Menu

第39回 横浜市招待国際ピアノ演奏会|谷口昭弘

第39回 横浜市招待国際ピアノ演奏会
The 39th Yokohama International Piano Concert

2021年11月6日 神奈川県立音楽堂
2021/11/6 Kanagawa Prefectural  Music Hall
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi) 
撮影者:藤本史昭 写真提供:横浜みなとみらいホール

<演奏・曲目>        →foreign language
ダニエル・チョバヌ(ルーマニア)
ムソルグスキー:組曲《展覧会の絵》
(アンコール)
レクオーナ:マズルカ・グリッサンド

桑原志織(日本)
バッハ/ブゾーニ:《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番》BWV. 1004より 第5曲
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op. 110
(アンコール)
リスト:《パガニーニによる大練習曲》第3番 嬰ト短調 <ラ・カンパネラ>

ケイト・リウ (アメリカ)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K. 310
ショパン:バラード第1番 ト短調 Op. 23
(アンコール)
バッハ(シロティ編曲):プレリュードロ短調

ジャン・チャクムル (トルコ)
シューマン: クライスレリアーナ Op. 16
(アンコール)
シューマン:《ミルテの花》Op. 25より第26曲<終わりに>

 

今回のレビューに際して、筆者の手違いで会場を間違えてしまい、ルーマニアのダニエル・チョバヌの演奏に関してはアンコールしか聴くことができなかった。演奏者ならびに関係者諸氏に、まずは心からのお詫びを申し上げたい。しかもコロナ禍の中でチョバヌはディスクラヴィアTMと通信ネットワークを駆使してのリモート出演という非常に興味深い内容で、筆者自身にとっても、彼の腕前と音楽性を堪能できるはずだったメインの《展覧会の絵》を聴き逃したことは残念でならない。
それでも辛うじて彼のアンコールには接することができた。レクオーナの《マズルカ・グリッサンド》は、香り高いピアニズムで聴衆を楽しませる小品。会場内に鳴り響くのは、間違いなくチョバヌのゴージャスなピアノの音なのに、ピアニストの姿は縦長のディスプレイのみ。コンサート体験としては実に不思議なもので、その場を目撃・体験できたのは貴重だったといえる。あいさつする彼の姿に拍手はしつつ、これでいいのかなという、ちょっと戸惑ったような会場の反応も微笑ましいものだった。これからの時代の演奏会のあり方として、選択肢になったりするのだろうか。

続く桑原志織は、バッハ作曲・ブゾーニ編曲の<シャコンヌ>で存在感を打ち出した。バッハ作品が暗に内包しブゾーニによって顕にされた濃厚でロマンティックな味わいを大きなスケールで重厚に鳴らし、楽器が持つ機能を十全に駆動した彼女のピアノは頑然と迫る。原曲のヴァイオリンでは困難だった芳醇なハーモニーの饗宴も躊躇なく、豪快に響かせる。長調に移る中間部ではその抒情性を豊かに土台とし、きらびやかに音を戯れさせ、後半は和声と旋律の間を縫う楽想が、少しずつ力を蓄えて芽生えていく過程を聴衆とともに味わわせた。
情熱のバッハの後は、麗しい音による、落ち着いた佇まいのベートーヴェンの31番が奏でられ始めた。しかしやがて湧き出る心の高まりは淀みなく流れ出るということもあり、第1楽章は、節度と、溢れる情熱の両方をしっかりとまとめる力量を聴いた。イレギュラーなリズムにやるせない気持ちを込めた第2楽章につづき、第3楽章は、こぼれ落ちる雫が大きな流れへと成熟するフーガに、第1楽章にも感じられた桑原の力強い造形力を、ここでも実感することになった。

アメリカのケイト・リウも、ピアノの能力を最大限に使うアプローチで、モーツァルトのソナタは、スケールも振れ幅も大きいが、作品が持つ手堅さも持ち合わせており、第3楽章にしても、疾風怒濤の表現はモダン・オーケストラにも匹敵する。その一方で第2楽章はくすんだソット・ヴォーチェの美しさ。時折現われる大胆な和声進行の部分では、ちょっとした間合いをもたせ、輝かしさもあった。
ショパンのバラードの前半は、抑えた表現の中にしっとりとした詩情を秘めていた。しかし反復する音型が続く箇所で果敢に盛り上げ、新たなステージが展開。重厚感と輝かしさで攻めの姿勢に転じ、聴き手を圧倒した。

これまで聴いてきたピアニストと大きく性格が異なったのが、トルコのジャン・チャクムルである。まずピアノを「大鳴り」させないということ、ことさら自己主張をさせないことが、これまでの2人とは違う。《クライスレリアーナ》第1曲から、均整の取れた美しい打鍵に聴き惚れた。彼の音で思い出したのは、例えばレバノン出身のアブデル・ラーマン・エル=バシャだろうか。チャクムルの演奏は一方で、第2曲のように、ペダルを多用せずにレガートを聞かせ、そこに細やかなリリシズムを盛り込もうとする。全体的な曲のアプローチで印象に残ったのは、歌の感覚が一方にあり(第3曲の中間部の中低域の豊かな響き)、読み聞かせを感じさせる語り口のやさしさ(第4曲・第6曲)といった、シューマンの2つの側面に迫っているところ。さらに第6曲では、シューマンによって記された音符がそもそもあることを忘れさせ、その場で楽想が紡がれているような錯覚にも陥った。だからこそ、デモーニッシュな無邪気さで弾き飛ばしているかのように始めた第7曲が驚きだったともいえる。アンコールの《ミルテの花》からの1曲まで、プログラムが一つのパッケージとしてまとまっていた点も含め、本公演で一番印象に残ったピアニストはチャクムルだった。

とは言ってみたものの、惜しくも聴き逃したチョバヌを除き、筆者が対峙できた3人のピアニストは、同じ楽器のはずなのに、それぞれが個性的かつ多種多様な音を引き出しており、驚きであった。このコンサートに登場するのは、いずれも国際的なコンクールで優秀な成績を収めた演奏家だと聞くが、コンクールのような緊張を強いられる時間とは違った、また特定のレパートリーを「突破」しなければならないような場とは違い、各ソリストが自ら選んで自己の音楽に取り込める内容だったに違いない。そして、こういう場は、コンクールの後に提供されるものとして圧倒的に大切なのではないかということも思わされた。

(2021/12/15)

 

—————————————
<Performers and Program>
Daniel Ciobanu (Romania) (remote performance via Disklavier™)
Mussorgsky: Tableaux d’une exposition (Pictures at an Exhibition)
(Encore)
Ernesto Lecuona: Mazurka glissando

Shiori Kuwahara (Japana)
Bach/Busoni: “Chaconne” from Violin Partita No. 2 in D Minor, BWV. 1004
Beethoven: Piano Sonata No. 31 in A-flat Major, Op. 110.
(Encore)
Liszt: “La campanella” from Grandes études de Paganini, S. 141.

Kate Liu (U.S.A.)
Mozart: Piano Sonata No. 8 in A Minor, K. 310
Chopin: Ballade No. 1 in G Minor, Op. 23
(Encore)
J. S. Bach (Alexander Ziloti, arr.): Prelude in B Minor.

Can Çakmur (Turkey)
Schumann: Kreisleriana, Op. 16
(Encore)
Schumann: “Zum Schluss” from Myrthen, Op. 25