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Back Stage|コロナ禍の先にある風景|入山功一

コロナ禍の先にある風景
Landscape over the COVID-time

Text by 入山功一(Koichi Iriyama)

コロナ禍の中、二度目の年始を迎えました。世界中のクラシック音楽界で多くの演奏会が中止、延期を余儀なくされました。もちろん日本も例外ではありません。コロナ禍初期の一年は、時間が止まったかのようでした。その一方で、私はコロナ対応に奔走し、本来の仕事とは異なる、慣れない務めに明け暮れました。振り返るのは時期尚早と思いつつ、コロナ禍におけるクラシック音楽界の動向を、私が代表を務める一般社団法人日本クラシック音楽事業協会(クラ協)の取り組みを中心にご紹介したいと思います。

一昨年2月、当時の安倍首相からイベント自粛要請が発せられました。当初は、クラシック音楽公演が所謂イベントに含まれるのか否かさえ判然とせず、半ば他人事のように受け止めていました。飛沫感染については理解していたものの、聴衆に静寂が求められるクラシック音楽公演において、感染リスクが高いとは思っていなかったからです。しかし、程なくすべての催し物が一様に自粛を求められたことが明らかになりました。クラ協は、即座に自粛要請を受け入れることを表明し、同時に政府に補償を求める要望書を提出しました。未知のウイルスを前に、いったんすべてをストップさせるのは致し方ないこと。しかし、それによって生活の糧を失う演奏家や事業者への補償がセットであるべきという考えからでした。
私たちとしては、至極当然の要望と考えていましたが、実際には私たちの行動に心ない誹謗中傷が浴びせられたのです。私たちの要望書提出がイベント関連団体の中でも早い段階だったからか、マスコミで大きく取り上げられました。すると、ネットニュースには、生命の危機だというのに娯楽の連中が何を言うのか、税金で助けてくれとはムシがいいといったコメントで埋め尽くされました。クラ協にはクレームの電話まであり、私の気持ちは暗く塞ぎました。
もちろん、支援して下さる皆さん、寄付を申し出て下さる個人、企業も多くありました。しかし、この経験は、日本社会におけるクラシック音楽の有り様を、またも深く考えるきっかけになりました。
古くて新しいテーマ。西洋文化であるクラシック音楽が、日本社会においていかなる役割があって、いかなる存在なのか。教養主義的に受容された歴史、バブル期のファッションのようなイメージ戦略。結局、クラシック音楽は少し取り澄ました、お洒落だけれど、どこかよそよそしいお仕着せに過ぎないのか。そんな諦めにも似た感慨がよぎります。
そして、文化芸術が直面する困難を訴える時、私たちが高所からものを言っているかのように受け止められることも知りました。文化芸術継承のためなら支援するのが当たり前というのか。あらゆる産業が困窮する中、文化芸術だけを特別扱いしろと言うのかと、反発の声が聞こえて来るのです。テレビや新聞のインタビューの際、私は言葉遣いに殊更神経質にならざるを得ませんでした。

さて、それからは大忙しの日々となります。
ガイドライン策定、公演における飛沫感染リスクの科学的検証など、懸案はやまほどありました。各業種の感染予防ガイドラインについて、まずは業界団体が策定し、国が承認するというプロセスが示されたのです。そこで、ガイドライン策定を目途とし、私が提唱して昨年5月に立ち上げたのが、クラシック音楽公演運営推進協議会です。
クラシック音楽界には、私たち事業者の団体であるクラ協のほか、個人の組織である日本演奏連盟、オーケストラが加盟する日本オーケストラ連盟がございます。この非常事態を共に乗り越えたいと願い、3団体で協議会を組織したのです。私たちは、ヨーロッパから伝わってきた飛沫感染リスクの情報を元に、公演実施を目指して策定作業に全力を尽くしました。この時期、公演といった公演すべてが取りやめになっていましたので、公演再開を期して1日でも早くガイドラインを発布したかったからです。
ガイドライン策定にあたって意識したのは3つの観点です。ゼロリスクはないにしろ、お客様に一定の安心感を持っていただくこと。同様に演奏家にも演奏に集中出来るよう安心感を持ってもらうこと。そして、3つ目は社会に向けてクラシック音楽界の取り組みを理解していただくことでした。
6月、私たちのガイドラインが承認を得て発布されます。しかし、その頃、どうしても避けて通れない問題が残っていることを私は感じていました。それは、舞台上や客席における飛沫感染リスクの科学的検証でした。ヨーロッパの情報を元にガイドラインを策定したものの、日本モデルを構築するためには、自ら科学的な検証を行わなくてはならない。そうでなければ、確信を持ってガイドラインを社会に示せないと考えたからです。それに、クラシック音楽のような演奏スタイル、鑑賞スタイルにソーシャルディスタンスが本当に必要なのかという疑問を私自身持ち続けていたことも、理由の一つでした。

(c)2020 Kunihisa Tsukada.
寺島陽介さん(オーボエ)

この頃、国際的指揮者大野和士さんの先導で、都響がいち早く検証実験を実施したことも、私たちには大きな助けになりました。とはいえ、科学的検証は、簡単に実現するものではありません。必要な経費は莫大で専門家の協力も必要でした。私たちは、資金集めに奔走しました。途上、NHKの協力を得たことで、専門家の参加への道も拓かれました。その結果、一昨年7月、8月に延べ1週間に及ぶ検証が、空調会社のクリーンルームを借りて実施されました。多くの専門家や演奏家がボランティアで参加し、協議会の参加団体やクラ協の会員社が資金提供したことで実現したのです。クラシック音楽のために。その一点に関係者の気持ちは集約されていました。私自身、皆さんのクラシック音楽への思いに感動し、この先の活動への大いなる励みとなりました。

(c)2020 Kunihisa Tsukada.
加藤直明さん(トロンボーン) ベルを覆う不織布あり

検証の結果、ステージ上の演奏家は、一部を除き従来とさほど違わない配置でも飛沫感染リスクに変わりはなく、客席も収容率100%を許容する内容となりました。この検証結果を国に提出したことで、クラシック音楽公演はいち早く緩和がなされたのです。海外からも問い合わせが相次ぎ、世界のクラシック音楽界にも貢献しました。
さらに、昨年後半にはもう一歩踏み出し、私たち、クラ協が演奏家や事業者に演奏機会や仕事を創出するため、文化庁のサポートを得てコンサートツアーを企画しました。フリーランスによるオーケストラを特別編成し、指揮者、ソリスト、合唱団のべ400人近くが参加して全国19公演を挙行したのです。来年度もこのようなツアーが継続できるよう、当時の加藤官房長官に申し入れ、深い理解を得ることも出来ました。

コロナ禍は避けて通れない多くの課題を顕在化させました。そのいくつかは、元来クラシック音楽界に内在していたものです。逆に副産物も生み出したのではないでしょうか。
私は忘れません。有観客公演再開の舞台裏で涙を流す演奏家たちの姿を。結局はクラシック音楽が救ってくれる、そう信じるに足る事象をたびたび経験したことを。

(C)堀田力也
クラシック・キャラバン2021記者会見オフィシャルフォト
於2021.8.5東京オペラシティリサイタルホール

クラシック音楽は幸せの道標。クラシック音楽が育む感受性や想像力が他者を思いやる心を養う。繰り返し、事あるごとに、私はそう言い続けてきました。コロナ禍は、多くの人たちにそのことを実感させたのではないかと想像しています。そして、コロナ禍の初期から私が言い続けてきたことの一つが、クラシック音楽界が一致して、結束してこの事態を乗り越えたいということ。利害や立場を越えて手を携えること。これも、半歩ほどは進んだと自負しています。幸せな副産物です。
昨年の2月にイベント自粛要請が出てから、国会議員や関係省庁への要望、折衝、ガイドライン策定、科学的検証、文化芸術への助成金の仕組み作りの提案、コンサートツアーの企画などなど、走り続ける日々でした。息切れしそうな時、いつもクラシック音楽や演奏家が励ましてくれました。そして、大勢の人がクラシック音楽のためにと協力を申し出てくれました。幾度となくクラシック音楽の力を実感したものです。そして、結局クラシック音楽の苦境は、クラシック音楽自身が救うのだと考え至りました。
だから、大丈夫。クラシック音楽もクラシック音楽界も。そう念じるように私は言い続けているのです。

一般社団法人 日本クラシック音楽事業協会 会長
株式会社AMATI 代表取締役社長
入山功一

(2022/1/15)