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Back Stage|「A Place to Return to ~みんなが帰ってくる場所~」|星野桃子

A Place to Return to ~みんなが帰ってくる場所~

Text by 星野桃子(Momoko Hoshino)

「今、一番伝えたいこと」。というお題を与えられました。なかなか整理がつきません。考え出すと、コロナ禍の出来事の周囲を思考がぐるぐる回って抜け出せなくなるのです。
ウイルスに時を奪われて2年が経ち、3年目を迎えました。この間にほうぼうで年月をかけて形にした企画が消えていく様を目にしました。そして今、多くの人がそれぞれの立場でがんばって前を向いています。

王子ホールは銀座4丁目、三越、松屋デパートの裏にあります。2年前の春から夏にかけて、人が消えた銀座の街を通い、音楽と照明が消えたホールの客席で日々呆然と座っていました。何かしなきゃと思っていたのでしょうが、その頃の確かな記憶は何も残っていません。“時間どろぼう”(ミヒャエル・エンデ『モモ』)とはよく言ったものです。そんな中で僅かでもどのような形でもコンサートを開催できたのは、演奏家と招聘に尽力したマネージメント、そしてお客様のおかげです。関わったすべての方に改めて感謝を申し上げたい。特に日本の演奏家の方々は様々な状況にも快く応じ、支えてくださいました。また奇跡的に来日が叶った海外の演奏家は、2週間の隔離生活に疲れた顔を見せず、逆に私たちを気遣ってくださいました。クンウー・パイクのショパンのノクターン、アファナシエフのモーツァルトのハ短調のソナタ。両氏の打鍵の重みはどんな言葉よりも深く記憶に残っています。

(c)王子ホール/撮影:藤本史昭

Mercure des Artsに初めて寄稿させて頂いたのが2015年。王子ホールの看板コンサートである「MAROワールド」をご紹介しました。今読み返しますと、共同企画者である“まろさん”(篠崎史紀氏)を筆頭に元気いっぱいな様子が伝わってきます。皆若かったし、こんな事が起こるとは思いもしなかった。それでもあれからずっと、コロナ禍でも止まることなく、「MAROワールド」は走り続けています。お客様の笑顔を絶やさず、演奏家もお客様もスタッフもハッピーに、未来へ繋いでいきたい。そんな思いが形になり、現在3世代に亘るシリーズが誕生しています。

(c)王子ホール/撮影:横田敦史

ヴィオラの“やすさん”(鈴木康浩氏)が中心となって新しい仲間を広げている「お昼の名曲サロン」。彼らは次の世代を牽引していく責務を自覚していて頼もしい限りです。まろさんがそうであったように、後輩にどんどん場を与えています。その更に下の世代、王子ホールのレジデンスとして誕生したピアノトリオ「ステラ・トリオ」(小林壱成、伊東裕、入江一雄)は、早々に独立して自分たちの道を進んでいます。2月5日のコンサートでは、僕たちのやりたい音楽を聴いてもらう、と宣言するかのように奏で、未来が確かにあることを実感させてくれました。

(c)王子ホール/撮影:堀田力丸

そんな、やっと少しずつ明るい兆しが見え始めたところへ飛び込んできたロシアによるウクライナ侵攻のニュース。祖父母、両親から戦争体験を聞いて育った世代ですから、戦争じゃないだけマシ、とコロナ生活を乗り切ってきたのに、まさかの戦争…。ウイルスだけで十分じゃないのか、どうして人間は学ばないのでしょう。思考が止まり、書けなくなってしまいました。
重い気持ちを引きずったまま2月26日、カルテット・アマービレのベートーヴェン・チクルスの2回目を迎えました。2日前からホールで練習し、当日も開場ぎりぎりまで4人で侃侃諤諤。1年目は少し迷いが見えました。でも、今回の彼らには迷いがなかった。潔く溌剌と、何を言われようとこれがアマービレのベートーヴェンだ、と表明したのです。彼らの音楽を確と受け止めたお客様から長く熱い拍手がおくられました。ステージと客席が目に見えないもので繋がった瞬間です。朝見た爆撃の映像が頭から消えない中、4人の若いひたむきさに打たれ、生命力に圧倒されました。今でしかできないことをやっていけばいい、同じことは2度とできないのだから。

(c)王子ホール/撮影:横田敦史

先が見えない時に期せずして、ステラ・トリオとカルテット・アマービレが未来を見せてくれた。スポーツも文化の世界も若い人たちの進化に目を見張るものがあります。自ら学校を造る人も出てきました。一方で、せっかくの留学の道が途絶えた更に若い世代の人たちが大勢います。各ホールが学校教育とは違う形で応援する方法、しがらみのない自由な場であるホールだからこそ出来ることを苦心してやっています。長引く不安な情勢が文化事業に及ぼす影響が読めず、時折暗澹たる思いに駆られますが、後世のために地道にやり続けるしかありません。前に進まなければ。

(c)王子ホール/撮影:横田敦史

頑張っているのは若い人たちだけではありません。2月は毎年、バリトンの宮本益光さんとモーツァルトをレパートリーとする日本のオペラ界を代表する歌手、オペラ上演に欠かせないコレペティトル(ピアニスト)が結成したMOZART SINGERS JAPANによるプロジェクトがあります。若く旬の歌手がグランド・オペラを席巻する一方で、声も演技も熟練した実力者たちが演じる入魂のモーツァルトは生身の生命力に溢れています。今回は宮本さんの思い入れも一入の『ドン・ジョヴァンニ』。主演、構成、演出、字幕まで一人でこなし、感染対策まで気を配り、文字通りの入魂で頭が下がります。最後まで猛烈な集中力でひとりオーケストラを演じたピアニストも凄い。「楽しかった~。普段お稽古で一生懸命弾いても本番オケにサーっと持っていかれちゃうからさ!」と言い切った彼女の表情の晴れやかなこと。負けていられません。

他人の痛みを知り、音楽とそれを愛する人々に背中を押されました。日常をとり戻すために私たちに出来ることは限られています。自分たちの立ち位置で周りの人たちのために尽くしていく。そのために王子ホールが、皆が帰って来る場所であり続けたい。と、当たり前で些細なことを再認識した2年間でした。
最後に、傷ついている人々に心を寄せて平和を祈ります。

星野桃子(王子ホール)

(2022/3/15)