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トリオ・ヴェントゥス リサイタルツアー東京公演|齋藤俊夫

トリオ・ヴェントゥス リサイタルツアー東京公演
Trio Ventus Recital tour in Tokyo

2022年1月21日 Hakuju Hall
2022/1/21 Hakuju Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 寺司正彦/写真提供:Trio Ventus

<演奏>        →foreign language
トリオ・ヴェントゥス
  ヴァイオリン:廣瀬心香
  チェロ:鈴木皓矢
  ピアノ:北端祥人

<曲目>
フランツ・シューベルト:『ソナタ楽章』変ロ長調 D.28
ヴォルフガング・リーム:『見知らぬ情景III』
ボフスラフ・マルティヌー:ピアノ三重奏曲第1番(5つの小品)H.193
鈴木輝昭:ピアノ三重奏曲第2番(世界初演)
フランツ・シューベルト:ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調 op.100(D.929)
(アンコール)
ロベルト・シューマン(キルヒナー編):カノン形式による6つの練習曲より第6曲 ロ長調

 

自分が美しいことになんの疑問も後ろめたさもためらいもないシューベルト『ソナタ楽章』に筆者は喩えようもない懐かしさを覚えた。明るく、陽気で、メロディーがあり、リズムがある、そんなごくごく当たり前のことがたまらなく愛おしい。10分にも満たない小品であるが、この時点で筆者はシューベルトとトリオ・ヴェントゥスに魂を掴まれた。

シューベルトから約200年後、1982年から1984年にかけて書かれたリーム『見知らぬ情景III』、ヴァイオリンとチェロのハーモニクスとピアノの点描によって視界が霧で遮られるような冒頭から、何を聴いているのかがわからなくなるほど激しく音楽的場面転換が繰り広げられる本作に、筆者は先のシューベルト作品との「距離」を感じた。作品の美的・音楽的距離、さらに2作が書かれた時代精神の距離を感じたのである。
多様式主義と言えるのかもしれないリームの本作にはメロディー、もしくはメロディー的な楽想も現れるのだが、それらは屈折し屈託し、シューベルトのように素直に自分をさらけ出すことをしない。音の表出力は強いが、音が目指す目標・標的のようなものが聴いていても見つからず、どんどん流れていく音がどこへ行っているのかわからない。この、音楽の行き場が見えないことこそが現代的なのかもしれない、と筆者は考えた。

さらに時代と土地を転じてマルティヌー『5つの小品』第1曲の明るさには幼児が虫を殺して遊んでいるような残酷さと不気味さが宿っている。第2曲、弦楽器2人が描く黄昏に遠くからピアノの音が聴こえてくる。対位法的かつ協奏曲的に、ピアノが中心となって目が回りそうなアレグロの第3曲が走り去る。第4曲、3人で抜き足差し足の行進をしているようなユーモアとアイロニー。ピアノが高速で不思議な音階もしくは旋法のソロで先導して始まる第5曲はクラシック音楽というより、パリのキャバレーなどで演奏されていた世俗音楽のよう。本作もフランス6人組などが活躍していた戦間期の時代と土地が刻まれた作品と聴こえた。

休憩を挟んで鈴木輝昭の『ピアノ三重奏曲第2番』世界初演。これは凄すぎた。高速で動き回るパッセージが激しくメタモルフォーゼし、3つの楽器がうねり、絡まり、ぶつかりつつ、吠え立てる。この作品は美しさも奇想も目してはいないが、エクリチュールという言葉は作品に対して軽すぎる。存在、実存、意思、投企、などといった単語がふさわしい。プログラム前半で聴こえた軽やかなピアノの音は剛直に、透き通るようなヴァイオリンは渋く煮染めたように、ユーモラスなチェロは頑固一徹となり、音楽の魂が聴いているこちらの心臓にドカンドカンと重くぶち当たってくる。
すさまじい音楽であった。まだ現代日本に、いや、今の現代日本だからこそ、このような作品を書ける・弾ける人物たちがいるのか、と改めて鈴木輝昭とトリオ・ヴェントゥスに敬意を抱いた。

最後はまたシューベルトに帰り、『ピアノ三重奏曲第2番』。鈴木輝昭の後のせいか、シューベルトの音も重厚に感じられたが、第1楽章の『アヴェ・マリア』のテーマが心を解きほぐし清々しくしてくれる。さらにこのテーマが多声部書法も交えて展開・発展していく様はシューベルト晩年(といっても31歳だが)でベートーヴェンに至ったかと感服する。たった3人が演奏する作品でこんなにも構築的な音楽が可能なのか、と約180年前の作品に新しさを感じた。
第2楽章に入り、短調で伴奏が淡々と拍を弾くのに〈雪が降る〉イメージを感じたのは筆者が日本人だからか? この静かな軽やかな3拍子の明るさ、美しさ、朗らかさは今の現代音楽が失った、というか、(筆者の見る所では)今の現代音楽シーンでは許されないであろう音楽。デュナーミクの繊細なコントロールとテンポを司る呼吸の一致により、3人の演奏がお互いに音楽的に高め合う。どこにも影がないままに様々な踊りを披露する。ああ、シューベルトってこんなに楽しかったのか。
第4楽章冒頭のピアノの〈音の遊び方〉に度肝を抜かれた。1音たりとも同じ音がなく、それでいて音楽として統一感があり、かつ〈遊んでいる〉のだ。それまでも北端祥人のピアノが良いなあ、とは感じていたものの、ここは特筆せねばならない。
これまでの楽章で登場したメロディーや、半音階的和声進行が現れたりするなど、第1楽章と同じく構築的でスケールの大きな音楽だが、そこはシューベルト、どうしても遊び心が勝ってしまうように筆者には聴こえた。ベートーヴェンのようなしかめっ面はシューベルトには存在しない。音楽の喜びが溢れて、終曲。

アンコールのシューマンの甘い調べに身を委ね、演奏会は終わった。いつまでも続くコロナ禍の中でも、音楽は人に必要不可欠なのだ、と筆者は思いを新たにし、励まされた気すらした。

(2022/2/15)

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<players>
Trio Ventus
 Violin: Mika HIROSE
 Cello: Koya SUZUKI
 Piano: Yoshito KITABATA

<pieces>
F.Schubert: Piano Trio in B-flat major, D28
W.Rihm: Fremde Szene III
B.Martinů: Piano Trio No.1 H.193 “5 Pièces brèves”
Teruaki Suzuki: Piano Trio No.2 (World Premiere)
F.Schubert: Piano Trio No.2 in E-flat major, D929
(encore)
R.Schumann: Studies for Pedal Piano, Op. 5, No. 6 in B major (arr. T. Kirchner)