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五線紙のパンセ|第3回 降り積もる雪のように|渋谷由香

第3回 降り積もる雪のように 

Text by 渋谷由香(Yuka Shibuya)

前回は、煎茶道を通じて体験した日常のなかに非日常を感じとる面白さ、そしてきみしぐれという和菓子を例にひびわれを愛でる感覚について、たわいもない話を交えながら皆さんにお付き合いいただいた。また、音楽を通して新しい世界を知ってきたという第1回のエピソードと合わせて、私のこれまでの経験や体験が、現在の私の肌感覚ともなっていることを紹介したところで、最終回は自身の音楽についても書いてみようと思う。

2007年にヴァイオリンとチェロのための《あいまいなシルエットの中に》を発表して以来、私が非平均律的な思考から導き出される微分音程に関心を持ったことは前回お話しした通りだ。そしてこの微分音程への関心は、それ以後現在に至るまで変わらず私の創作の中心にあるのだが、実は微分音程という音楽的資源の探究だけではないのもまた事実である。《あいまいなシルエットの中に》には、私が抱くその二つの音楽的関心が(まだどちらも漠然とした状態ではあったが)内包されていて、その点においてこの作品が、私にとって作曲の出発点となっている。今回はこの二つの音楽的関心についてみなさんにお話ししたいと思う。まずは、《あいまいなシルエットの中に》の作品を具体的に紹介しながら、話を紐解いていこう。
初めに音楽的資源に関連する話をもう少し詳細にお話ししたいと思う。この作品は、ヴァイオリンとチェロが通常の調弦とは異なる音に調弦される。そして、ほぼ全ての音が自然ハーモニクス奏法という奏法を用いて演奏される作品である。前回この作品での、音の不均質さ、不安定さ、当然合うべきだと思われている音同士が合わないといった一般的に否定的で消極的に捉えられているような音事象が、私にとっては大変魅力的に聴こえたこと、そしてこれらの音事象に対して何よりも深い愛着を私自身が持ったことをお話しした。私がなぜここでほぼ全ての音を自然ハーモニクス奏法に限定したのかというと、自然上部倍音から得られる非平均律的な音程が、私の音への愛着(嗜好というべきかもしれないが)と合致しているように思えたからだ。特殊な調弦を用い、その調弦音を基音として導き出される自然上部倍音をハーモニクス奏法によって用いることで音楽的な資源は限定される。
このようにして事前に使用する音を限定することは、作品に特有の音というものをある程度予め規定することになる。音を書き始める前のこうした段階での作業に多くの時間を費やしている。そしてその作業で、不均質な音質や不安定な音質をどの程度実現出来るか、あるいはそれらをどのようなバランスに調整するのかを考え決定する。この時点で音質を上手く掴み取ることができて初めて、次の作曲段階に進むということになる。面白いのは、音自体への愛着を基底に作品の音質を規定するこの作業が、実は同時に自分が決定したそれらの音程や音に対する眼差しを再確認する作業でもあるということなのだ。というのは、私にとってひび割れを愛でる感覚とある種同様の感覚、言い換えれば自分がごく自然と受け入れ、また無意識のうちに向けている眼差しについて、新たに作曲する際に毎度再確認をしているということもできるだろう。そして、わざわざ確認をしながら進む理由-それは微分音程の使用による新たな音響の拡張が目的ではなく、また単なる音質への探究のみに向かわないためである。さらに加えるとしたら、目的に沿って無駄がない合理的な思考の論理から取り零されてしまうような存在へ目を向けることを忘れないためでもある。

さてここからは、もう一方の音楽的関心についても触れてみることにしよう。それは作品固有の音楽的時間についての関心である。この作品は、20分ほどの長さの曲だが、「ときどき」「走って、とまって、また近づいて」「今にしてみれば」「通りすぎようとする、そこでさえ」というタイトルがついた4曲が1セットとしてまとめられている。伝統的な言い方をすれば一種の組曲形式ということもできる。ただ、伝統的な組曲においては性格の異なる曲を並べていくことが多いが、この作品では似かよった性格と長さの曲がひとつの作品としてまとめられる。このような形式をとった理由は、ひとつの物語へと誘うような音楽的時間あるいは何かに収斂されていくような音楽的時間に対して、私が抱いていた距離感から来たものであった。音楽的なドラマを聴き取るのではなく、動的な音のエネルギーの推移を全身で体感するのでもなく、まるで壁に並んだ4枚の絵を鑑賞しているときのような自分(聴く人)と作品との間に立ち現れる時間への興味を強く反映している。そのために、極めて微細な変化と表面上は限りなく日常的な面持ちを保ちつつ、反復や限られた音程を使用して、一音一音の関係性の中で音を蓄積させていくような音楽的時間を有している。
同様のコンセプトで同時期に作曲した作品は、ピアノソロ曲《コスメティック・ダンス》(2007)や、ヴィオラソロ曲《コスメティック・ダンス2》(2012)などがある。とりわけピアノソロ曲《コスメティック・ダンス》は、ピアノという楽器が持つ性質上、容易に調律が変えられないために、私の関心は音資源ではなく、音の蓄積といったような時間の実現へと目が向けられている。この作品では、まず事前に使用する音をいくつか限定した。そして、これら限定された音の配列についてサイコロを使って決定する方法をとった。このやり方によって、ある種偏りをもった偶然と反復が繰り返される。やがてある一定の時間の膨らみを持ったとき、時間は流れるというよりもむしろ降り積もる雪のように、あるいは日常の積み重ねのように蓄積されていくような感覚を有することができるのかどうか、といった試みでもあった。

このように、私は微分音程に慣れ親しみ、自らにそれらを馴染ませることによって、音の感触を私の日常へと引き寄せていきながら、同時に作品固有の音楽的時間についての関心を持ち、音が蓄積されていくような時間の実現が可能となる作曲手法を推し進めてきた。その過程では、音と音との関係性、あるいは聴く人と作品とのあいだの関係性において、より多くの視点が行き来するような関係性の仕掛けを用意することに腐心するようになった。
その後の作品も少々紹介しておきたい。まず、微分音程を最大限に用いた作品のひとつは、弦楽四重奏のための《協和と不協和のあいだで》(2013)という作品だ。微分音程の現実的な制約にほとんど囚われず作曲した。同級生の作曲家、萩森英明さんと共に学生時代から企画活動をしていた『FLAT』での第7回演奏会のために作曲した作品で、やはり大学の同級生である多井智紀さんが楽器の調整や演奏の面で多大な協力をしてくれたおかげもあり実現した。通常、特殊調弦をしても本番の照明やちょっとした環境の影響を受けて楽器はすぐ通常の音に戻っていってしまう。作曲上の理論のためだけでなく、実際にその音が実現できるようにと色々試した末に、一ヶ月ほど前からこの作品を演奏するための楽器を用意して、調弦を楽器に馴染ませるという仕込みを行ってくれたのも多井さんであった。再演もなかなか難しく、演奏は初演の一夜限りであるのだが、その際のライブ映像がyoutubeに公開されているので是非ご覧いただきたい。協和/不協和という二項対立の枠組みから微分音程について理解しようとするのではなく、音質を象っているそれぞれの表情に自ら近づいて捉えていこうとすることが自身の最大の喜びでもあるのだ。

《海にとける雲、空に浮かぶ島》の広島初演に向けて、今はなき音楽喫茶ムシカでのリハーサル風景(2015年3月)。
演奏家はGroup 4の皆さん(左から三浦はなさん、三島良子さん、三浦元則さん、川東陽華さん)

最後に、音の蓄積による時間への探究を推し進めたその後の作品についても触れておこう。新たな手法を使用し始めたのは、“Ground”という笙と弦楽四重奏の作品を2014年に書き終えた頃で、翌年2015年《海にとける雲、空に浮かぶ島》という篳篥、三味線、笙、ピアノのための作品あたりから新しい手法を用いている。作品固有の音楽的時間を実現するためには作品の構造へ目を向けることが重要だと感じた私は、旋律的な視座を持ちながら瞬間を蓄積させるという一見矛盾しているようにも見えるアプローチでこの問題に近づいた。曲全体の響きや構造のために各楽器が存在するのではなく、各声部に強い独自性を持たせることができるよう各楽器にそれぞれの周期を持つフレーズ構造を用いるようにした。独立した各声部のフレーズ構造によって、音そのものすなわち一音一音の蓄積からより膨らみを帯びた音の蓄積が可能となる。私はその膨らみを瞬間と捉え、この瞬間の膨らみを蓄積させていくことで、各声部が同じ場で互いに連関し合うような作品固有の音楽的時間を探究した。それゆえに《あいまいなシルエットの中に》で意図した、まるで壁に並んだ4枚の絵を鑑賞しているときのような自分と作品との間に立ち現れる時間は、《海にとける雲、空に浮かぶ島》以降より多くの視点が行き交うことになり、音の蓄積から瞬間の蓄積となり、また、より円環的な性格を色濃くし始めることとなる。

昨秋リリースしたCD
『渋谷由香WORKS FOR PIANO / 井上郷子』

この作品を基にした《海にとける雲、空に浮かぶ島2》というピアノソロ作品は、同じく2015年にケルンで初演された後、日本やカナダでも再演が重ねられているのだが、昨年秋にFtarri Classicalレーベルの第1弾CDとして発売されたアルバム『渋谷由香WORKS FOR PIANO / 井上郷子 (piano) 』[Ftarri Classical ftarricl-666]に収録されている。前述の《コスメティック・ダンス》も同アルバムに収録されているので、この機会に手にとって聴いていただけたらとても嬉しい。

さて、そろそろ字数も終わりに差しかかってきたが、これで連載がもう終わってしまうのかと思うと自分勝手にも少々寂しい思いでいる。はたまた同時に今までつらつらと自分のことを書いてきた文章を読み返してみるとそれはそれで恥ずかしくなってきてしまう自分がいて、何ともそんな自分に呆れるわけである。今回、この五線紙のパンセへの寄稿にあたって編集長の丘山万里子さんからお話しをいただいた際、このコーナーは常日頃考えていることを自由に書くコーナーだということと、作品が演奏される機会があまり多くない現代音楽の現状の中で、現代音楽界隈に自足せず作曲家の考えや活動をもっと広く伝えたいという主旨を伺った。この記事を読んでくれる方々が、私についてもしくは私の活動について知りたい事があるとしたらどんな事だろうか、と想像しながら筆を進めた。
第1回は音楽を通して新しい世界を知るということ。この回では私自身の自己紹介も兼ねたつもりだ。第2回は、ひび割れを愛でる感覚と眼差しについて。私自身の考えや価値観もうっすらと感じていただけただろうか。第3回は、私が書く音楽について。少々専門的な内容になってしまっていたらご容赦いただきたい。またいつの日か、その他の話やその後の話を話題にできる機会が訪れたら、その際には懲りずにまたお付き合いいただけたら嬉しい。

【作品URL・収録アルバム】

  • 協和と不協和のあいだで》(2013)
    “Between Consonance and Dissonance” for String Quartet
    演奏:辺見康孝(vn.) 亀井庸州(vn.) 竹内弦(va.) 多井智紀(vc.)
    『FLAT007 象られる音質〜福士則夫、平石博一両氏の委嘱作品とともに〜』
    演奏会LIVE初演録画映像 (2013年5月2日 日本福音ルーテル東京教会)
  • 《海にとける雲、空に浮かぶ島2》、《コスメティック・ダンス》収録アルバム
    渋谷由香WORKS FOR PIANO / 井上郷子 (piano) 』 [Ftarri Classical, ftarricl-666]

【今後の予定】

  • 1月21日(金) それぞれのエレクトロニクス 明日は明日の風が吹く
    開演19:00 会場:KMアートホール
    渋谷由香《そしてまた始まる》(録音作品)初演
  • 4月8日(金)桒形亜樹子チェンバロリサイタル2022『明日の記憶』
    開演19:00 会場:ムジカーザ
    渋谷由香 “Found Impression” 委嘱作品 世界初演

【CD情報】

  • 渋谷由香WORKS FOR PIANO / 井上郷子 (piano) [Ftarri Classical, ftarricl-666]
    https://www.ftarri.com/ftarriclassical/666/index-j.html
    9月12日Ftarri Classicalレーベルよりリリースされました!
  • 24 Preludes from Japan / 内本久美 (piano)
    渋谷由香《円窓からの眺め》[Stradivarius, STR37089]

(2022/1/15)

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渋谷由香(しぶや ゆか)
1981年京都生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士号取得。大学院では主に非平均律による微分音程に関心を持ち音楽的資源としての微分音程の使用法について研究。在学中より「FLAT」「Music Without Borders」などのメンバーとして作曲、演奏会企画などの活動を開始。作品は、武生国際音楽祭(福井)、Quatour Bozziniとの日加交換プロジェクト(東京⇄モントリオール)、Thin Edge New Music Collective 2019 season concert(トロント)、Music From Japan(ニューヨーク) 、瀬戸内国際芸術祭内本久美ピアノコンサート、ヴォクスマーナ第35回定期演奏会、B→C東京オペラシティリサイタルシリーズvol.167(松井亜希)、アンサンブル室町「メリークリスマス エリック・サティ!」、井上郷子ピアノリサイタル#27、未来に受け継ぐピアノ音楽の実験、両国アートフェスティバルなど、国内外のフェスティバルや演奏会で取り上げられてきた。
第19回京都芸術祭新人賞、第28回現音作曲新人賞入選、富樫賞、聴衆賞受賞。
東京大学教養学部、東京藝術大学、東京藝術大学音楽学部付属音楽高等学校各非常勤講師。