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METライブビューイング テレンス・ブランチャード《Fire Shut Up in My Bones》|能登原由美

METライブビューイング テレンス・ブランチャード 《Fire Shut Up in My Bones》|能登原由美
The Metropolitan Opera Live in HD series Terence Blanchard 《Fire Shut Up in My Bones》

2022年1月28日〜2月3日 METライブビューイング
2022/1/28~2/3 The Metropolitan Opera Live in HD series
2021年10月23日 現地上演日
2021/10/23 The Metropolitan Opera, New York
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)

全3幕 英語上演 日本語字幕付               →foreign language
作曲:テレンス・ブランチャード
台本:カシ・レモンズ

〈キャスト〉

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ジェイムズ・ロビンソン&カミール・A・ブラウン
管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団
チャールズ:ウィル・リバーマン
運命/孤独/グレタ:エンジェル・ブルー
ビリー:ラトニア・ムーア
チャールズ坊や:ウォルター・ラッセル3世

 

コロナにより1年半にわたって閉ざされていたメトロポリタン歌劇場(通称MET)に、昨秋、ようやく明かりが灯った。演目は、《Fire Shut Up in My Bones》。ジャズ・トランペッターで、映画音楽の作曲家としても目覚ましい活躍を見せるテレンス・ブランチャードの2作目のオペラだ。すでに2019年にセント・ルイスで初演され、成功を収めている作品だが、劇場の再開を飾るとともに、138年の歴史を誇るオペラの殿堂が初めて黒人作曲家の作品を取り上げたという点で、大きな話題を呼んだ(1)

原作者は、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、チャールズ・M・ブロー。彼が幼い頃に受けた性的虐待と、その記憶に向き合う日々を描いた手記がもとになっている。タイトル《Fire Shut Up in My Bones》は、旧約聖書の『エレミヤ書』の一節、「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。」から取られたもの(2)。「骨の中に閉じ込められた火」とは、チャールズが抱えた恥と怒りであり、それらを抑え込むことによって生じる痛みを指すのであろう。消そうにも消せず、吐き出そうにも吐き出せない炎。内部にとどまり心身を蝕み続けるこの「トラウマ」が、本作の主題である。同時に、アメリカで虐げられてきた黒人社会の鬱屈した空気も随所に感じられるなど、現代の世界を取り巻く問題が複層的に提示される。テーマは非常に重いが、ブランチャードならではのジャズを基調にしたジャンル混交のスタイル、あるいはゴスペルやステップ・ダンスなどのポップな要素がもたらす軽快さにより、3時間近くに及ぶドラマでも疲弊することはなかった。

物語は、主人公のチャールズ(ウィル・リバーマン)が、銃を手に復讐へと出かける場面から始まる。決して癒えることのない心の傷を負わせた男が標的だ。そのトラウマの元凶をたどるべく、第1幕ではアメリカ南部で育った少年時代が回想される。すなわち、7歳のチャールズ(ウォルター・ラッセル3世)は、5人兄弟の末っ子で甘えん坊。だが大好きな母ビリー(ラトニア・ムーア)は、女遊びに金をつぎ込む夫に愛想を尽かし、一人で子供たちを養うために働き詰めで余裕がない。一方、ティーンエイジャーの兄たちは、まだ幼い弟の相手にはならない。この孤独な少年に魔の手が忍び寄ったのだった。遊びに来た従兄弟のチェスターから性的暴行を受けたチャールズは、そのことを誰にも打ち明けられず、一人胸に抱えて苦しむことになる。

第2および第3幕では(3)、大学生になったチャールズの様子が語られる。悲惨な記憶の残る街を離れて北部で暮らすようになった彼だが、今もなおトラウマに苛まれている。その精神的苦痛から逃れるかのごとく、黒人学生の友愛団体Kappaに入会し、過酷なイニシエーションを受ける。さらに、グレタ(エンジェル・ブルー)という恋人もできたが、チャールズが自らの辛い過去を打ち明けた途端、彼女は別の男とも付き合っていたことを告げてあっさりと出て行った。絶望する中で故郷の母親に電話をかけたチャールズは、あのチェスターが実家に遊びに来ていることを知り、銃を取って車に乗り込むが、母が昔から言っていた「時には捨て置くことも必要」という言葉を思い出し、最後に踏み留まる、というものだ。

であれば、復讐を果たさなかった彼は、心の傷を抱えたままではないのか。誰にも理解してもらえないままではないのか。一見、何の解決にもなっていないように見えるが、実はそうではない。鍵を握るのはグレタだ。彼女は、「運命」と「孤独」を象った「人物」と同じ役者が務めている。バロック・オペラを彷彿とさせるこの擬人化されたキャラクターは、終始チャールズに寄り添い、その辛い境遇を代弁していく存在だ。けれども、最後になってグレタとして立ち現われたことにより、逆にチャールズの背負う「運命」や「孤独」を一層露わにした。つまり、グレタはこれらのエンブレムの化身だったのであり、チャールズが忘れようとしてきた人生の暗渠を一気に照らし出したのである。その結果、内面で燻っていた火は一気に燃え上がり、幼い自分を虐待したチェスターを殺すことで清算しようとするわけだが、一方で、「私は私だ」という言葉を激しく繰り返すチャールズの姿からは、こうした過去やトラウマを抱えた自らの全てを、やがて受け入れていくことが予感されるのだ。

過去に起きてしまった出来事を消すことはできない。あるいは、その事実から逃れることもできない。この逃避の不可能性は、生まれや育ちといった出自にも重ねられる。「運命/孤独/グレタ」という役どころの重要性は、こうした心の疼きの根を取り除くのではなく、むしろ受け入れることでそれを乗り越え、前に進んでいく力を示している点にあるのではないだろうか。

話を音楽に移そう。チャールズ同様に、この音楽の作り手ブランチャードについても、その来し方に思いを馳せずにはいられない。つまり、アメリカにある世界有数の歌劇場で初の黒人作曲家になったこと、しかもそれがジャズ界からやってきた人間によるものであったこと。もちろん、彼の場合はドラマの主人公とは異なり華々しい足跡をもつが、白人による西洋のアカデミズム・スタイルが主流のオペラ界からすれば、やはり異質な存在であろう。実際、本作にもその特異性は現れている。例えば、大人になったチャールズと7歳のチャールズがしばしば見せるユニゾンでの二重唱。あるいは、ピアノやドラム、ベースを要とするアンサンブルの音色、また和声、リズムなどにおいてもジャズの要素が全面を覆っている。けれども、感情が激しく露出する場面では、ロマン派のオペラ・アリアを思わせる息の長い叙情的な旋律線を用いたり、劇的な場面展開においてはオーケストラの厚いテクスチュアを効果的に使用したりするなど、彼独自の語法を作り出しているのだ。こうした孤高の作曲家としての歩みは、物語にも重ねられよう。

他方、フィクションではなく、実際にあった黒人社会の出来事。しかも現代の話である。そのため、登場人物が全て黒人によって演じられたのは理にかなっていた。加えて、いずれの歌手も個としての存在感があり、互いに引けを取らない。そうした大人たちに混じって、チャールズ坊やを演じたウォルター・ラッセル3世の堂にいった演技には驚かされたが、母ビリーを歌ったラトニア・ムーアの温もりのある演技も印象に残った。もちろん、青年チャールズの苦悩を高らかに歌い上げたウィル・リバーマンの歌唱は圧倒的であった。だが、個人的にはやはり、「運命/孤独/グレタ」という3つの役割を清澄な歌声で演じ分けたエンジェル・ブルーには強く惹かれるものがあった。

(2022/2/15)

  1.  Zachary Woolfe, “A Black Composer Finally Arrives at the Metropolitan Opera.” New York Times (New York), September 23, 2021
  2.  『エレミヤ書』(20章9節)。邦訳は『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、1987年)に基づく。
  3. METライブビューイング公式HPでは「第2幕」と表示されているが、メトロポリタン歌劇場公式HPによれば、後半は2つの幕からなり、続けて上演される形式となっている。

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Opera in Three Act
Music : Terence Blanchard
Libretto : Kasi Lemmons

〈cast〉

Conductor:Yannick Nézet-Séguin
Co-Directors : James Robinson and Camille A. Brown
Orchestra:Metropolitan Opera Orchestra
Charles :Will Liverman
Destiny/Loneliness/Greta:Angel Blue
Billie:Latonia Moore
Char’es-Baby:Walter Russell III