初に向かった「南ギャラリー」の入口は閉じられていた。もう一方の「北ギャラリー」の方へ歩くと掲示板があり、展覧会がここで行われていることが示されていた。室内へ入ると壁面に、12点の額装された赤い絵が展示されている。掲示されている文章を読んでいると、会場の人が同じものを手渡してくれた。「紅い長方形の中に描かれた紅い円形」シリーズの絵画。額縁は開閉式になっていて、紅い絵の描かれたガラスがはめ込まれている。その絵の裏側には、風景画が描かれていて、額縁を開いて見ることができるようになっている。風景画はその裏側の紅い絵と紅い絵の具を共有している部分がある。紅い絵を見て風景画を想像できれば、風景画は見なくてもいいかもしれない。でも、額縁を開いてもらえたら嬉しい。そのようなことが文章には書かれていた。

額縁を開かずに、紅い絵を見る。ガラスの透明を挟んで、ガラス面内側に描かれている一面が紅い絵を見ることができる。題名から裏側の風景画を想像する。これを記しているいま、見た後なのでその残像を思い出すことができるのだが、その場では自分の想像の風景画はほとんど空虚である。それでも一点ずつ順に風景画を想像していく。知らない言語で書かれた詩を目で追っていくように。ときおり小さな穴があいているようであったり、金色の点々があるのを見つけたりする。また、額縁は額縁でありながら扉や窓のようでもある。

ひとまわりして、最初の絵に戻り、額縁を開く。見る者が右下に手をかけ、力を加えると、額縁のガラスの面が、左側の蝶番を支点として移動する。紅の絵の裏側。壁の面と開いた額縁の面のなす角度を広げすぎないように覗き込む。もっと広げて光を当てて見ることもできるのに、無意識にそうしていた。絵はいわば額縁の蓋の方にあり、壁についている容れ物に相当するかと思われる方は空っぽである。展覧会名にもなっている“ET IN ARCADIA EGO”とは、「理想郷にもまた我あり」という意味であるという。絵の中にいるわたし。絵の中にいくつか見られる紅い極小の円は、向こう側の前面の紅い絵とつながっているだろう。作者によれば、いったん孔をあけ、同じ紅い絵具を充填しているそうである。話を聞くと、マルセル・デュシャン、ルーチョ・フォンタナという名が語られる。美術に精通している人との会話であれば、より多くの美術家の名があがるだろう。風景画のなかに描かれた建物の極小の窓が孔になっていて、視線が透明のガラスを貫く。そして、その奥の、その向こうの、現実世界の景色が映って見える。額縁を閉じるとき、板と板の合わさる音が会場に響く。

ガラスの平面と紅い絵の平面との重なりに見えない平面が生じる。その奥の、その向こうの、その裏側では筆跡による絵具の凹凸が空間と接している。そして眠りについているように閉じている。作者も来場者もいない、いるのは他に会場の係の人だけ、という時間がふと訪れたとき、一点の作品の額縁をいっぱいに開いてみる。絵と壁とがふたたび平行になる。

 

 

駒形克哉展 ET IN ARCADIA EGO
第一生命ギャラリー
2022年5月9日〜5月31日
●会場の様子(上)
●「紅い長方形の中に描かれた紅い円形(黄金時代の夢2)」 933×686×40(mm)、ガラス寸法841×594×4(mm) 開閉式額縁(花梨材とたも材)、ラッカー、アクリル絵の具、寒冷紗(下)

 

5月20日(金)
すこし遠くへ展示を見に行って、暗くなり始めたころ帰宅。差出人名の無い郵便が届いている。開封すると絵本が入っていた。同封の手紙で差出人は判明したが、封筒に名を記さなかったのが故意なのか忘れただけなのかわからない。やわらかな質感の紙の、中綴じの絵本を数ページめくり、窓を開けて外気を入れる。漢字にルビのふられた日本語。外国語の原語とその音を示すカタカナ。表紙には『神戸・長田のちいさな子守唄』というタイトルが記されていた。いま読むことにする。兵庫県神戸市長田区とその近くに暮らす、ベトナム、ミャンマー、インドネシア、奄美諸島、フィリピン、韓国・朝鮮から日本へ来た9名の人々の、振り返りと、子守唄にまつわるエピソード。加えて、覚えていたり、思い出したりした子守唄の歌詞。各ページに描かれているのは、それらのエピソードや子守唄を夢のスクリーンに映し出したような絵であった。巻頭のQRコードを読み込むと、子守唄を聞くことができるようになっている。聞きながら読めない原語の文字の歌詞を追っていく。子守唄は本人が唄っている。どうしてこころをゆさぶられるのだろう。歌詞の翻訳を読む。風土に根ざした内容であったり、教訓であったり、ノンセンスなものもあれば、驚くほど簡潔なものなど。絵本の絵の空間と、いま自分のいる場所とが重なりながら揺れる。窓から入る風が涼しい。

(2022/6/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。