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東京・春・音楽祭 2022 ベンジャミン・ブリテンの世界 IV 20世紀英国を生きた、才知溢れる作曲家の肖像|秋元陽平

東京・春・音楽祭 2022 ベンジャミン・ブリテンの世界 IV 20世紀英国を生きた、才知溢れる作曲家の肖像
The World of Benjamin Britten IV. Portrait of a Witty and Intelligent Composer Living in the U.K. in the 20th Century

2022年4月1日 東京文化会館 大ホール
2022/4/1 Tokyo Bunka Kaikan Main Hall

Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
写真提供:東京・春・音楽祭

<演奏>         →Foreign Languages
企画構成/指揮/お話:加藤昌則
神の声:玉置孝匡
ノア(バリトン):宮本益光
ノアの妻(メゾ・ソプラノ):波多野睦美
セム:中塚沙貴
ハム:武藤沙和
ジャフェット:廣澤星花
セムの妻:荒井マリ
ハムの妻:大井川由実
ジャフェットの妻:田島 萌
ヴァイオリン:川田知子、吉村知子
ヴィオラ:須田祥子
チェロ:辻本 玲
コントラバス:池松 宏※
リコーダー:吉澤 実
打楽器:神田佳子
オルガン:三原麻里
ピアノ:河野紘子、松本 望
管弦楽:BRTアンサンブル
児童合唱:NHK東京児童合唱団
児童合唱指揮:大谷研二
ステージング:家田 淳

<曲目>
レクチャーと実演による《民謡編曲集》より
ブリテン:
「木々は高々と育ち」
「かわいいポリー・オリヴァー」
「とねりこの木立」
「ニュー・キャッスルから来たのでは?」
「ディー川の水車屋」
「サリー・ガーデン」
「谷の小川」
(メゾ・ソプラノ:波多野睦美 ピアノ:加藤昌則)
歌劇《ノアの洪水》op.59(演奏会形式/字幕付)

 

昨年度の番外編コンサートのレビューでも書いたことを変奏して言うならば、ブリテンの音楽には優しくも残酷なまなざしがある。ものごとをまっすぐに捉えるからこそ、目をそらすことができない現実の冷たさがあって、それをかいくぐるために、品の良い、しかし少しユーモラスな、まさしく「機知あるwitty」屈折レンズを通して現実を記述し直す、そのような距離感が。前半の『民謡集』は、イギリス民謡そのもののなかに既に存在するそうした気質を、彼の職人的技巧によって煮詰めたマスターピースと言ってよいだろう。「民謡」の詞には、近代的な表現者としての個人はでてこない。だがこの作者なきことばの世界が、波多野睦美の透徹した歌唱とあいまって、驚くほど剥き出しの詩情に満ちていることに、驚かなかったひとはいないのではないか? たとえば、「木々は高々と育ち」で淡々と告白される、愛するものに先立たれた塗炭の苦しみ、「ディー川の水車屋」のユーモラスな絶望――どれも素朴なせりふに素朴な物語だ。ありふれた失恋、どこにでもある死、誰もが知っている自然の美しさ。だが、あまりにも的確に要約された紋切り型は、逆にその普遍性によって、無数の人間に歌い継がれた万人の体験の共感のさざなみとなって聴き手に押し寄せる。民謡にはこうした、突き放した憐れみの美があるのか。単純なメロディーが想像させる和声の模範解答に対して、(たとえばアイヴズ編曲のAt the riverのように)極端に遠ざかることなく、巧妙な絡め手を次々に繰り出すブリテンの距離化の技法は、見知らぬ人の失恋の情景をうたうことによって「突き放す」と同時に「慈しむ」、そういう仕草のようだ。

『ノアの洪水』では、こうした前半の蒼然とした美しさに対して、未来への明るい希望を取り戻してくれる、ブリテン一流のユーモアが垣間見える。この特殊な神秘劇の詳細は各所の説明に譲るが、物語の崇高さに侵入する「具体的なもの」が、いつもどこか可笑しく微笑ましい。箱舟の寸法(これは聖書にも登場する通り)、ノアの夫婦げんか、そしてパーカッションの代わりに導入される食器など…また、動物たちの快活なキリエ(これほど快活なキリエが、西洋音楽史にほかに存在するだろうか?)、そして(別コンサートの藤木大地のパーセルと並んで)この音楽祭で今年いちばん美しいアレルヤを聴かせたNHK東京児童合唱団、そしてセム、ハム、ジャフェットの三人の若手の輝度の高い歌唱もよい。ヴァイオリンを大して弾けない子のためのパートがあるということで、はじめスクラッチ・オーケストラのようなものを想像したが、今回集められたのはアマチュアといっても全体にとても腕の良いアマチュアのようで、その結果として、子どもを交えた村の音楽祭のための音楽であるにもかかわらず、均整のとれた音響が、しかし晦渋になりすぎず、ものがたりの助けを借りてごく自然に感じ取れる。この演奏のうまさによって、ここまで終盤のモチーフの変化を愉しむことができたことは認めた上で、次は、わたしは本当に素人混じりのオーケストラで、もう少しカオティックな嵐が吹き荒れるところも見てみたいと思った。これも、加藤昌則の導きによって先鞭がつけられた今、各所でレパートリーとなってゆけばそのうちお目にかかることだろう。ところで、本公演の日はちょうどエイプリルフールだったが、ノアが箱舟から鳩を放った日はちょうど4月1日だったという伝承があるらしい。偶然だろうか? エイプリルフールは鳩が帰ってくると信じたノアの愚かさを指すとの(信憑性のうたがわしい)伝承もある。だが、音楽家であれ、誰であれ、新しく作品を世に問うときは、誰でもこの愚直な信念をもたざるを得ないのだ。その先に陸地がある、と。

 

(2022/5/15)

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<Performers>
Program Planner/Conductor/Navigator:Masanori Kato
The Voice of God:Takamasa Tamaki
Noye(Baritone):Masumitsu Miyamoto
Mrs. Noye(Mezzo-soprano):Mutsumi Hatano
Sem:Saki Nakatsuka
Ham:Sawa Muto
Jaffett:Seika Hirosawa
Mrs. Sem:Mari Arai
Mrs. Ham:Yumi Oigawa
Mrs. Jaffett:Moe Tajima
Violin:Tomoko Kawada, Tomoko Yoshimura
Viola:Sachiko Suda
Cello:Rei Tsujimoto
Contrabass:Hiroshi Ikematsu*
Recorder:Minoru Yoshizawa
Percussion:Yoshiko Kanda
Organ:Mari Mihara
Piano:Hiroko Kohno, Nozomi Matsumoto
Orchestra:BRT Ensemble
Children Chorus:NHK Tokyo Children’s Choir
Children Chorus Master:Kenji Otani
Staging:June Iyeda

<Program>
Britten:
The trees they grow so high
Sweet Polly Oliver
The Ash Grove
Come you not from Newcastle?
The Miller of Dee
The Salley Gardens
The Stream in the Valley
(Mezzo-Soprano:Mutsumi Hatano Piano:Masanori Kato)
”Noye’s Fludde” op.59 (Concert Style/With Subtitles)