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円盤の形の音楽|「ブレンデルのハイドン」|佐藤馨

「ブレンデルのハイドン」

Text by 佐藤馨(Kaoru Sato)

〈曲目〉        →foreign language
ヨーゼフ・ハイドン
[1]-[3] ピアノ・ソナタ第52番 変ホ長調 Hob.XVI: 52
[4]-[5] ピアノ・ソナタ第40番 ト長調 Hob.XVI: 40
[6]-[8] ピアノ・ソナタ第37番 ニ長調 Hob.XVI: 37
[9] アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII: 6

アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)

〈録音〉
1985年7月、ロンドン

アルフレッド・ブレンデルがコンサート活動を離れて、果たしてどれくらい経っているのか。記憶の中ではまだそこまで年月を経ていないようにも感じられるのだが、いざ気になってCD棚から引退公演のライブ盤『ザ・フェアウェル・コンサート』を引っ張り出して確認してみると、録音年は2008年の12月と記されている。まさか13年以上も前のことだったとは、時間が過ぎ去るのはあまりにも速い。自分にとって印象深い事柄に限って、感覚上の時間経過と実際の時間経過の齟齬が大きいものだ。
ブレンデルが演奏家としての最後の演奏会に臨んだ時、彼は77歳であった。ピアニストとしては十分に現役を張れる年齢であり、実際にそれ以上の高齢ながら活動を続ける人も珍しくはない。だからこそ、まだまだステージに立って演奏を届けてほしいと願うオーディエンスも多かったように思う。実際に上記の引退公演の録音を聴いてみても、技術的な不足はないし、音楽は老練ながらいまだ潤いを湛えている。ドロップアウトには早すぎる、という声もむべなるかな。しかし、このような引き際の潔さには芸術家としての美学が満ちており、10代の私にはそれが何とも言えずカッコ良く見えた。思春期の心情も相俟って、まだ背骨の曲がらぬうちに、花の萎れぬうちに幕を下ろすということに誉れを見出す自分がいた。CDのバックインレイに印刷されている、ステージから去っていくブレンデルの後ろ姿は、人間の有終の美について多くのことを物語っているように感じられたものだ。
私が初めて聴いたブレンデルの演奏はハイドンであった。ピアノ・ソナタ第52番、第40番、第37番、そして《アンダンテと変奏曲 ヘ短調》が収められたアルバムで、これを含めた4枚のアルバムが数多あるハイドン録音の中でも燦然と輝く金字塔だと気付くのはもっと後のことである。その時はまだ、単なるコンクールの課題曲としてしかハイドンのソナタを認識しておらず、ハイドンへの愛はおろか音楽への好意すら芽生えていなかった。ただ、あの独特な鋭さと軽やかさを併せ持ったブレンデルの音色が不思議で、それがハイドンと妙にマッチしているように感じられた。加えて、《アンダンテと変奏曲》がヤバい曲だということだけは、ぼんやりと理解していた。
それから数年後、急に思い立って自分からハイドンに向かう時があった。きっかけは久々にブレンデルのハイドンを聴き直したことだったが、その頃には、自分の中で何かがはじけて好奇心が一気に押し寄せており、以前と打って変わって多くの音楽に耳を傾けるようになっていた。まだまだ狭いながらも、昔よりは開かれた耳で改めてブレンデルのハイドンを聴いてみたら、その活力に驚かされた。この演奏はこんなにも躍動していたのか! フレージングの緩急の自在さ、アーティキュレーションの豊かさはもちろんのこと、あの独特なタッチと音色がハイドンの求めるドライな運動性と見事に結びついている。ハイドン特有の悪戯っぽいフレーズでも、ブレンデルはユーモアの過剰に陥ることなく、嫌味のない面白さを実現している。第37番の終楽章なんて聴いているだけで自然と笑みがこぼれてくるではないか。ヴィヴィッドなハイドンというものを、私はこの時初めて体験した気分になった。
この鮮やかさは、カンタービレの要素と対比されてより印象を増す。繊細な楽譜の読みから来る揺るぎない構成力、その上で徒に深みを追い求めることはせず、ブレンデルはしなやかに温かく歌を展開している。知と情のバランス感覚がなんとも快適で、乾いているわけでなく、かといって湿っぽいこともなく、この音楽に最も適した湿度なのだ。第52番の緩徐楽章は落ち着いた運びでありながら、一所に拘泥せず、常に前向きなエネルギーを内に秘めている。何より、どこを切り取ってもリリカルで瑞々しい。ここでもブレンデルの音色はプラスに働いている。
当時も今も、私にとってアルバムの白眉は《アンダンテと変奏曲》だ。ブレンデルが見せてきた動と静の音楽性が、ここでは渾然一体となり融け合っている。ソナタはいまだブレンデルが外側から演奏していたのに対し、《アンダンテと変奏曲》は完全に曲がブレンデルの内側に入り込んでいるように感じられる。演奏ではなく、もはや自然と湧出しているかのようだ。彼が鍵盤に手を置けば、演奏の意識すらなく、音楽がそこに現前するのだろう。この録音でハイドンの悪魔的な凄みを思い知ったという人は数え切れないほどいるはずだ。ブレンデル自身にもこの曲は大切だったらしく、先述の引退コンサートでも演奏している。自らのキャリアを締めくくる一曲に選ぶ、その思いはいかばかりか。
ハイドンの真価を知らしめるにブレンデルは重要な存在だったが、ブレンデルの音楽人生にとってもハイドンはかけがえのない存在となった。私のようなハイドン好きにとって、これほど心満ちる話は他にない。

(2022/5/15)

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〈Tracklist〉
Joseph Haydn
[1]-[3] Klavier Sonata No.52 in E-flat major, Hob.XVI: 52
[4]-[5] Klavier Sonata No.40 in G major, Hob.XVI: 40
[6]-[8] Klavier Sonata No.37 in D major, Hob.XVI: 37
[9] Andante and Variations in F minor, Hob.XVII: 6

Alfred Brendel, piano

〈Recording〉
July 1985, London

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佐藤馨(Kaoru Sato)
浜松出身。京都大学文学部哲学専修卒業。現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室に在籍、博士後期課程1年。学部時代はV.ジャンケレヴィッチ、修士ではCh.ケクランを研究。博士では20世紀前半のフランスにおける音と映画について勉強中。敬愛するピアニストは、ディヌ・リパッティ、ウィリアム・カペル、グレン・グールド。