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小人閑居為不善日記 |「アクション」映画を見るということ――ブルース・ウィリス、佐藤忠男、青山真治|noirse

「アクション」映画を見るということ――ブルース・ウィリス、佐藤忠男、青山真治
About Watching Action Movies――Bruce Willis, Sato Tadao, Aoyama Shinji

Text by noirse

 

1

今年のアカデミー賞の話題はすっかりウィル・スミスの事件がさらってしまい、受賞結果すら霞んでしまった。ウィルは受賞取り消しとかアカデミー会員退会などと騒がれているが、本来重要なのは彼の演技が評価されたことだったはずだ。

ラッパーとしてデビューし、アクション映画やコメディタッチの作品でキャリアを築いてきたウィルは、次第に演技派の俳優へのシフトチェンジを図っていった。ずっとアクション俳優として身体を張るわけにもいかないし、それ自体は悪いことではないのだが、複雑な気持ちもある。

路線変更以降のウィルは、批評も興行も苦戦を強いられていた。ヒロイックだったりキザな役を選びすぎで鼻についたり、隙あらば自分の子供を重要な役で出演させる親バカ振りが目に余ったというのが原因だったようだが、何処かでウィルの転身に、アクション映画やコメディ映画を軽視する素振りが窺えたのもあるのではないか。

時として人は単純さを好む。世の中は複雑で、そのすべてに誠実に対応していては身が持たない。複雑なのは現実だけでいい、フィクションを楽しむときくらい単純なものを見たいという人も多いだろう。

だからアカデミー賞でのスミスの振る舞いは象徴的でもあった。もちろん暴力は避けるべきだったのだが、大人びたコメントや余裕のあるユーモアで受け流すのではなく拳ひとつで「自己表現」したウィル・スミスは、自分の根はアクション映画なのだということを身をもって証明したからだ。

暴力(アクション)はあっという間に終わる。しかしそれで状況が一変することもある。念願の受賞を果たしたスミスにはこれからもよいキャリアを築いていってほしいが、今回の事件がどう関わっていくかはまだ誰にも分からないのだ。

 

2

たったひとつのアクションが作品に決定的な結末を与える。アクション映画とはそういうものだ。そこでは単純さは、ひとつの美徳ですらある。

わたしは1980年代から90年代にかけてのアクション映画黄金期を見て育った。この頃のアクション俳優で、演技派への転身を最もうまく果たしたのは恐らくブルース・ウィリスだろう。《ダイ・ハード》(1988)以後しばし伸び悩んでいたが、クエンティン・タランティーノの《パルプ・フィクション》(1994)、テリー・ギリアム《12モンキーズ》(1995)、M・ナイト・シャマラン《シックス・センス》(1999)と、話題の監督との仕事が、彼がアクションだけの男でないことを証明した。

しかし演技派と言っても、ウィリスの演技が特別優れているかというと少し異なる。役にのめり込む憑依型俳優だとか即興演技を得意とするというのとは違い、自分に合う役を探してきて、キャラクターや貫禄で見せるタイプだ。

ウィリスはジョン・ウェインを尊敬しているらしいのだが、ウェインも似た系列の俳優だろう。ではウィリスやウェインのキャラクターとはどういったものだろう。たとえば二人は共和党支持者だ。特にウェインはハリウッドを代表するタカ派として有名だった。ウィリスはどちらかといえば穏健派だと思うが、父親が軍人だったこともあってか米軍に好意的で、軍人役を好んでよく演じている。

ウェインも軍人役が多かった。彼がジョン・フォードやハワード・ホークスといった巨匠と作り上げていった名作群は、「強いアメリカ」の理念の上に築かれている。嘘や誤魔化しを嫌い、不正があれば自ら立ち上がり、力をもって解決する。単純だが、如何にも自由の国といったところだ。ウェインは映画を通してこういったイデオロギーを内外の観客に訴えようとしていた。

ウィリスがこだわった軍人映画も同じだ。《マーシャル・ロー》(1998)や《ティアーズ・オブ・ザ・サン》(2003)でのウィリスを見ると、ヒロイックに軍人としての信念を貫こうとする役割を選んでいることが分かる。それによって米軍への好感度を上げようとしているのだろう。

以前にも同じ話をしたが、今のアクション映画を築き上げた俳優たちには共和党支持者が多く、有形無形で作品にその思想が反映されている。彼らが演じた役の数々は、ある意味ではブッシュやレーガンよりも目立って、アメリカとはどういうものかを物語っていた。単純すぎる正義感はともかくとしても、明解で純朴な彼らの「アクション」が、アメリカへの親近感を上げていった側面もあるはずだ。

 

3

そのうちヨーロッパやアジアの映画も見るようになったが、教養もなく頭の鈍いわたしにはなかなか理解が追い付かないことが多かった。そんな折に、何度か佐藤忠男の講義を受ける機会があった。

映画人の講義やトークは何度も見てきたが、佐藤忠男はひと味違った。興が乗ると身振り手振りが激しくなり、なんとか映画の内容を伝えようと奮闘する。一度などは上着も靴も脱いで床に膝をつき、汗をかきつつ喋り続けたこともあった。それが何の映画の講義だったかは覚えていないので申し訳ないのだが、映画そのものよりもその姿の方がわたしには忘れられなかったのだ。

工場に勤めながら映画評を投稿し評論家となった佐藤は、民衆の視点からものを書くことを忘れなかった。たとえば〈斬られ方の美学〉(1959)では、時代劇にありがちなヒロイズムではなく、マキノ雅弘などの股旅ものに出てくるやくざ者や博徒にフォーカスを当て、彼らがどのように斬られ、死んでいくのかという側面から日本社会を照射していった。

このような戦後左派的なスタイルは今では随分肩身が狭くなってきたが、この頃でも既にアナクロだった。わたしも目新しいものやトガッた表現ばかりに気を取られがちだった。けれど振り返ってみるとそういったものの大半は忘れていて、記憶に残っているのは佐藤忠男の熱弁振りだったりする。佐藤の身振り手振りは、生にしがみつき必死にもがく映画の主人公たちを、眼前にもう一度甦らせようとする「アクション」だった。

敵を倒すという「アクション」だけではなく、倒されるという「アクション」から映画を見ること。それまでとは異なった映画の見かたを、佐藤忠男は身をもって表現していた。

 

4

この頃注目を浴びていた監督のひとりが青山真治だ。初期の青山作品は暴力描写を特徴としていた。北九州の荒っぽい風土に生まれ、中上健次に親しんだという青山にとって、暴力は彼の世界を表現するのに欠かせないものだったのだろう。

青山の代表作といえば、凄惨なバスジャック事件で心に深手を負った生還者3人の再生を描き、カンヌ映画祭で二冠に輝いた《EUREKA》(2000)だ。わたしはこの作品をジャパンプレミアで見て、まだ小学生だった宮崎あおいが舞台挨拶に登壇してきたことを覚えている。

《EUREKA》はそれまでの青山作品とは異なり、暴力描写はごくわずかで、話自体はシンプルにもかかわらず、3時間半もの長尺で、静かに、そして緩やかに語っていく大作だった。

何故《EUREKA》はここまでの時間を必要としたのか。それは暴力から回復するまでに必要な時間を描いていたからではないだろうか。繰り返すが暴力は大抵あっという間に終わる。しかしそのわずかな時間が、暴力を受けた者の人生を一変させることもある。そして彼らの人生が回復するには、傍から見れば緩慢に思えるほどの膨大な時間が必要なのだ。

そのうちわたしは映画から離れていった。今ではシンプルなアクション映画や劇場アニメを見るのが精一杯で、映画祭で取り上げられるような作品に付き合うには体力も時間も足りないのが現状だ。青山作品も新作が公開されれば見てはいたものの、思い入れを持つというほどではなかった。

しかしあの時に見た《EUREKA》は今でも忘れられない。今回のアカデミー賞では濱口竜介の国際長編映画賞受賞も話題だったが、ここ数年の多様性の波がもっと以前から押し寄せていれば、20年前にアカデミーの壇上に立っていたのは《EUREKA》を引っさげた青山真治だったとしてもおかしくなかったはずだ。

たったひとつの「アクション」から、その作品の向こうに広がる世界を捕まえていく。ブルース・ウィリスたちアクション俳優の演技や、佐藤忠男らの本や講義、青山真治たちの作品から、わたしはそれを学んでいった。

先日ウィリスは失語症で引退を表明、佐藤忠男と青山真治は世を去った。一瞬の「アクション」は、いつしか消え去っていくものだ。時間があればアニメを見るような毎日だが、今度時間を作って、久しぶりに《EUREKA》を見直してみたいと考えている。

(2022/4/15)

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noirse
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