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五線紙のパンセ|1)音楽と哲学|佐原詩音

1)音楽と哲学

Text & Photos by 佐原詩音 (Shion Sahara)

 

1980年代…真夜中…砂嵐。ブラウン管テレビにイヤホンをつないで、最大音量60で聴く。耳をつんざくとはこのことだ。脳内をじゃわじゃわと破壊していく無数の微生物がいるようで不快極まりないにのに、何ともいえないエクスタシーがあった。自分の狂気を探るため聴力の限界まで耐えることを己に課した。これが私の、幼稚園・小学校時代の”現代音楽体験”だ。今思えば、風変わりを超えた悪趣味さだが、この頃は深夜25時から放送されていたホラー・サイコ・カルト・SF映画の一人鑑賞会が楽しみで、抜き足差し足で布団を抜け出してはテレビの前に正座。音楽はリゲティやペンデレツキをはじめ、現代音楽がよく使われるものだから、これらの世界観は自然と耳馴染んでいた。映画が終わるとしばらくして放送終了の1kHz正弦波とカラーバー画面。数分あと、砂嵐の画面が突如くる。これを毎回、イヤホンで最大音量で聴いていたのだ。

そうしていると、脳内からふつふつと”さらなる音楽”が聴こえてきた。悍ましい混沌の音楽。だが何か懐かしい。しかしそれは不明瞭で、完全に満足のいくものではなかった。”もっと聴いたことのない宇宙の、異次元の音楽に出逢いたい”…という欲望はやがて、無意識にそれをイメージした音楽が頭の中に轟く状態へと日常化した。幻聴はもちろん、時々、記憶が飛ぶ・幻覚が見えるほどの、「困った空想っ子」となった。夢では毎晩、白く巨大な球体にずっと追いかけられ、あげく押しつぶされては自分の真っ赤な血しぶきが飛び散る瞬間に目が覚める。すべての事物が分子以下に細分化された粒子に見え、外界の一切の音が急に立ち消え、視界がブラックアウトすることも幾度もあった。

皆さん、こんにちは。作曲をしております佐原詩音と申します。今回、3回に渡って寄稿させていただくにあたり、「音楽と哲学」「音楽と社会」「音楽と真理」というテーマで書きます。これまでの方がどのような文章を書いておられるのだろうとこのサイトを覗くと、専門的な音楽理論、豊かな作曲キャリア、自己の音楽への深いアプローチなど、魅力的な展開ばかり。私には何が書けるだろうと考えた結果、今回は細やかな音楽論理を追究するのではなく、40年の人生の”パンセ(思想)”を音楽と絡めてマクロに書き表し、皆さんにお話ししたいと思いました。稚拙な筆ではありますが、3回すべてお読みいただけると幸いです。

「音楽と哲学」をまず書きたい理由は、どの音楽ジャンルにおいても多様性や主観性が注目され重きをおかれる現代、「どうして?」「それは何か?」「目指すべき未来のベクトルとは?」といった問いがあやふやだと感じるからです。「相対主義」の時代は、世界において絶対に正しいことはなく、人それぞれの見方があるだけだという考えが広く行き渡っています。ですが、”本質”をとらえるためには、哲学的思想の深さと強さが必要で、これを多くの人が洞察し、共通して了解し合うことで、”誰もが納得できる最適解”まで考え抜き、良き人間社会、その先の絶対的真理にまで問いを投げかけることができます。これらは哲学の最大の意義で、「音楽を音楽たらしめるための人々の対話」を可能にします。そういったお話をするにあたり、私の半生や音楽観を加味しながら、進めさせていただきます。

金沢市野田山にある前田利家公の墓

「困った空想っ子」は、金沢市野田山の麓に住んでおり、毎日が冒険だった。膝上まで水に浸かる防空壕で遊び、加賀藩の前田利家公が眠る墓地あたりでは友達と秘密基地を作り、冬はスキー、春は山菜採り、夏は能登半島の岬で素潜りして掬ったサザエやウニ、もずくを食べた。7つ下の妹たち(双子)が生まれ、生活の中心が彼女らの笑顔や幸福のためとなり、指文字や手話を習った。聴覚障害者のイベントや母の福祉活動も広がり、思考回路は切り替わっていく。数年ほど習っていたピアノはあまり弾かなくなった。内的・病的な空想より現実のほうが忙しいので、中高生になると幼少期の悪趣味さは薄まっていった。それでも、恩師・鈴木三知子先生のピアノの発表会では自作を披露させてもらったり、自宅では時折、妹たちのお芝居に即興ピアノをつけたり、中学校では吹奏楽部でチューバを吹いていたので、現実の音楽とつながりはあった。ただ、ふと悲しいのは、あの「脳内に轟く宇宙の音楽」のような幻聴がもう聴こえないことだった。

ネパールの首都カトマンズにある仏塔寺院ボダナート

その後、関西学院大学社会学部社会福祉学科に進学し、言語聴覚士や社会福祉士を目指した。ゼミの武田丈先生はフィリピンなどアジアで外国人支援活動に取り組んできた方だった。20歳、先生の主催により、ネパールでのNGO活動に学びの一環として参加、マンホールチルドレン保護などを通し人身売買の現状を目の当たりにした。異国の精神、宗教観、社会問題の凄惨さ、そして人々の心の美しさに驚いた。ストゥーパ(仏塔)の白い半球の頂上で首都カトマンズを一望していると、吹きそよぐ風にのって、”ある音楽”が聴こえてきた。曼荼羅のようなチベット仏教音楽でもあり、オーケストラのような音色でもある(その時、関西学院交響楽団でチェロを弾いていたこともあってでしょう)。蘇ってきた幻聴音楽は、幼少期の不穏さや狂気はなく、燦々と輝き轟く美しさだった。

このとき体感したのは、人間の想像力というのは、まず生まれ育った環境に大きく影響を受け、その後の長い人生で自分が魅力を感じるものは流動的に変化していくということ。それらは個人の特徴であって、絶対的価値にはならないこと。帰国し、CDや書籍などで当時の現代音楽などを知るうちに、新しい音楽は、「他者へ伝達され、作り手と受け手が互いの自由を認め合う」コミュニケーションが介在・協和して初めて、相対的な価値を得ること、そうやって思想・芸術活動は広がる手段を得ることを認識した。音楽がどんなに抽象的で個々の主観性に頼る分野であっても、心が揺さぶられた理由を客観的な言語表現で明確化したり、相互の思考を成熟させることで、その音楽の”本質”を知り、後世へ伝え繋ぐことができること(楽譜でも口伝でも構わない)は、ネパールで購入したチベット仏教のCDを聴き、その世界観を学ぶうちに理解した。

私の音楽は年月をかけ、高揚感をもつ明るいものへ徐々に変化していたが、記憶の底には幼少期の狂気じみた音楽も残っている。小さい頃は社会や物事をよく知らず、精神の不安定もあり、空想のブラックホールに堕ち行く自分に酔っていたのかも知れない。懐かしくも恐ろしい音楽と芽生えたばかりの美しい音楽、どちらも未熟ながら大切な存在で、20歳の私は、それをもう自分の中だけに留めておけないと思った。芸術は、現実社会のすべてを表現できるが、逆に永遠に表現し切れないのだ。すごいことだ。作曲家になりたいと決意し、21歳、そのための勉強を開始した。

22~25歳は商社、関学内の災害復興制度研究所に勤務し、週末は夜行バスで東京へ向かった。席は背もたれのない補助席(当時、大阪-東京間が2,000円と最安値だった)なので眠れず、座禅のように休む。東京藝大作曲科を志望し、作曲の石原真先生、ピアノの谷合千文先生のレッスンを受けた。藝大は2度落ち、3度目で受かった。最後の年はもう27歳、本腰を入れるため、関西の仕事を辞職し、東京に居を構えた。外国人が多く住む大塚駅近くの5畳のワンルームにアップライトのピアノを入れたが、防音設備がなく音出しはできないので、弱音ぺダルを踏みながら和声課題・自作フーガ・バッハ平均律・ベートーヴェンのソナタ・ショパンのエチュードを日中に弾き続けた。19~27歳は昼の勤務に加え、アルバイト(スーパーのレジ、レストラン、新聞配達、競馬場、コンサートホール、家庭教師、病院、引っ越し屋、何でも屋…どんどん時給のよいものへ)を常に掛け持ち、食費は一日200円。生活費・学費を貯めた。深夜3時に寝て、早朝7時に出勤する生活を続けた。音楽理論の本は常に数冊持ち歩いて擦り切れるほど読み、時間ができると上野の東京文化会館4階にある音楽資料室に入り浸り、閲覧可能なほぼすべてのCDを聴き楽譜を読んだ(あいうえお・ABC順で)。

2009年入学の作曲科同期15名

藝大に入学したあとも、アルバイトに追われ、ピアノの技術、西洋音楽の美的感覚が培われていないことでコンプレックスを感じる瞬間はあったが、器楽や声楽の伴奏ピアノをさせてもらったり、学内の作曲活動を通して、素敵な音楽家たちと出会えた。楽しく有意義な4年間を過ごし、31歳で藝大を卒業し、まあとにかく細々でもよいから作曲を続けようと、私は、作曲個展やグループ公演、音楽教室を主宰していった。そのうち、あまり途切れず作曲委嘱をいただけることになり、現在に至る。作曲中は、もがき苦しむ気分で画策する。自分が創作する音楽は、いまだ個性の曖昧さ、技法的な矛盾が多々あり、それを打破するためにも過去の自分を振り返りつつ、淡々と書き進める他ないと、わかっている。

さて、こんな自伝より注視したいのは、都内で多く開催されている”現代音楽”という場についてだ。2022年、今やネットで視聴できる世界中のそれらも含めるとすると、その数は豊富過ぎて、とても追いつかない。それだけ人間の生活に余裕があり、創作側も享受側も芸術欲に溢れているのだろう。現代音楽は、西洋音楽のメインテーマであった「神への捧げもの、調和と秩序、喜怒哀楽」から、人間が自由に想像し得る多種多様なテーマを掲げ複雑化していった。もちろん別ルーツの現代音楽も種々様々にある。世界の音楽観はなんと豊かになったのだろうと思いきや、「音楽を音楽たらしめたる人々の対話」は希薄というか、混濁していると思う。従来の技術面で優れたもの・美しいこととは別、真逆な論点から切り出された音楽は、受け手の感受は賛否両論だ。TwitterやFBでは多くの人が日々つぶやき、そこで多少のやりとりがされ、ネット、雑誌上でも批評がなされているが、議論の渦は情報過多の彼方に消えてしまうことが多い。もし、コンサートの場にいながらも「現代音楽はよくわからなかった」と多くの聴衆がつぶやくなら、感受の疑義まで個々に委ねてしまう空気が、すでに長い間そこにあるのかも知れない。

私は職業柄、趣味趣向柄、”現代音楽”の場(コンサートやコンクールなど)に赴くことが多く、1900年以降のそれは、「無調・音列」「偶然性」「即興」「電子音楽」「ノイズ」「ミニマル」「コンセプチュアル・サウンド・アクション・メディアにおけるアート」「他ジャンルとの融合」など様々に分枝している。真剣に聴いても、事前事後に勉強しても、作曲家の意図を言葉で説明されても、しばらくずっと考え何度聴いても、その音楽が良いとは思えない状況にしばしば遭遇する。音楽的な構造や主題性は創作側の選択なのだからよいとして、”音”そのものを”楽”しめないとき、人々は帰路、身内やネット上にぼんやりとつぶやくに留まる時代が今なのではないか。ふとした思いや考えをすぐに外へ発信できるのは基本良いことだが、ここに、「音楽を音楽たらしめる対話」は成立しない。きっと多くの人が半ば諦めの気持ちから、「芸術はそれぞれの好みでよい、自分には理解できなかった」と、自身に言い聞かせて終わることが多いのだ。現代社会、科学技術が発達し続けても、本当は、すべての分野に必要とされる「哲学」がどこもかしこも足りないのではないかと思う。

2022年3月15日、4つの新曲協奏曲「HyperCUBE」コンサートにて

「どうして?」「それは何か?」「目指すべき未来のベクトルとは?」を音楽にも強く問いかけ、人々は敵対する必要なく対話を延々と続け、淘汰されていく思考を受け継ぎ育み、確実に推し進め深めていく。互いに協力し、とことん考えて、答え抜く…この忍耐はとても難しいが、「本質を見抜き価値のある音楽」を探求するためには、多様性の中でこそ、真っ直ぐな議論の場、多くの人が交流できる場を直に押し広げていきたい。そのひとつとして、こういった寄稿記事をシリーズとして作曲家たちに用意してくださることに、とても感謝している。私は今、「コンサートプラン・クセジュ」という現代音楽の公演企画団体を設立して2年目となる。クセジュとは、「私は何を知っているだろうか」といった意味のフランス語で、「Que sais-je ?」と書かれる。思想家モンテーニュが「エセー」の中で述べたことで知られる。私はこの団体による公演を、新曲を聴いていただくだけでなく、聴衆とともに深く思考できる場にしたい。

人間社会を進化させる一手段として、民主主義の源流(ルソーやヘーゲル、マルクス)では、「自由の相互承認」の原理が大切とされる。歴史を振り返ると、人は戦争を繰り返してきた。とりあえず休止するのは、勝利者がその地を支配したときがほとんどだ。かれこれ人間は一万年以上、命を激しく奪い合い、権力者が支配する時代を生きてきた。戦争は神の裁きでも天災でもない。この悲惨な戦争をどうすればなくせるのか、多くの哲学的思考のもと、「良い社会」には民主主義が現状の最適解とされた。しかし、資本経済の加速化による貧富や差別の問題、人口増加による食糧危機や温暖化などの環境問題、思想や倫理の相違の問題は、簡単に解決などできない。それでも考え抜くのが”哲学”だ。たぶんこれに比べたら、”音楽”への哲学の問いは楽しい。多様な音楽が混在するなか、速すぎる潮流に流される個々の感受を、出来得る限りひとつひとつ手に取り対話したい。そういった哲学的思考を都度、体感していくためにも、思考の熟した人々が集まった批評はもっと読まれるべきだ。私自身の作曲や公演企画活動は細く小さいが、色濃く永く続けていきたいと思う。次のパンセでは、「音楽と社会」。私の藝大在学時、卒業後の活動を添えつつ、音楽が人や社会、経済とどのように関わってきたのか、今後どう関わっていくべきかを、コロナ禍の日本を視点に考えてみる。

(2022/5/15)

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佐原 詩音 Shion SAHARA/Composition
1981年大阪府生まれ、石川県金沢市育ち。関西学院大学社会学部社会福祉学科卒業後、商社や災害復興制度研究所勤務を経て、27歳のとき東京藝術大学音楽学部作曲科に再進学。作曲を石原真、澤内崇、夏田昌和、安良岡章夫、福士則夫、鈴木純明の各氏に師事。ピアノを谷合千文氏に師事。自身が代表するコンサートプラン・クセジュを2020年に団体として発足。2018年から作曲個展を毎年開催。音楽絵本「ヨビボエンのなつ」の制作など、近年は物語性のある作品に取り組んでいる。その他、現代音楽や即興を取り入れたピアノ・ソルフェージュ教室、作曲理論など後進の指導や楽譜制作、楽曲分析などの執筆を行っている。チェロでは弦楽合奏団アンサンブル・フランに所属。音楽事務所エトワに所属。日本芸術専門学校・ピアノ非常勤講師。理数系塾講師でもある。

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<今後の公演情報>
5月31日(水)19時~赤坂ストラドホール。
 KOTO×PIANO vol.7にて作編曲多数の初演・再演。出演:箏 山水美樹、Piano 正住真智子、Violin鈴木舞。
8月31日(水)15時~&19時~ティアラこうとう小ホール。
 佐原詩音 作詞作編曲個展vol.5にて、33作品の歌曲を披露。
 出演:Soprano 小林 沙羅 、Mezzo Soprano 石田 滉、Tenor 高橋 淳 、
    Percussion 會田 瑞樹、Piano 白河 俊平 、Piano 小川 至
12月22日(木)・23(金)19時~西早稲田トーキョーコンサーツ・ラボ。室内楽によるテーマ音楽祭。