Menu

清虚洞一絃琴流祖徳弘太橆 没後100年記念 一絃琴『楽仙から現代へ』|加納遥香

清虚洞一絃琴流祖徳弘太橆 没後100年記念 一絃琴『楽仙から現代へ』

2022年4月16日 紀尾井小ホール
2022/4/16 Kioi Small Hall
Reviewed by 加納遥香(Haruka Kanou)
写真提供:清虚洞一絃琴

〈演奏〉        →foreign language
峯岸一水(清虚洞一絃琴宗家四代)、小濱明人(尺八/ゲスト)、
片山一葩・荻野一汎(清虚洞一絃琴/助演)

〈プログラム〉
前半
「春の日」徳弘太橆(流祖)作曲・詞 連句集「春の日」より
「磯の松風」山城一水(二代)作曲・佐佐木信綱作詞
「不二」松﨑一水(三代)作曲・詞 西行「富士」より
「須賀」眞鍋豊平作曲・詞 不詳・後見齋藤一蓉編曲
「模様」峯岸一水(四代)作曲
「飛鳳凌駕」愛澤伯友作曲・詞 恩地孝四郎『飛行官能』より(完成版初演)
後半
「泊仙操」徳弘太橆(流祖)作詞・作曲
「こころ しずかにする おと」 曲・峯岸一水(四代)

 

たった一本の絃は、どのような音楽の世界を生みだすのだろうか。
そんな興味を胸に、八重桜の咲き誇る日差しの暖かい春の日に筆者が足を運んだのが、「清虚洞一絃琴流祖徳弘太橆 没後100年記念  一絃琴『楽仙から現代へ』」である。
公演のチラシには、一絃琴とは「原始的な楽器ではなく多絃の楽器が隆盛したあとにあらわれ『そぎ落としの美』、『Less is more』といった日本の伝統的な美意識、哲学を体現した楽器」であると書いてあった。また、公演を聴きに行く前に筆者が読んだ文章のなかで、清虚洞一絃琴四代・峯岸一水氏は次のように記していた。

色々の思いを抱えながら一絃琴の音色、特に減衰していく音の先に耳を傾けていくと、耳が研ぎすまされ、心がゆっくりと平かになっていくことがわかる。と同時に、その場の静けさを感じることができる。この感覚を続けているうちに、楽器でありながらその場が静かであること、「音がないこと」を表す楽器なのではないかと思うようになった。
  峯岸一水「一絃琴に託す夢」『浜松市楽器博物館総合案内図録 2015』所収. 24頁.

音をつくりだす楽器でありながら「音がないこと」を表すとは、どういうことか。そもそもたった一本の絃は、どのような響きを生みだすのだろうか。一絃琴という楽器の音楽において「そぎ落としの美」「Less is more」はどのように立ち現れるのか。
筆者は邦楽にも一絃琴にもまったく明るくないのだが、以上の問いについて一聴衆の視点から、今回の演奏会を通して感じ得たことをここにまとめてみたい。

日本の一絃琴は、長さ1メートル余りの板の上に一本の絹の弦が張ってある琴である。かなり古い時代から存在していたが、その伝承は一度途絶え、再び現れるのは江戸時代に入ってからであったという。今日に至る流れをつくったのは金剛輪寺の住職・覚峰阿闍梨で、中国から伝えられたとされる一弦琴に関心を持ち、その後門人たちが各地に広めた。幕末になると愛媛出身の真鍋豊平が一絃琴の普及に努め、その高弟たちは明治に入って愛好家を育てていった。一度は洋楽の波に押されて衰退したが、戦後の昭和30年代に再び注目されるようになり、愛好家による地道な活動が続けられているという(金子敦子「『少数絃のコト』の誕生と伝承」『浜松市楽器博物館総合案内図録 2020』所収. 27-28頁)。
今日に至る伝承のルートはいくつかあり、そのうち「清虚洞一弦琴」は真鍋豊平の高弟の徳弘太橆(本名時聾、1849-1921)を流祖とする。太橆は土佐藩士徳弘勇の長男として高知市に生まれ、明治政府のもとでは司法官吏として地方の裁判所で働いたのちに官界を去り、京都東山に隠棲した。1年ほど京都の北白川瓜生山の白幽子巌居跡に籠り、俗世に戻った後は一絃琴の教授をはじめ、明治32年には完璧な琴譜として「清虚洞一弦琴譜」を完成させた。太橆の他界後、清虚洞一絃琴は二代・山城一水(1887-1963)、三代・松﨑一水(1895-1988)、後見・齋藤一蓉(1926-2018)、四代・峯岸一水(1967-)によって継承されてきた。
清虚洞一絃琴では現在も新作が作られ続けている。公演プログラムに掲載された峯岸氏の挨拶文によれば、古くは演奏家自身が作曲していたが、現代では作曲家へ委嘱することも多いという。尺八や琵琶、笙、三絃、チェロなどとの合奏や、コンテンポラリーダンスや舞踏とのコラボレーションなど、特色ある活動が展開されている。
今回の演奏会は「楽仙から現代へ」と題されている。「楽仙」とは、吉本青司が著書『一絃琴』(1977、山伏堂)において流祖徳弘太橆を称した表現である。本公演のプログラム前半は、その太橆作曲の作品から現代の作品まで、一絃琴が紡いできた時代の流れをたどる構成をとっており、今回披露されたもっとも新しい作品は、愛澤伯友作曲《飛鳳凌駕》だ。横須賀美術館で2021年に展示された恩地孝四郎の詩画集「飛行官能」をもとに作曲され、本公演が完成版の初演となった。プログラム後半では徳弘太橆作曲《泊仙操》と峯岸一水作曲《こころ しずかにする おと》が披露された。《泊仙操》は太橆が岩窟に籠っていた瓜生山の四季を謳った作品で、太橆の傑作であり、一絃琴の作品のなかでも大作となっている。
それぞれの作品にはそれぞれの色があったのだが、以下では作品をひとつひとつ紹介するというよりも、この演奏会を通して私なりに受け止めた一絃琴の音楽の世界を描きだすことで、冒頭で挙げた問いに答えてみたい。

筆者はまず、どのように音を鳴らすのか、どのような音を鳴らすのか、という基本的なことに関心を寄せて、峯岸氏の演奏に耳を澄ませた。曲が進むごとにさまざまな音色が聴こえてきて面白い。「静けさ」などという言葉から静かな音楽をイメージしていたのだが、意外と力強い演奏であったというのが全体の感想である。
左手中指にはめた蘆管で絃を押さえて音の高低を定め、右手人差し指にはめた蘆管で絃をはじいて音を鳴らす。左手の左右の動きや押さえ方、右手でのはじき方によって、多様なリズムや音の質感を生みだしている。
特に、第3曲目《不二》における、小濱明人氏の尺八とのアンサンブルでは、尺八の音と一絃琴の音が絡みあうことで、一絃琴の音の「ふくらみ」に照準が当てられたようであった。それはおそらく、基音とは異なる振動数で響く倍音であったり、絃をはじくときや押さえる時に発生する摩擦音であったりとさまざまであり、舞台から聴衆の耳へまっすぐ伝わってくる音とは異なって、舞台の上にふわふわととどまり、一様でない音の空間を作っているように感じられる。また、尺八の歌うような抑揚ある旋律と組み合わさることで、一絃琴の開放弦の響き(おおよそDの音かと思われる)がつーっと浮かび上がってくる。時にはっきり、時にかすかに響く、楽譜には記されていないであろう開放弦の音は、大変心地よく耳に響く。その響きは、まるで森の地下深くに細く長く流れる水脈のように、演奏全体を支えている。
楽器と唄の調和も美しい。峯岸氏の歌声には、はりや抑揚が抑えられた、抑制的な印象を受けた。地面から少し浮いているような、しかし天にまっすぐ届くわけでもない、そんな声には、内に向かう静かなエネルギーがにじみでている。
筆者にとって、今回の演奏会はまず、以上のような一絃琴の音の多様性、立体性、重層性を次々と発見する旅となった。また、第3曲目《不二》では尺八と一絃琴、と第4曲目《須賀》では2台の一絃琴を用いており、シンプルな楽器から生まれでる表情豊かな音たちがホールを満たしていくのを感じていた。

先にも触れたとおり、一絃琴の演奏は筆者が思っていたより力強かった。それゆえに、ホールに音が満ちていくなかで、峯岸氏が語る静寂、静けさとは何なのか、さらによくわからなくなっていた。そんな筆者を新たな発見に導いたのが、第5曲目《模様》である。
《模様》は、かつて太橆がつくった、オリジナルの一絃琴より低い音域を持つ低音一絃琴のために、「この楽器の力強さを活かした曲」として峯岸氏が作曲した作品である。視覚的にもインパクトのあるその譜本はプログラムに写真が掲載されているほか、演奏時には奏者の後ろに大きく立てられ、聴衆は視覚(譜本)と聴覚(演奏)の両方でその作品を鑑賞できた。
伝統的な一絃琴の記譜法にしたがった譜本では、開放弦を意味する「○」が縦一列に8つ、全14行で等間隔で記されている。譜面の一番右と一番左の列は「○」のみ、内側の列では「○」の右下に小さく、日本の古典音楽に通ずる音律を示す漢数字が書き添えられている。中央に近い列ほど、その数字の個数が多い(最大4つ)。これが演奏されると、まずは開放弦が等間隔で8回奏でられ、9回目からは、書き添えられた漢数字の音程にしたがい、装飾音のように音が加えられる。加えられる音の数は徐々に増え、一拍当たりの音の密度が高くなり、時空間を音が満たしていく。
同じリズムで、淡々と、一元的に、直線的に、徐々に高揚していく。聴いていると、M.ラヴェルのバレエ曲《ボレロ》を想起した。しかし一方で、大きく異なるのは、《ボレロ》がその高揚を高揚のまま聴衆に投げわたして作品を打ち切るのに対し、《模様》はそこで終わらず、作品後半では音が徐々に減り、再び聴衆を静寂へと導いていくことである。音によって生み出された高揚が、音によって回収されていくのである。
後半部分を聴いているうちに、筆者はこの作品、さらには演奏会のプログラム構成に用意された仕掛けのようなものに感動を覚えた。演奏会の開始からこの作品の中盤まで、筆者は一絃琴が鳴り響かせる音に真摯に耳を傾けていた。しかし《模様》の中盤に向かって音が空間を満たし、飽和状態まで到達すると、後半ではそこから音が差し引かれていく。それにより筆者は、鳴らない音に耳を傾けられるようになったのである。無音を、静寂を聴く耳が、自然に作りだされたのである。

かつて芥川也寸志は『音楽の基礎』(岩波新書、1971)のなかで、静寂は音楽の基礎である、「音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある」(2-3頁)と述べていた。今回の演奏会が体現した一絃琴、特に清虚洞一弦琴の音楽とは、静寂の基礎の上に、音をのせ、それだけでなくさらに、それによって静寂をつくりだすことであったといえるだろう。静寂は音楽の基礎であり、それが生みだす産物でもあるのだ。
これが、「音のないこと」を表す楽器、という峯岸氏の言葉の意味するところかもしれない。たしかに、日本の伝統的な音楽においても、ジョン・ケージの《4分33秒》のような現代音楽においても、静寂は音楽の重要な要素とみなされてきた。それでも、日常生活は途絶えることのない多種多様な音で満たされていて、私たちの耳は、鳴り響く音を聴いたり聴き流したりするように訓練されている。今回の演奏会は、そんな耳をもつ筆者の手を優しくとり、一本の絃が紡ぎだす豊かな音の世界をゆっくりと通り抜けて、静寂の音楽へと導いてくれたのであった。

(2022/5/15)

——————————————————–
加納遥香(かのうはるか)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。専門は地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。主な地域はベトナム。修士課程、博士後期課程在籍時にはハノイに滞在し留学、調査研究を実施し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。留学中にはベトナムの一絃琴ダンバウを習う。

———————————————————
〈Player〉
Minegishi Issui (4th Iemoto of the Seikyodo Ichigenkin Tradition), Ohama Akihito (Shakuhachi / Guest)

〈Program〉
Haru no hi: Tokuhiro Taimu, Lyrics “Haru no hi”
Iso no Matsukaze: Yamashiro Issui, Lyrics by Sasaki Nobutsuna
Fuji: Matsuzaki Issui, Lyrics “Fuji”(Saigyo)
Suga: Manabe Toyohira, Arranged by Saito Ichiyo
Moyou: Minegishi Issui
Hihouryoga: Aizawa Shirotomo, Lyrics “Hikou Kannou” (Onchi Koshiro)
———————Intermission——————-
Hakusensou: Tokuhiro Taimu
Kokoro Shizukanisuru Oto: Minegishi Issui