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特別寄稿|作曲家と演奏家の対話・VIII|創造と伝統の継承・ベオグラード美術アカデミー|ダムニアノヴィッチ & 金子

作曲家と演奏家の対話・VIII『創造と伝統の継承・ベオグラード美術アカデミー』

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子

>>>作曲家と演奏家の対話
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>>> セルビア語版

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ (A.D.)

年刊誌『ジヴォピス(Живопис/Jivopis)』の編集長より私が近年研究している音楽における神学のテーマで寄稿を依頼された。ジヴォピスとは、スラヴ語で文字どおりZoo-graphe,つまり『生命を描く者』という意味だ。かつてビザンチ帝国とロシア正教を信仰する国々では、この名称は今日言う『画家』のことだった。(すなわち、ヴァン・ゴッホは « Zoo-graphe»『生命を描く者』ということになる) この学術誌も、その発行元も良く知らなかった私は、2021年12月にセルビアのベオグラードに帰郷した折り、小規模な年刊誌と思っていたこの本が350ページもあり、美術とその保存をカリキュラムとする、セルビア・ロシア正教会美術アカデミー(大学)が発行元であることを知った。私立で4年制の学士課程とその後に1年間の修士課程も持つこのアカデミーを早速私は訪れた(アカデミーの公式サイト)。

ベオグラードの美術アカデミーにて筆者撮影。学生が聖画を模写している

初めの驚きは、この年刊誌が、聖画やフレスコ画といった多くの宗教美術を取り上げているのを知ったことで、その中では宝石類でも「特別の形を持つ精神文化的、物質的な作品」として扱われている。
2つ目の驚きは、実際の私の美術アカデミー訪問だった。まずロシア正教の宗教美術の特徴についていくつか説明をしておこう。ロシア正教の美術作品というと、多くの人々にとっては聖画とフレスコ画に絞られる。昔のモデルにかなり忠実な複製という訳だが、それは自然を描写や、写真のようなモデルの忠実な再現を目指すレアリズム美術ではなく体系化された芸術だ。しかしながら、実際は少々違っていたのだ。

学生達によって描かれた聖画の為のデッサン。上に掛けられている聖画は、キリスト教の聖画の創始者でもある聖人ルカ St Luc

アカデミーの最初の大きな教室に入ると、20人程の学生達が数々の鳥を忠実に、科学的にデッサンしていた。他の動物や人体の一部のデッサンに視線を移せば、それは医学部の人体解剖の授業に似ているようでもある。聖画やフレスコ画で見られるような、人間の身体や手が超自然的に長く歪曲される手法、そのために西ヨーロッパ人達が、ロシア正教の聖画家達はデッサンもできない、と誤った評を下した手法とは全く違う。アカデミーの学生達は、まず、動物と人体を科学的に綿密にデッサンすることを学ばなければならないと説明を受けた。人体図を聖画として非現実的に変容させることは、不器用さからではなく、芸術上、精神上の選択なのだ。

金子陽子 (Y.K.)

ベオグラードアカデミーからのリアルタイムでの貴方からの報告は、教訓的で貴重なものだった。このような由緒あるアカデミーに入って見学させて頂くことは、観光客の身ではまず無理な事であり、メルキュール・デザールの読者の為に扉を開けてくださったアカデミーの関係者の方々にこの場を借りて感謝の気持を伝えたい。

便りの内容から貴方自身の感動が私にも良く解る。経済、採算、コロナ患者数等、連日数値に左右されるこの社会では、我々を取り巻く世界と自分自身が居る場所についての概念を忘れがちだ。自分が何処に位置するかということは、生命、人生といったものの意味を見極めることができるための原点なのだ。
それぞれの芸術に精神的な意義を与えることも素晴らしい。
美術が人間の生を描くならば、音楽も同じであり、それぞれの芸術の真の有益性を自覚することは我々芸術家に安らぎをもたらしてくれるものだ。

A.D.

モザイク画のアトリエ

階段を降りた地下教室の数々で、仮面、フレスコ画、ロザス(ばら型装飾)、浮き彫りなど、中世の寺院の装飾した美術品のレプリカの授業を見学した。壁画は教室の壁に直接描かれる。地下ということで、カタコンブ(地下墓地)や古代ローマ帝国の地下に迫害を逃れて潜みつつ、フレスコ画を初めて描いた初期キリスト教信者達のことが脳裏を横切った。そしてラスコー洞窟の石器時代に描かれた壁画を夢想した私は、然り、芸術は人間のDNAにしっかりと記されているのだな、と思った。

キャンバスに描かれた18世紀の油絵の修復

地下教室の壁に描かれたフレスコ画の複製。修復の演習の為に恣意的に傷つけられた

穴があき、ナイフや鑿のような鋭利な道具で引っ掻かれた跡だらけの、破損したフレスコ画を眼にした時は驚いた。それは敵のトルコ軍に冒涜された、中世のセルビア寺院のフレスコ画にも似ていると思いきや、実は文化財修復クラスの学生達の演習のために、フレスコ画の完成後に学生達が自ら傷つけて部分的に破壊したものだった。才能のある美大生達が、同僚が修復しに来る為に、自らの作品を破壊するのを見るのはかなり印象に残る光景だった。

18世紀のロシアの祈祷書の清掃と保存

その他の教室では、手書きの古文書(18世紀のロシアの祈禱書)やカリグラフィーの修復をしていた。
最後の驚きは、生きた芸術の創造が存在するということだった。
ロシア正教の他の美術作品も含め、聖画は大変に体系化されている。個人的な美化や個性を挿入することは禁止とは言わずとも厳正に管理され最低限に抑制されている。全体の規範としては、いわゆる昔のモデルの複製である。しかしながら、そこには何かずっと繊細で深い探求があることに私は気づかされたのだ。

Y.K.

昔の作品を模写することから絵画の手法を習得する、という貴方の報告を読みながら、私は習得と伝達という概念が持つ類似性に気がついた。私達の幼少時を思い起こしてみると、話し言葉、書き言葉の学習は、音楽を含めた芸術の学習と実は近い関係にあるのではないだろうか? 理解できるためにまず先生や両親の真似をする。貴方が美術アカデミーで観たように、昔の聖画やフレスコ画を、まず技術を自分の物とするために模倣するということは、間違いなく学習の根本的な方法なのであろう。
正しく、基礎を学ぶためのこの厳正な枠は、芸術の必要不可欠な原点であり、それがあるからこそ芸術家達は独自の個人の表現の世界に導かれるのだ。
この基礎の枠の重要性を語ると、個人的表現の領域はとてつもなく限られているように思われがちであるが、考え抜かれた色彩や柔軟性を少しずつ取り入れて行くことによって、表現の可能性は実は限りなく存在することに気がつくものだ。

A.D.

スマホで撮影した画像を基にモザイク画を作製中。伝統の為に一役立つ現代技術!

貴方の観察は的確だ。確かに文化財の保護と修復は作品の創造、いわゆる「現代芸術」とはかけ離れた分野と一般的に見られている。音楽について、例えば音楽院の古楽科の分野(中世、ルネッサンス、バロック音楽)は、作曲学科とは交流がない。我々の時代では、伝統と創造の関連性は優先課題として存在しない。他の芸術の分野の状況は私自身把握してはいないものの、この状況は類似しているようである。20世紀に、少なくとも音楽創造の分野において過去との断絶が生じた。多くの現代作曲家達は過去の音楽を尊重しない。過去の文化遺産を全く知らないか又は熟知していないのだ。そして自らが神であるかのように、虚無から創造するという態度を取る。
もしも(ごく僅かの作曲家達しかしないように)文化遺産を調べるとしても、それはまるで、地層が含み持つ豊かさを知らず、興味も持たない炭坑夫が、坑道に降りてその日に必要なだけの鉱物を急いで掘り出して来るという様な行き当たりばったりの営みをする。
私がこのアカデミーで見たのは、芸術家が伝統の中に生活し、そこから植物のように成長して自分自身の芸術の世界に、文化遺産との関係を絶やさず到達する、ということ。師が生徒を(検閲や自立を妨げるのではなく)豊かにして支えるように、文化遺産が芸術家を見つめて観察し続けるのだ。

Y.K.

芸術の習得、創造、保護と修復と、精神性を一堂に集めた機関が世界にどれくらい在るのか知るすべもない。日本については、古都として歴史のある京都に、仏教美術を習得できる私立の教育機関*)が存在するようである。
*) 京都伝統工芸大学校 (英語名 “TASK :Traditional Arts Super College of Kyoto”)

A.D.

貴方がインターネットで見つけたサイトで京都の教育機関の写真を幾つか閲覧した。そこから醸し出される繊細さ、生徒達が使用して小さな仏像となる木材の暖かい輝きに私は好感を持った。
ベオグラードの美術アカデミーの教育方針を観察しつつ、私は音楽家の仕事について考えを巡らせた。作曲家として、とりわけフォルテピアノという歴史的遺産である楽器、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトも使用した楽器を演奏する貴女とコラボレーションをしてきた私は、音楽の未来について問いかける。1世紀前から、音楽を作曲するために、幾多の新しい方法と素材が出現し、斬新さを持つ事が作曲家の教条となり、音楽作品を構成する為の素材が興味の中心となってしまったのだ。斬新さを前面に出さない芸術は存在する理由がないかのように。しかしながら、電子音楽は楽器であり、(この例だけを取らなくても)それ以上でもそれ以下でもない。それはバッハにとってのオルガン、ベートーヴェンにとってのフォルテピアノ、ラフマニノフにとっての現代のピアノと同じだ。作品を不滅なものとするのは、楽器でも素材でもなく、作曲家の魂である。私がバッハを例に出したように、彼は伝統と過去の遺産に浸されて『老いたカツラ』と評された程であったが、今日最も人々に聴かれて永遠に新鮮に響き続けているではないか。このアカデミー訪問から、私は神秘的な古い時代の音に耳を傾けることを学んだ。

Y.K.

更に違った観点から芸術を観てみよう。
我々は一体何を学ぶのだろうか? 私はまず、自らを時間の中に位置付けることが大切だと思う。過去についての学習が今現在の自分の生き方を条件付け、それを基に未来(今からする事)を決めたり計画を立てることが出来るからだ。この時間の観念(2021年3月号の対話で扱ったテーマ)、とりわけ過ぎ去った時間の観念は一般に忘れられがちだが、音楽に於いてかなり素晴らしい開拓のヒントを与えてくれる道具といえる。

演奏家は、自分が演奏する楽器の構造や、使われている素材について得た知識によって、表現の可能性と目指す方向の一覧を手にすることができる。それは優れたシェフが各地を巡って最良の有機栽培の野菜や地方色ゆたかな食材と出会うことにも似ており、音を駆使しての旅、即ち演奏を豊かにさせる。

保存と修復という行為は時間を超えて未来に教え継ぐ行為と同義だと私は考える。ある「技」なり、クリエーション自体に良い要素や必要性が見いだされ、それを保存したいという希望が膨らんだ暁に、それが教え継がれ、繰り返され、伝統という名の元に永遠化されるのだ。

更に音楽の世界は3次元であることを思い起こす事も興味深く興奮させる。それぞれの音、それぞれの楽器がその音色と響き(強弱、高さ、継続時間)を持って音の建築に貢献し、空気の振動を介して聴く者の魂に到達するのだ。

A.D.

この文章を書きつつ、貴女が書いた作品の精神とそれを構築する素材の親密さについて読みつつ、私はアカデミーの編集長Dr.ダフルコ・ストヤノヴィッチ氏による前書きを眼にする。氏は「現代の教会美術には言語と瞬間の体験との間に深い裂け目がある」と語る。彼が思うには、現実の生活とかけ離れた言語の使用によって、芸術的表現は「形式尊重の意味論」となり「存在する個としての人間を、感情と理性の総括と見る」能力を失い、それが「芸術、信仰と生の対立」に至らしめたという。

言い換えれば、芸術的言語は、体験者の表現手段である代わりにそれ自体が目的になっている。表現の意味が技術とパフォーマンスに取って変わられる。「私がどのようにするか」が「私がすること」より重要となる。このように芸術家は論理だけに簡潔化され、自身の感性を忘却する。芸術が命から遠のく。

ベオグラードアカデミーと京都の教育機関はこの基本を再発見することに貢献していると私は感じる。現代人の眼には取るに足らないこと、ほとんど軽蔑されがちな、昔の作品を模写するということは、我々を、それ自身が価値と貢献度を実証してきた芸術と生きたコンタクトに導く。模写するということは、我々がその作品に価値を見いだしたという事でもある。更に、この方法は芸術の職人としての面にも貢献する。石、木材、他の材料にしろ、芸術家が使って変化させる素材から我々は使用法を学ぶ。石の性質を尊重しなければ石は思わぬ場所で割れてしまう。木材も、その繊維方向に従って使用しなければ不本意な場所で裂けてしまうものだ。
作曲家としての私は、音の材質に導かれる。私個人としての美学の良識、美、純粋に論理的なものが、ピアノの弦の震動によって変容し、教示を受ける。この自然な震動は1世紀前、2世紀前の過去と不変であり、そのようにして私は過去の大作曲家の作品を調べつつ、孤独感から救われ、彼らの基礎の上に私の音楽を創作するのだ。

(2022/1/15)

ベオグラードの聖サヴァ大聖堂の内部

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アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ

1958年セルビアのベオグラードに生まれ、当地で音楽教育を受ける。高校卒業後パリに留学し、パリ国立高等音楽院作曲科に入学、1983年に満場一致の一等賞で卒業後、レンヌのオペラ座の合唱指揮者として1994年まで勤務すると共に主要招聘指揮者としてブルターニュ交響楽団を指揮する。1993年から98年まで、声楽アンサンブルの音楽監督を勤める。1994年以降はフランス各地(ブルターニュ、ピカルディ、パリ近郊)の音楽院の学長を勤めながら、指揮者、音楽祭やコンサートシリーズの創設者、音楽監督を勤める。
作曲家としてはこれまでに、およそ10曲の国からの委嘱作品を含めた30曲程の作品を発表している。

作品はポストモダン様式とは異なり、ロシア正教の精神性とセルビアの民族音楽から影響(合唱の為の『生誕』、ソプラノとオーケストラの為にフォークソング、ヴァイオリンとオーケストラのための詩曲、ハープシコードの為の『エルサレム、私は忘れない』、オーケストラのための『水と葡萄酒』など)或は他の宗教文化の影響を受けている以下の作品(7つの楽器の為の『エオリアンハープ』弦楽オーケストラの為の『サン・アントワーヌの誘惑』、声楽とピアノの為の『リルケの4つの仏詩』、合唱とオーケストラの為の『ベル』など)が挙げられる。

音楽活動と並行して、サン・マロ美術学院で油絵を学んだ他、パリのサン・セルジュ・ロシア正教神学院の博士課程にて研究を続けており、神学と音楽の関係についての博士論文を執筆中。

2019年以来、フォルテピアノ奏者、ピアニスト、金子陽子の為にオリジナル作品(3つの瞑想曲、6つの俳句、パリ・サン・セルジュの鐘)アリアンヌの糸とアナスタジマのピアノソロ版が作曲されて、金子陽子による世界初演と録音が行われた。

Entendre

ベオグラードの聖サヴァ大聖堂、ローマの聖ピエトロ大聖堂、モスクワの救い主ハリストス大聖堂に続いて世界3番目に大きな教会

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金子陽子(Yoko Kaneko)

桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。

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