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ラ・フォンテヴェルデ冬公演 スパニッシュ・ハープと奏でる古のスペイン|大河内文恵

ラ・フォンテヴェルデ冬公演 スパニッシュ・ハープと奏でる古のスペイン
La Fonteverde: Ancient Spanish music with Spanish harp

2021年12月27日 近江楽堂
2021/12/27  Oumigakudo
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by K.Miura

<出演>        →foreign language
ラ・フォンテヴェルデ:
ソプラノ:鈴木美登里
カウンタテナー:上杉清仁
テノール:谷口洋介、中嶋克彦
バス:小笠原美敬

スパニッシュ・ダブル・ハープ:伊藤美恵

<プログラム>
L. ルイス・デ・リバヤス:ガリアルダ
<王宮の歌曲集>より 作曲者不詳 ディンディリン
作曲者不詳 3人のムーア人の娘
J. デル・エンシーナ:カッコウ
J. バスケス:ポプラの林に行ってきたよ
J. イダルゴ:その通りだ、いや違う
J. デ・プレ:千々の悲しみ
L. デ・ナルバエス:皇帝の歌
J. バスケス:わたしの愛しい人
A. ムダーラ:誰かがわたしを呼ぶような
D. ピサドール:聖ホアンの祭りの朝

~休憩~

A. デ・シルバ:幼子が生まれた
A. ムダーラ:ルドヴィーコのハープを模したファンタジア
悲しみのダビデ王
J. デル・エンシーナ:言ってくれ
J. バスケス:何を使って洗いましょうか
J. マリン:マリーカ、もし虜にしたいなら
作曲者不詳:私の歩みは
L. ルイス・デ・リバヤス:ハカラス
J. デル・エンシーナ:このなめし皮で
M. マチャード:二つの星は追いかける
<ウプサラの歌曲集より> リウ、リウ、チウ

~アンコール~
ラ・トリコテア

2002年に結成されたラ・フォンテヴェルデは、ルネサンス~バロックにかけてイタリアで花開いたマドリガーレをレパートリーの中核に据え、今年結成20周年を迎えた。メンバーは日本の古楽界でそれぞれ活躍し、あらゆる機会で耳にする演奏者たちだが、この団体としての活動も続けている。今回はイタリアから少しだけ西に行った同時代のスペインの作品を中心に組まれた。

スペインといって、まず思い浮かぶのは19世紀以降の作曲家らだが、16~17世紀のスペインは「陽が沈まぬ国」として栄華を極めた時代でもあり、さまざまな文化とともに音楽も栄えていた。同時代のイタリアやフランスの音楽と比べると、明らかに、私たちがスペインと聞いて思い浮かべる要素(旋律、リズム、和声法)などを持ち、それゆえに偏った単一のイメージでとらえられがちである。

スパニッシュ・ダブル・ハープとともに繰り広げられた1時間半は、当時のスペインの音楽が多様な広がりと普遍性を併せ持った世界であったことを強く印象づけたという意味で、非常に価値の高いものであったと言える。

「ディンディリン」という掛け声が1声ずつ増えていって、リズミックで楽し気なのに、最後の詩節で悲しいお知らせを語るイタリアのマドリガーレにもよくある光景から始まり、《3人のムーア人の娘》はムーア人という言葉から連想されるように異国情緒を含む憂いを帯びた曲。と思うと、「カッコウ」という歌詞をリズミカルに追いかけっこした楽しい《カッコウ》が続く。《ポプラの林》では充実した和声を聴かせた。

イダルゴの《その通りだ、いや違う》、これを中嶋がこれ以上ないというほどぴったりの声質で歌い上げ、ハープがスペイン味を盛り、聴きものであった。ここまで行ったり来たりしながら盛り上がってきたスパニッシュが、次のジョスカンの曲でいったんリセットされる。

《千々の悲しみ》はジョスカン・デ・プレの作品でスペインの作曲家によるものではないが、カルロス1世(神聖ローマ帝国のカール5世)が好んだとしてスペインに広まり、ナルバエスが器楽曲に編曲している。ジョスカン特有の繊細な和声を聴いているとフランスに意識が飛び、しばしスペインから離れるのだが、ナルバエス編曲のハープで聴くと途端にスペイン風になるところが不思議だ。

ここから3曲はギアが1段あがる。《わたしの愛しい人》は声部構成が入り組んでおり、精巧な網目細工のような構造をしている。通常男声4人にソプラノ1人では上声が霞んでしまうものだが、鈴木の声は対等に渡り合っていて、この5人でうまくバランスが取れていることに長年の積み重ねを感じさせた。《誰かがわたしを》はソプラノとハープだけなのだが、拍通りにきっちり分けるのではなく微妙な揺れが入っていて、同時代のイタリア・フランスの音楽とは明らかに様相が異なる。この演奏を授業で流したら「無印でかかってそう」という声があがりそうなくらい、民族色が感じられた。
前半最後は《聖ホアンの祭の朝》。冒頭、ハープの木の部分を叩いて打楽器様の音を出し、いやが応にも盛り上がる。ソロの部分があったり、5人が一緒に歌ったり、はたまたソロに歌詞のないコーラスがついたりと、小さなカンタータを聴いているような充実感。ここまでの12曲は、1曲1曲がすべて違い、どれか1曲でこの時代の音楽を代表させることは不可能だ。

後半は、ラテン語の曲から。つい数日前のクリスマスに思いを馳せる。伊藤によるスパニッシュ・ダブル・ハープの説明とムダーラのファンタジアに続き、《悲しみのダビデ王》は上杉の声とハープで王の悲しみの深さがありありと心に浮かび、沁みる。

次の《言ってくれ》では一転、明るく陽気でリズミックな曲調で客席もノッてくる。バスケスの《何を使って洗いましょうか》が始まった途端、驚いた。スペインではないように聞こえたからだ。というより、冒頭の部分がジョスカンの《森のニンフ》にそっくりなのだ。この曲からはスペインらしさよりも同時代のメインストリームの響きが流れているように感じた。だったら、ラ・フォンテヴェルデにとっては掌中の珠である。

《マリーカ》はマドリガーレにスペイン風味を足した感じだが、これも見事。ここからしばらく、マドリガーレをベースにスペインらしさが付け加えられた曲が続くが、やはりマドリガーレがきっちり身についている彼らの手にかかると、スペイン味の匙加減が絶妙で安心して楽しめる。最後は《リウ、リウ、チウ》。リズミックな曲に途中から手拍子が入り、客席でも思わず一緒に手拍子が始まり、最高潮のまま終わった。
興奮さめやらぬ中演奏されたアンコール曲は《ラ・トリコテア》。日本の民謡のような旋律から始まる曲で、ほっこり気持ちが落ち着く。プログラム前半では16~17世紀スペイン音楽の多様性、後半では地域の特有性のみにとどまらず他の地域の音楽をも取り込んで普遍性を獲得したことを提示した。プロが本気を出してかかると、ここまでの熱量を放つことができるのだと体感し、温まった心と身体で家路につくことができた夜であった。

(2022/1/15)

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Players:
La Fonteverde:
Soprano: Midori Suzuki
Countertenor: Sumihito Uesugi
Tenor: Yosuke Taniguchi, Katsuhiko Nakajima
Bass: Yoshitaka Ogasawara

Harp: Mie Ito

Program:
Lucas Ruiz de Ribayaz: Gallarda
<Cancionero musical Palacio> Anonymous 15c: Dindirín
Anonymous 15-16c: Tres morillas m’enamoran
Juan del Encina: ¡Cucú, cucú
Juan Vasques: De los álamos vengo
Juan J. Hidalgo: Ay, que sì, Ay que no
Josquin des Prés: Mille regretz
Luis de Narvaez: Cancion del Emperador
Juan Vasques: Gentil señora mía
Alonso Mudarra: Si me llaman
Diego Pisador: La mañana de San Joan

–intermission—

Andreas de Silva: Puer natus est nobis
Alonso Mudarra: Fantasia de Luduvico
Triste estaba el rey David
Juan del Encina: Fatal la parte
Juan Vasques: Con què la lavarè
Jose Marin: Si quieres dar Marica en lo çierto
Anonymous 16c: Mes pas semez (folia)
Lucas Ruiz de Ribayaz: Xacaras
Juan del Encina: Si abra en este baldres
Manuel Machado: Dos estrellas le siguen
<Cancionero de Upsala> Riu, riu, chiu

–encore—
La tricotea