カデンツァ|見上げてごらん|丘山万里子
見上げてごらん
Let’s look up
Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)
謹賀新年。
年初めには、肩の力を抜き、うんと遥か、遠くに目を放(ほう)ってみたい。
私は夜空が好きだ。
昨年はレッドムーンを見ようと近くの原っぱに出かけたら、たくさんの人たちが一斉に空を見上げていて、なんだか嬉しい気持ちになった。
みんな目の前の日常の事柄に追われ、おまけに長いコロナ禍で神経がささくれていて、そんな時、誰彼なく、だだっ広い原っぱに集まり、空を見上げ、見えないねえ、と言い合っている様は、大都会の閉塞の中での、ほっと小さな一息、のようだった。
「見えないねえ」というのに混じる「残念!」を原っぱ全体が一緒に感じている、それは、動画で見る、とかいう共有とぜんぜん違う、温かで素朴なものだった。
私は粘りに粘り、欠けた月がフルムーンになるまで見届け、残っていたわずかの人影をそれとなく前に後ろに感じながら、輝く満月を何度も見上げつつ自宅に戻ったのだった。
流れ星が何より好きであるので、昨年末の大規模双子座流星群には胸を躍らせた。11月の獅子座の時は時間も合わず、月明かりなど条件が悪かったので徒労に終わったが、原っぱの真ん中で空を見上げる人が一人おり、同好の士であるな、と親近感を抱いてしまい、寒冷完全防備で間違いなく不審者の我を顧みず、帰りがけ、つい近づき「見えました?」と声をかけてしまった。「いえ、見えませんねえ」と彼は言い、それでもまだ執着の様子であったから相当飢えていたのだ。
双子座は2日間観測可能ということで、ダウンにホカロンあちこち装備でいざ。12時半頃であったが、ちらほら数名、居るではないか。カップルなんぞもいて、ロマンチックだあ。で、真ん中にぽつんと立つ、かの人らしき姿を発見、やっぱり、と密かに嬉しい。
流れ星は漠然と見るのが肝要で、私はベンチに寝っ転がり、ずっとオリオンの三つ星あたりを眺めていた。ほぼ10分後。すうっー。思わず、「流れた!」と小さく叫ぶ。周りに誰もいないしね。
すっかり気分が上がった私は、なんとそれから4つも流れるのを見て(30分くらいの間で、だ)、たびごとガッツポーズをし、ほくほくと家路についたのであった。
翌日、ピーク2時にはばんばん流れる情報に浮き足立った。2時はさすがにきつい。が、昨夜は4つだ、今夜はきっともっと、と欲を出したものの30分で結局1つだけ。ついに諦め、それでも見えたからいいや、と家に戻ったが、もしやと庭に出てみる。と、さーっと流れるではないか!なあんだ、庭に寝っ転がっていれば良かった、と思いつつ、それなり満足の眠りについたのである。
これまででもっとも大きな流星は、イタリアの山あいのホテルのバルコニーから見たもので、夜空を大きく悠然と尾を引いて流れてゆき、ふと、イエス誕生の時、東方の三博士が彗星に導かれてベツレヘムに行った話を思い出した。ツリーに飾る尻尾のついた大きな星飾りそのまんまの流星で、今も私の夜空に輝いている。
夜の森のしっとりした大気の匂いと一緒に。
* * *
年末のTVでマッターホルンをイタリア側から登るドキュメンタリーを見た。ものすごく大変なルートで驚いた。私はスイス側から、ヘルンリ小屋まで子供二人と登ったが、今考えるととんでもなかった。ミュンヘン生活で知り合った日本人留学生Sさんがマッターホルンに2度登った話(専門ガイド付き)を何度もし、小屋までなら子連れでも行けますよ、案内しましょうか、と曰う。中学生の頃からガイドブックで見た鹿島槍モルゲンロートに憧れた私は、登山専門店で靴からストックから買い揃え、敢行したのである。
その前に、ゴルナー氷河(たぶん)のうえを歩いた。10歳の息子は足を滑らせても大丈夫なようにSさんと腰に紐をつないで、子犬みたいだった。氷河は怖いような、荘厳のような、不思議な景色で、裂け目(クレバス)は少し青かった。以前、アイガーで氷河洞窟の中を見たときは、息をのむ青さ美しさに圧倒されたが、それとはだいぶ違うな、などと思いつつ。コケたらひとたまりもないのに。これだって、無知のなすところ。
番組では山裾の氷河のクレバスの中に入り、その氷柱のそれぞれの傾斜具合を、氷河が動いている証拠だ(氷柱の下がる様々な向きで判る)と言っていたが、温暖化でどんどん溶けているのだ。
高度に慣れるため麓のツェルマットで一泊、 S氏とキャンプ場のテントで夕食。揺れるカンテラの灯りのもと、彼の寝袋に入ってみたり、ひっくり返って星空を眺めたり。いろんな国の人たちがいて、みんなワクワクでそれぞれの灯りを囲んでいる。我々親子は無論、ホテルで寝た。
翌朝は素晴らしいお天気で、その威容がくっきりと青空に映えた。
なんでこっちの人はストックなんか使うのか、みっともない、とか思っていたが、とんでもない、これがなければ無理無理。シュヴァルツゼー湖あたりまではピクニック気分だったが、どんどん道は険しくなり、細くなり、絶壁っぽくなってゆく。よそ見すれば滑落の危険あり。子供たちは平気な顔だったが、途中でまず娘が頭痛、次に私が頭痛に襲われる。それが高山病の症状だとの自覚もなかった。休憩しつつスケッチなどしていたらおさまったのは幸いというほかない。息子はもちろん縄に繋がれ、でもSさん、素人ガイドだから何かあったら一緒に落ちたろう。
とにかく小屋についた。昼すぎだったから、登攀成功の人々が続々帰還し、小屋にいる人々に祝福を受けている。目の前にそそり立つ断崖絶壁。口々におめでとう!見知らぬ同士で、抱き合う。言いようのない感動。後にも先にも、こんな気持ちは味わったことがない。
自然への畏怖と畏敬。人間の愛おしさ。そこにあるのは征服欲とか達成感とか、そういうのとは違う気がする。何と言えぬ、至純、至高、至上の、いと美しきもの、いと愛しきものへの限りなき接近とそれとの抱擁のようであって、頂に立たなくとも、その美しさの一片を掌に受けたように思い、胸にぎゅっと押し当てた。
* * *
星は変わらず夜空に輝き、天の運行を伝える。
氷河はどんどん溶け、動き、地球は洪水や火災で傷み始めた。
宇宙から帰還した野口聡一宇宙飛行士は、宇宙船外での活動について、言う1)。
宇宙空間というのは、音がない世界、冷え冷えとした景色です。
そこにひとりで足を踏み出していく。
実際には無重力なので手を伸ばしていくのですが、まさに踏み入れていく感覚があります。
宇宙には放射線がいっぱい飛んでいますので、危険性も明確にある場所なんです。
ここより先は行っちゃいけない世界だ、ということを本能的に感じながらドアを開けて外に出ていく。
ヘッドライトで照らしても何も見えない。あるのは漆黒の闇。
生命が存在することを許されない“絶対的な闇”です。もちろん頭では、反射するものがそこに存在しなければ、光で照らしても何も見えないということは知識として理解していました。しかし、これまで見たことのない漆黒と対峙したとき、初めて宇宙という虚無の世界に触れたような心地がしました。私は人類の文明が生み出したISSと指先一つで繋がりながら、生と死の境界線ならぬ“境界点”にいたのだと思います。
船外活動中は「自分の命はあと数時間しかないんだ」と、常に意識しながら作業することになる。じつに即物的な“数字”で、自分の限られた生命を認識するわけですね。でも、本当は、私たちの人生にも、地球という惑星にも、いつか終わりはやってきます。500年も生きる人間はいませんし、地球も数10億年後には生命が存在できない環境になってしまうかもしれない。
その一方、ISSの船外に出て、何物にも遮られることなく対峙した地球の圧倒的な美しさは筆舌に尽くしがたいものです。地球それ自体がまるで生き物のように眩しく、輝いている。その重力に引かれて宙空を漂いながら眺める地球は、ISSの中からとは全く違う距離感でそこに輝いているんです。
野口さんの語る宇宙・地球・自我(「辛うじて触れている親指と人さし指、この2点にすべての自我が凝縮される感覚でした」)2)。
漆黒の絶対虚無、死のイメージ(彼はそれを「黄泉の世界」とも言う)たる宇宙。
その闇に眩しく輝く命あふれる星、地球。
宇宙船は「ミニ地球」、それにわずか指2本で繋がる人間・私という自我。
私たちが生きているのはそういう星だ。
太陽の寿命はほぼ100億年、いま現在、その半分くらいの年齢だとか。
私の大好きなオリオンの星ベテルギウスはおよそ1000万年、現在は数百万歳だそう。赤い星はもうじき命が尽きるしるしで、なんだか線香花火のぶうっと膨らむ最後の輝きを思わせる。
ベテルギウスと地球との距離は最新データによればおよそ520光年、つまり大航海時代(1500年)の光が今、届いているわけで、マゼランが見たであろう輝きは11世紀東西世界に終末・末法思想が広がった頃のもの。そんなふうに時をたぐると不思議な気分になる。コペルニクスの地動説は1543年のことだから、人間の世界とか宇宙認識が一段階上がった時代。ポルトガル人が種子島に着いたのもこの年で、いわば地図と天図がどんどん更新されていった頃になる。
一方、アルプス山脈は地質年代第4期(約200万年~1万年前)の間の5回の氷期の氷河作用で形成されたそうだが、マッターホルン取材TVの伝えるように、温暖化による氷河融解が進み2100年には消失の恐れがあるとか。
氷河を歩くなんていう時期は、もう終わったのだ....。
生きている地球。そこに暮らす私たち。全ては有限。
遠く、ひろく、見渡すなら、宇宙に行かなくとも、気づくことはたくさんある。
私が音楽を好きなのはその生成消失のさまが、宇宙の塵たる流れ星の瞬時の輝きと光跡に似るからだ。
そうして、自分が美しいと思うものを、「きれいだね」と一緒に見上げる人が一人でもいるなら、共に過ごす時間が一瞬でもあるなら、それは僥倖なのだ。
野っ原のたった一人とでいい。
絶壁の下の見知らぬ人とでいい。
音楽はほんらい、そのように出会うものではないか。
終わりに、野口宇宙飛行士が宇宙暮らしの最後に私たちに送ってくれた挨拶をご紹介しよう。
『野口宇宙飛行士の宇宙暮らし FINAL ショパン「別れの曲」』(YouTube)
沈みゆく満月に合わせて、ショパンの別れの曲をお届けします。半年間応援ありがとうございました!
https://www.youtube.com/watch?v=HDZkuZ9osaU
(2022/1/15)
- 「宇宙で知った生と死の境界点」 野口聡一
文藝春秋digital
2021年11月25日
https://bungeishunju.com/n/n327a27deafce#7dIvk
スペースXの民間宇宙船に搭乗、宇宙観光の「可能性」と「危険」を語る。/文・野口聡一(宇宙飛行士) - ほぼ日刊イトイ新聞
2020年11月16日
https://www.1101.com/n/s/spacex/2020-11-16.html