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NHK交響楽団 第1948回 定期公演 池袋Aプログラム |西村紗知

NHK交響楽団 第1948回 定期公演 池袋Aプログラム
NHK Symphony Orchestra No. 1948 Subscription Concert (Ikebukuro Program A)

2022年1月15日 東京芸術劇場 コンサートホール
2022/1/15 Tokyo Metropolitan Theatre Concert Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
写真提供: NHK交響楽団

<演奏>        →foreign language
指揮/原田慶太楼
ピアノ/反田恭平*

<プログラム>
ショパン(グラズノフ編):軍隊ポロネーズ イ長調 作品40-1(管弦楽版)
ショパン(ストラヴィンスキー編):夜想曲 変イ長調 作品32-2(管弦楽版)
パデレフスキ:ポーランド幻想曲 作品19*
※ソリストアンコール
ショパン:マズルカ ロ長調 作品56-1
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」(1910年版)

 

この日のプログラムに連なる、ショパン、グラズノフ、パデレフスキ、ストラヴィンスキーといった固有名詞からは、さまざまなつながりを見出すことができるだろう。例えば、グラズノフとストラヴィンスキーはリムスキー=コルサコフ門下で、パデレフスキと言えばショパンの譜面の監修者としても名高い、といった具合に。ポーランドとロシアの、そんなふうに何かと近しい関係にある作曲家の名前が並ぶプログラムを俊英・原田慶太楼が振る。ショパン国際ピアノ・コンクール2位入賞で話題、ますます人気を博す反田恭平が登場することもあり、魅力的なプログラムだ。
客入りは上々。反田が登場したときの拍手する手の位置がそれ以外よりだいぶ上になっていたため、この日の聴衆の多くが反田を目当てに来たことがわかる。
どの曲目でも、情熱的で鋭敏な原田の身体感覚にオーケストラはよく応えているように聞こえる。ぴったりとタイミングが合っているし、響きが薄くなることがない。端から端まで常に瑞々しく鳴っているのが印象的だった。
しかしその反面、いやその瑞々しさゆえに、作品の形式感が平板に聞こえてしまうようでもあった。なんらかのずれのようなもの、「おや?」と興味をひくところ、楽器の方が勝手に先走るところなどが聞こえてこなかったためだろうか。ショパンの「軍隊ポロネーズ」「夜想曲」は、管弦楽編曲を通じ、元々作品に備わっていた身体感覚、例えば息継ぎをするようなフレージングの切れ目、トリルの言い淀むようなニュアンスなどは当然無くなっているわけだが、その分オーケストラ特有の身体感覚を新たに代入せねばならなかったのかもしれない。
ショパン=グラズノフの「軍隊ポロネーズ」は、正直に言って「これ以外に」正解はないだろうと思わせる演奏だった。かといって、それは「これ以上に」という感想とは違う。少し脱力感が足りない。力強さが勝って、前に歩き出す身体感覚が後景に退いてしまう。
ショパン=ストラヴィンスキーの「夜想曲」の方が、編曲の仕方としてユニークに感じられる。「これが夜想曲?」と違和感を抱くほど、ストラヴィンスキーは作品の内容にかなりクリエイティブに踏み込んでいるように思う。かといって、なるほどと説得されるような編曲でもなかった。というのも、夜想曲に備わるプライベートな感触がすべて失われ、作品のイマジネーションのあり方が根本的に変更されている。元のピアノ独奏曲の夜想曲なら寝室から無限に広がっていくような、暗がりから広がりへという想像上のダイナミズムがあるような気がするが、管弦楽版だと、もうはじめから星々の瞬く高原に放たれてしまっている、といった感じがする。それはそれで開放的でいいのかもしれないが、都市生活の憂いはない。
さて、反田の登場に一気に沸き立つ聴衆の耳に鳴り響くのは、パデレフスキ「ポーランド幻想曲」。
都市生活の憂いか、土着的な素朴さかというショパン=ストラヴィンスキーの「夜想曲」からくみ取れる問題設定を、この作品は幻想曲という自由度の高い形式感に依拠するかたちで、かなり欲張りかつ折衷的にいなしているのかもしれないと思った。そもそも幻想曲とは妙なものなのだろう。自由な形式感と言ったらそれまでだが、ポーランドの民族音楽的な語法を同居させようとするパデレフスキの試みも相まって、いよいよとりとめのない感じだ。
でも、そのとりとめのなさ、気まぐれさや意外性、遊び心といったものがこの作品の肝なのかもしれない。その辺りの表現はどうも難しそうだった。どこまでも均質でパワフルな反田のタッチも加勢して、ますます解放感、リラックス感、脱力感を積極的に表現できそうな場所がなかった。
とはいえ、反田のソリスト・アンコールは率直に言って素晴らしかった。そよ風にたなびくようなたおやかなデュナーミクで、右手の音色がとりわけ優しい。なるほど、これが入賞者の実力なのだなと納得した。「ポーランド幻想曲」の均質なタッチは、オーケストラと張り合って力んでしまったためだったのだろう、と理解した。
最後に、この日のメイン・プログラムはストラヴィンスキー「火の鳥」。ロマン派的な叙情性をたたえた、ストラヴィンスキーの初期の傑作だ。色彩感あふれる豪華なオーケストレーションからは、師であるリムスキー=コルサコフからの影響が色濃く感じられるように思う。
低音の響きがクリーン過ぎる。もっと、地の果てから鳴り響いてくるようなニュアンス、それに立体感のようなものも欲しい。
やはり、何かが平板だ。それは音響の問題ではなく、もっと音楽的思考にかかわる問題なのかもしれない。ロシアの音楽においては、恐ろしい響きそのものが恐ろしいのではないのではないか。きらびやかな響きと恐ろしい響きとが、同じことの両面であることこそ、その二重人格めいたところが音楽全体の恐ろしさの原因なのではないか。そして、その二重人格の成立に、その源流にショパンがいるのだとしたら、我々が慣れ親しんでいるショパンとは一体何者なのか。そんなことを筆者はずっと演奏中に考えていた。
しかし、「カッチェイたち一味による魔の踊り」以降の展開には、心躍るものがあった。「火の鳥」は実に楽しい音楽だ。

興味深いプログラミングだったが、この時期の東ヨーロッパの作曲家の音楽語法や音楽的思考の共有について理解しようと思えば、一筋縄ではいかないという感想を抱くに至った。
だが「ショパンからストラヴィンスキーへ」というユニークな音楽史を描き出す試みは評価されるべきだろう。

 

(2022/2/15)

 

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<Artists>
Keitaro Harada, conductor
Kyohei Sorita, piano*

<Program>
F. Chopin (arr. Glazunov) : Polonaise A Major Op. 40-1 “Polonaise militaire” (Orchestral Version)
F. Chopin (arr. Stravinsky) : Nocturne A-flat Major Op. 32-2 (Orchestral Version)
I. J. Paderewski : Fantaisie polonaise sur des thèmes originaux G Minor Op. 19*

Encore
F. Chopin : Mazurkas B major Op. 56-1
I. Stravinsky : “L’oiseau de feu,” ballet (1910 Edition)