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プロムナード|日記にたちとどまること|秋元陽平

日記にたちとどまること
Tarrying with the diary

Text by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

私には日記を書く習慣がない。読んだ本や観た映画の名前くらいは書き留めておくこともあるが、自己の連続性を確保するためにも、あるいは反対に自己の散逸を再確認するためにも、キーボードを叩く気にはなれない。しかし人様の日記を読むことは、嫌いではない。嫌いではないどころか、ウェブ上で毎日無数のブログが更新される時代に、近頃もわざわざ海外の出版社に発注をかけて古書を取り寄せたくらいだから、世間的にはかなりの好事家ということになるのかもしれない。ペーパーナイフが通っていないという意味では新品だが、いかんせん出版年が古いので、相応の状態ですよ、それでもいいですか、とスイスから懸念を伝える丁寧なメッセージが来たが、それで構わないと返事をすると、ほどなくして帝政期フランスの思想家メーヌ・ド・ビランの日記、三巻本が届いた。ペーパーナイフはなくしてしまったし、生来無精なのでもう一度注文する気にもなれず、机の引き出しに挟まっていた仕立屋のカスタマーカードを挟み込んで、それを随時滑らせて、余計な部分までじぐざぐに破いてしまいながら毎日数頁ずつ読んでいく。彼は20世紀になって、あるタイプの現象学の潜在的な先駆者として「発見」された人だが、そのことは措く。この日記群は、彼の思想の傍証として、思想史を志す書物のなかでしばしば援用されることがあるものの、基本的には、とりとめのない雑感や、印象が記してあるところも多く、かといって同時代のコンスタンの日記ほど文脈不明瞭な点もないので、断片的な読書に向いている。 

 ところで、印象批評という言葉があって、これはしばしば罵倒の意味で用いられる。客観的なしかじかの情報を伝えるならともかく、お前の感想なぞどうでもよろしいというわけである。さて、感覚主義の末裔にあたるビランは、五感の情報を、知覚的部分と情感的部分に分離できると信じた。雑ぱくに言って前者は知性的な自己の領分、後者は暗く謎めいた身体の領分だ。そう考えると、印象批評というのは、知覚的な情報(私はドの音を聴いた、私は赤い色を見た…)よりも、情感的情報(わたしは怒った、退屈した、悲しくなった…)に傾斜した書きものについて言われることが多いだろう。これらの情感は、突き詰めれば書き手の五臓六腑の蠢きの報告であって、印象批評とはつまり、私の腸が蠕動した、私の胃がぴくついたと、世に訴えているにひとしい。たしかに、そんなことを言われても二の句は継げまい。 

 だが、二の句が継げないような主観的なしどけなさのただ中にも、真理の琥珀が凝結しているかもしれない。モンテーニュは『エセー』の中で、自身の排泄物を蓄えた「おまる」をコレクションする紳士の話を伝えている。もちろん、モンテーニュは自身のエセー自体を排泄物に喩えているわけだが、これを印象批評の最たるものだとすれば、私はといえば、モンテーニュの排泄の見事さには到底至らないような印象でさえも、読むことはやぶさかではない。というのも、実のところ、優れた書き手になれば、ほんとうにただの印象の垂れ流しというのは、めったにあるものではない。少しでも書き連ねれば、生クリームのように、泡立てていると意味が凝固して、その印象を自立せしめている構造が現れてくる。ビランに至ってはもともと当時のフランスでは随一の精緻な論理構造をもった哲学を構想していた人だから、こちらも深読みしてしまう、ということは、あるにしても。1794年の日記には、こうある。 

 

今日、5月27日、忘れてしまうにはあまりにも甘やかで、あまりにも印象深い、珍しい状態におかれた。わたしはひとりでしばらく日暮れ前に散歩していた。天気はとてもよかった。事物の新鮮さ、春のまばゆい時節に見えるものの全体が差し出し、魂によく感じられるが、記述しようとするといつもその印象がぼやけてしまう、そんな魅力、わたしの感覚をうつものすべてが、わたしの心に甘く悲しいよくわからないものを運んできたのだ。涙がまぶたのへりをつたっていた…どれほどたくさんの感情がつづけて去来したことか。そしていまそれを理解したいときになって、わたしはなんと平静になっていることだろう! 一気に押し寄せてきて、ぼやけることなくまざりあっていたこのたくさんの考えを思い出すことは、なんて難しいのだろう。 

 

まったくとりとめもなく、ほとんど直示的といってもよいくらい情報量は少ないのだが、誰もがおそらく経験したことがある内面の嵐を、初夏の風景に結びつけてつづった一文だ。この純印象的な日記にも、なにかしら構造というものがある。たとえば、言葉の端々を取り出してみよう。この逃れさる印象は、忘れがたい状態であると同時に「思い出す」ことが「難しい」のである。何かが起こった、それは確かだが、その状態は心の中で再現できず、言葉を逃れていく。忘れえないどころか、万感をともなう思考の一つ一つが粒だって「ぼやけることなくまざりあっ」ていたということまで、確かなのだ。忘れえぬが、思い出しえぬもの。意識の煉獄にあるもの、悲しくそしてうるわしいもの。それが、ある気候、ある生、ある一日がもたらすか、あるいはまた、それらと無関係に生起し、わたしに向かって世界との因果的縁組を執り行うよう要求するもの。それを思い出すとき、「なんと平静になっていることだろう!」と、平静のさなかに湧きあがった逆説的な感慨を、わたしたちは知らないわけではないだろう。複数の時間と、複数の感情が、そこには混線している。それが日記であり、印象なのだとしたら、なるほど印象批評というものも、本来一筋縄ではいかない。事実の羅列としての日記を書いているようで、ひとはその散文性に耐えられないということもあるのだ。日記に立ちとどまることは難しい。ビランやモンテーニュのように美しい琥珀となることが約束されているならともかく、難しいことは、やらずに済ませたいのである。 

(2022/5/15)