漢語文献学夜話|Treatment and Life Extension of Old Books|橋本秀美
Treatment and Life Extension of Old Books
Text by 橋本秀美
一
足利学校に伝わる宋版の『周易注疏』や『文選』は、初版の早印で欠葉も無い極品だが、そういう例は当然ながら極めて稀で、現存する宋版本の大半は、補版が多い上に、欠巻や欠葉も少なくない。蔵書家は、他の版本で欠巻・欠葉を補い、それが出来なければ書写して補ったし、同じ版を使った別の伝本が有れば、同じ葉でもより状態の良いものに差し替えたりした。別の版本・伝本を使って不足を補うことを、普通、補配とか配補とか言っている。
例えば、近代に傅增湘という蔵書家が所有していた百衲本『資治通鑑』は(「百衲本」は、各種版本を取り合わせた本のこと)、南宋初官刊本と複数種の南宋坊刻本を取り合わせたものだが、南宋初官刊本は、他に清朝の宮中により保存状態の良いものが所蔵されていた。ところが、この2セットには同じ蔵書印が見られ、一葉一葉較べていくと、両者の間で書葉の差し替えが行われていたことが推定できた。つまり、宮中に収蔵される以前の、恐らく清代前期に、誰かが2セットの不完全な南宋初官刊本を持っていて、あるいはそれぞれ1セット持っている二人の蔵書家が相談して、2セットをバラバラにし、より完璧に近い1セットを再組織したものが後に宮中に収蔵され、その残り物に別の版本を取り合わせて全体を揃えたのが傅增湘の旧蔵書だった。このことは、尾崎康先生の論文『宋元刊資治通鑑について』で明らかにされていて、二年前にその論文を中国語に翻訳したので、割とよく覚えているが、他にも同様の例は少なくない。
私自身が発見して意外だったのは、宋版『儀礼経伝通解』の東大東文研蔵本と台湾中央図書館蔵本との間にも、書葉の差し替えが有ったことだ。この2セットはいずれも明代の印本で、補版が非常に多いだけでなく、乱丁がひどく、しかも版心に巻次・葉次を記した数字がはっきりしないものも多く、全体として非常に混乱している。整理して見ると、同一葉の補版が何種類も含まれていたりするので、大変興味深く、私は全ての補版を重複収録する影印本を作った。(図1)影印本を作る際に複数の底本を使って取り合わせを行うのは、戦前の『百衲本二十四史』が有名で、複数の蔵書家に依頼して所蔵本の写真を撮り、よりよい写真を組み合わせて影印本を作ったものだが、それは、実際の本の補配と同じ意味のことを複製で行ったのだと言うこともできる。私の場合は、台湾に渡航して、中央図書館と交渉することでその蔵本の全葉カラー画像を手に入れ、パソコン上で東文研蔵本と突き合わせてバーチャル補配本を作ったわけだ。ところが、編集のかなり後の段階になってから、東文研蔵本の目録の最初の葉に中央図書館本と同じ印が押されていたことに気づいた。実は、数十年前或いは百年以上前に、この2セットの間で、実物の書葉の差し替えが発生していたのだった。清代から近代にかけて、宋元版の収蔵・売買は結構狭い世界の話で、蔵書家の間の交流も全体的にはかなり活発だったようだ。
二
自分の蔵書をより美しく完全なものにしたい、というのは蔵書家の自然な願望だから、書葉の配補・組み替えは普遍的現象だ。しかし、これが近代の図書館でも行われていた、ということに、私は十数年前まで思い至らなかった。尾崎先生の『正史宋元版の研究』の漢訳版を作るに当たって、その準備として私は『旧京書影』を影印出版したが、(図2)その編集過程で1929年ごろの京師図書館の善本書目に出会った。これは、倉石武四郎が当時京師図書館の内部資料であったものを筆記したもので、現在、中国国内ではその存在が知られていない。それを見ると、至る所に注意書きが有って、残本を取り合わせた情況がよく分かる。当時盛んに取り合わせを行った直接的原因は、清朝の倉庫から出た古い版本の端本が大量に図書館に送られてきたからで、同じ版のものをまとめることができたし、そうしないと収拾がつかなかったとも言える。しかし、そうした消極的補配だけではなく、同じ版本の残本であれば、印刷時期ができるだけ近いものを一まとめにしよう、という積極的組み換えも行われている。同じ時期に印刷されたもので揃えることが出来れば、それは、印刷当時の本来の姿に近づくことにもなる。
このような再編作業の詳細は、1933年に発行された『北平図書館善本書目』には記載されず、図書館『館刊』に掲載された『新旧二目異同表』に一部の情況が紹介されただけだったから、実物の変化の過程を確認することは極めて難しくなっており、目録著録の巻次の変化を見て想像するしかない。これは、現在の図書館では有り得ないことだろう。
ここに、書籍に対する意識の違いが有る。現在の図書館の考え方では、古い版本はいずれも一種の文化財で、その歴史的状態を保存しなければならないから、勝手に手を入れることは憚られる。明清の版本なら、予算が許す限り、破損を修理したり、裏打ちをしたりはするだろうが、宋版となればそれすら慎重にならざるを得ない。ましてや、出所の違う端本を使って葉を差し替えるようなことは、歴史文物の現状破壊であるから、想像もできない。逆に言えば、1933年ごろまでの京師図書館や北平図書館は、宋版を含む漢籍を、単なる歴史的文化財として見ていたのではなかった。当時館員であった張宗祥・徐森玉・趙萬里らはいずれも文人であり学者であった。その前身である学部図書館に関わった繆荃孫や曹元忠も、学者であり蔵書家でもあった。図書館は、古典籍を愛し、日頃から古典籍を読んでいる人々が運営していたから、公共性は明確であったものの、本の扱いは民間の蔵書家と変わりなかったとも言える。
戦後、趙萬里のような人物は、反右派・文革で打撃を受け、亡くなってしまった。しかし、中国のような政治的問題が起こらなった日本や台湾でも、図書館のお役所化は徐々に進み、現在の多くの図書館には、学者はおろか、古典籍を日ごろから読んでいるような人も少なくなってしまった。台湾の中央図書館では、蘇精や李清志といった学者としての素質の高い館員が図書館を離れてしまった。東大東文研では、長年勤務して古典籍に詳しい職員が、官僚体制の中で煙たがられているのが分かった。北京大図書館では、古典部主任だった沈乃文先生が窓際に追いやられ、部下だった若手に取って代わられる劇的場面も目にした。東京の内閣文庫は、組織としては既に公文書館に吸収されてしまっている。古典籍を収蔵しながら、古典籍のことをよく知る館員が居ない図書館は、不気味なものだ。去る一月には、静嘉堂文庫の成澤司書が退職され、この三月には、京大人文研の梶浦晋先生も退職される。お二人とも、それぞれ長らくお一人で漢籍を養護管理してこられたが、このご時世では後任が補充されることも無いのだろう。図書館は、この百年の間、随分と大きく変化してきている。
三
私は古典籍の編集・出版に関わってきたが、手持ちの本にもよく手を加えていた。特に気に入っているのは『論語』鄭注で、『唐寫本論語鄭氏注及其研究』という本の半分以上の頁を占める「及其研究」を切り捨て、『唐寫本論語鄭氏注』の部分だけを簡易製本したところ、小さな薄い本になって、開きやすく、手に馴染む。(図3)後年、自分で編集して友人たちに協力してもらって『孝経孔伝述議読本』を作った時も、それに倣った小さな本にした。
学生時代には、松岡榮志先生が「本は育てるものだ」と言っておられたのを聞いていたし、戸川芳郎先生がお持ちの本は、小口に赤い線が見えるものが多かった。本の内容が分かれる個所に赤インクを塗って、目印にしていたものだ。書き込みをするのは言うまでもない。その後、倉石武四郎の旧蔵書を見て感心したのは、保存本と閲読本を分けていたこと。中々手に入らない大事な版本は保存用で、普段の読書には同じ本の安価な版本を使い、そちらにはビッシリと書き込みが有った。
古典籍は研読すべきものだが、愛玩の対象でもあった。宋版など、そこに書き込みをすることは考えられない。余白に一行記念の文字を書いたり、ハンコを押したりするのが精々で、ハンコも下品なものは憚られた。その一方で、補修や配補や補抄は積極的に行われ、それによって古書も新たな血を得て生気を増した。現在、宋版の良質のものは、殆どが図書館の所蔵であって、個人の愛玩の対象ではなくなっている。個人的な愛を受けることが無くなった代わりに、公共財産として保全されるようになり、耐火金庫だの、恒温恒湿だの、窒素充填だの、様々な延命措置が講じられている。それと同時に、図書館所蔵古典籍は、どんどんとデジタル画像が公開されるようになってきてもいる。
資産も社会的地位も無い私のような人間は、昔であれば蔵書家の世界を覗いてみる機会すら得られなかっただろう。これまでも、敦煌本や宋版の文字を読むのは、影印本や電子画像が頼りだった。そうだとすれば、図書館のお役所化も、悪いことばかりとは言えないのかもしれない。但し、現物調査の必要な版本研究は、宋版だけについて見ても、され尽くしたというにはほど遠い。補修の認定の精確化と、それに基づく刻工の分析が必要だし、紙や墨の分析も期待されるが、それは少なくとも今後暫くは、お役所体制の中でしか進められないということになるだろう。私はそれを体制内の専門家に期待して、自分は、デジタル画像を参照しながら、お気に入りの影印本や活字本で言葉を読むことに終始するつもりだ。私の読む古典文献に、原本というものは存在しない。初めから、コピーの繰り返しで出来ている世界の話である。複製画像は、あと五年十年私の好奇心を遊ばせるには十分過ぎる。
(2022/3/15)
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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。