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M.カーゲル「国立劇場」より“レパートリー” |西村紗知

〈現音 Music of Our Time 2021〉生誕90年×日本現代音楽協会90周年記念公演
M.カーゲル「国立劇場」より“レパートリー”
gen-on Music of Our Time 2021 KAGEL & JSCM 90th Anniversary
M. KAGEL Staatstheater: Repertoire

2021年12月3日 東京オペラシティ リサイタルホール
2021/12/3 Tokyo Opera City Recital Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
写真提供:(特非)日本現代音楽協会

<演奏>        →foreign language
【演奏】Ree・青山貴・木ノ脇道元・新垣隆・橋本晋哉
【演出】福井とも子 【翻訳】石見舟
【企画】日本現代音楽協会国際部

<プログラム>
●プレトーク:近藤譲(作曲家)「ミュージック・シアターとは」
マウリシオ・カーゲル/「国立劇場」より“レパートリー”(作曲1970年日本初全曲演奏)

 

マウリシオ・カーゲル、1931年アルゼンチン生まれ。家系はドイツ系ユダヤ人。大学では哲学や文学をはじめ幅広く学業を修め、やがてヨーロッパの前衛音楽の中心地へ。1960年にはダルムシュタット夏季現代音楽講習会の講師を務め、2008年に亡くなるまでかなり「尖った」作品を世に問い続けた。
カーゲルは本当に作曲家なのだろうか。個人的にはそんな初歩的な疑いがいつまでも拭えない。しかし同時に、それでは作曲家とは、作曲作品とはなんなのかと、いつもどこからともなく問い返しを受けるような気もしている。あまり多いとはいえない演奏機会に立ち会う度に、筆者はいつもそうした具合だ。

マウリシオ・カーゲルの「ミュージック・シアター」を、2021年に日本で上演すること、この出来事をなるだけ誠実に経験したく、筆者はカーゲルが1973年に東京・虎の門ホールで来日公演を行ったときの評(1)を確認した。カーゲル作品を実演することの今日的な意義(こういう把握も実に古臭いだろう)は、当時と今との対比により、何か導き出せるかもしれないという気がしたからだ。
この秋山邦晴による評を読んで印象に残るのは、孫引きとなってしまうが、秋山が批判的な意味合いを込めて引用した、1973年1月17日付の『朝日新聞』に掲載された林光による評のかなり厳しい筆致である。「私たちの、娯楽劇ないし前衛劇の水準でいえば、面白くもおかしくもないナンセンス・ギャグの学術報告に〈現代音楽〉の聴衆が、専門家を含めておおぜいつめかけ、そしてそのうちのかなりの部分が、爆笑と喝采をおくったという事実そのもののなかに、現代音楽の容易ならぬ事態をみるというのであれば、まさにそのとおりといえるだろう」(2)。これは、カーゲルと林との距離であるのみならず、日本とアルゼンチンの距離、日本の現代音楽の楽壇における「日本」と「ヨーロッパの前衛」との距離なのかもしれないと思う。
距離ということでいうと、無理もない。アルゼンチン生まれのドイツ系ユダヤ人が音楽の専門教育とは少し外れたところで培った才能でヨーロッパの前衛音楽の世界で活躍した、ということのアイロニーを、その機微をすべて捉えるなどということが多くの者に可能だとは到底思えない。それに、カーゲルが彼自身その複雑なアイロニーをすべて作品に吹き込めるほど卓越した書法を有していたとも言えないのではないか。カーゲルと我々との間の距離は、時間が解決してくれるものではないだろう。
しかしながら興味深いのは、距離をただ感じただけなら茫然としたままで、上記のような激しい反応には至らないだろう、という点だ。となるとそれは距離であると同時に、抑圧なのかもしれない。日本の前衛音楽を成立させる上で抑圧したもの、日本の前衛音楽が戦後民主主義のなかで育まれたものである以上、戦後民主主義が抑圧したものを作曲家の感性もまた巡り巡って何かしらのかたちで捉えることだろう。選び取られ得なかったものの姿を、激昂する人間は感じ取っていたのかもしれない。その時激昂しているのは、果たしてその本人なのだろうか。よもや、ありえたかもしれない、可能性としては存在したものの実現されなかった日本の前衛音楽の、その亡霊のような何かが激昂する本人に乗り移っているからではあるまいか、などと筆者は想像してみたりもした。

当時の話を振り返るのはこれくらいにしよう。
この日は全9曲からなる《国立劇場》という作品の、第1曲目にあたる《レパートリー》というシアターの完全版日本初演である。《レパートリー》には100のアクションが含まれていて、その演奏順は固定されていないという。
ベニヤ板で設えられた質素な舞台。小道具はボール型のものが印象的で、最低限の小道具でより多くの見立てを引き出すよう工夫されていたように思える。干からびた、アパセティックな、なんでもない時間が最後まで続く。
演奏順は用いる小道具やアクションの関連性で決められていたところがある。「水を垂れ流す」「手を洗う」ではトイレの便器が使われていた。全体としてはっきりとストーリーがあるわけでもなさそうだが、部分的にストーリーを作り上げているところもあった。「ストリートミュージック」「パブロフ」「拍手喝采」「事故」の流れがそうである。一つ一つ明確に区切られずに同時に演奏されるアクションもあったようで、その順番をすべて追うことはできなかった。他にも、どのアクションがどういう帰結になるか、どういう意味を持つかというのを、演奏順を工夫することで意味づけを行っていたようである。「目をつぶす」の直後に「苦痛」をもってくる、といったように。
そうして、小道具の関連性とアクションの意味づけとで、ストーリーはわからないまでも洗練されたパフォーマンスとなっていた。洗練されている印象を呼び起こすのは、Reeの身体表現のおかげでもあるだろう。
それともうひとつ付言するとなると、笑いが起こっているほとんどの場面に新垣隆が存在していた。一連の騒動なしにはこうはならなかったはずだ、と思うとき、そんなアイロニーをカーゲルが予想しえたものか、と思う。新垣の存在がこの作品に息吹を吹き込んでいた、ということは確実に言えそうだった。

人々の反応(Reaktion)から糧を得ていた作品は、時が過ぎれば反動的(reaktionär)になるのだろうか、というのは筆者が今まさにぱっと思いついたつまらない言葉遊びなのだけれども、カーゲルに関しては、「はい」とも「いいえ」とも言えるだろう。結局は聴衆次第だ、と言ってしまえば問題の所在ごと消え去ってしまうだろうか。
本来なら「国立劇場」「レパートリー」というタイトルを見ただけで、どぎつさを感じるべきなのだろうが、激昂するほど激しく反応できる者は、今では聴衆のうちには存在しない。当時1970年に比べ、日本の聴衆とカーゲルとの距離はさらに遠くなってしまったのかもしれない。
まっさらな目と耳で感じれば、そこにあるはただ単に滑稽なだけのパフォーマーの姿だ。当時も今もおそらく変わらないだろう。
しかしながら、カーゲル作品の意義自体が、ただ単に時間が経ったというだけで擦り切れたのかと言えば、そうでもないような気がする。いつまでも未完成で、答えの出ない問いの姿をすることを通じて、人々の希望・未来(芸術並びに現実における)の仮託先を引き受けることを通じて、その時はじめて、その度ごとに、カーゲルの作品はルンペンプロレタリアート的に輝きを放ち続けることだろう。

(1)秋山邦晴「アクションを主役とする器楽劇のアイロニー〔マウリチオ・カーゲルの演奏〕(イメージの狩猟)」『海』中央公論社 [編] 5(3) 、1973年、164~167頁。
(2)同書、167頁。

  

(2022/1/15)

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<Artists>
Performer: Ree, Takashi Aoyama, Dogen Kinowaki, Takashi Niigaki, Shinya Hashimoto
Director: Tomoko Fukui (Japan Society for Contemporary Music)
Stage Manager: Kizuku Odahara (ART CREATION, INC)
Musical Score Translationh: Shu Ishimi
Planning: International Department of Japan Society for Contemporary Music

<Program>
●Pre-talk: Jo KONDO(composer) On the Music Theater
Mauricio KAGEL/Staatstheater: Repertoire(1970, Japan premiere)