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サルティ・ムジカーリ イタリアバロック音楽×山田耕筰 |栫大也

サルティ・ムジカーリ おとなのバロック企画第一弾 イタリアバロック音楽×山田耕筰 和洋綯い交ぜの一夜
Sarti Musicali presents Kwai-dan ”Botan-Doro” with Italian Baroque Music and Kosaku Yamada

2021年11月15日(月) 杉並公会堂小ホール
2021/11/15  Suginami Koukaido Small Hall
Reviewed by 栫大也 (Masaya Kakoi)
写真提供:Sarti Musicali

<出演>
サルティ・ムジカーリ
 ソプラノ(お露):阿部雅子
 バロック・ハープ:西山まりえ
 濱元智行:パーカッション
ゲスト
 カウンターテナー(お米):上杉清仁
 語り:三上博史
舞台監督:浅野武治

<曲目>
【第一部】山田耕筰の世界
山田耕筰:夜中
     ほういほうい
     からたちの花
     曼珠沙華
     中国地方の子守唄
     
     あわて床屋

―休憩―

【第二部】音楽劇 怪談『牡丹灯籠』
原作:三遊亭圓朝『牡丹灯籠』
脚本:吉田知明『宿世、燃ゆ』
演出:家田淳

improvisation 01
C.モンテヴェルディ:ニンファの嘆き
G.カッチーニ:あなたの美しい手を握ると
T.メールラ:小さな恋の歌を聴いてください
G.カッチーニ:愛の神よ、何をためらう
       愛の神よ、あなたは翼を持っている

improvisation 02
G.カッチーニ:ひもすがら泣き暮れて
B.ストロッツィ:秘密の恋人
C.モンテヴェルディ:心地よい忘却が(歌劇《ポッペアの戴冠》より)
G.カッチーニ:この上なく甘いため息が
作者不詳:スパニョレッタ
T.メールラ:そんな馬鹿げたことを

improvisation 03
山田耕筰:《幽韻》より〈一、小野小町〉(はなのいろは)
C.モンテヴェルディ:ニンファの嘆き

 

サルティ・ムジカーリ(Sarti musicali)、和訳すると「音楽の仕立て屋」は、ソプラノの阿部雅子、バロック・ハープの西山まりえ、打楽器奏者の濱元智行で結成された音楽グループである。<古楽の魅力を独自の視点で伝えるべく「糸を紡ぐように、織物を織るように、丁寧に音楽を仕立てていく」をモットー>とするそうだ。その旗揚げ公演は、山田耕筰の歌曲のみで組んだ第一部と、音楽劇『牡丹灯籠』を上演した第二部に分かれる。
山田耕筰、イタリアバロック、怪談。単体で演奏会を組めそうな単語を並べてみれば、それぞれ布の断片のようにも見える。しかしサルティ・ムジカーリは、本領たる古楽の要素を軸に、慣れ親しんだ山田の歌曲、怪談で描かれる悲恋、物語に挿入される山田の一歌曲という手順を通し、一夜の織物として仕立てていった。

まず第一部から述べる。こちらは、山田の「童謡」と呼ばれる作品を中心に歌曲を集めている。最初の2曲、《夜中》と《ほういほうい》は阿部と西山のみ。「歌」はぼわっと現れるように聴かせる。いや、「歌」の存在を意識した時、初めて聴こえる、というのが正しいかもしれない。どちらの曲も手元で私的な手紙を読む時のようで、母音までもかすかなことすらあった。
一転して歌として聴こえてくるのが《からたちの花》、《曼珠沙華》。山田の曲を語る時に「日本語の美しさ」という眉唾ものの言い回しがよく見られる。しかし、《からたちの花》の「まろいまろい」、「とほい」という言葉から発された音に泡の上辺を軽く撫でたような感触を得た時、少しだけこの言説を真に受けても良いように思った。《曼珠沙華》はアクセントの位置がタメとなり、そこにハープの重い低音がずしんと耳に落ちる。常に朗々と歌わない分、アクセントが活きる。古楽と山田作品との相性の良さを見た。
《中国地方の子守唄》、《燕》、《あわて床屋》は濱元が加わり演奏された。特に後の2曲では、タンバリン、シェイカーによる16分音符の刻みが、アップテンポの曲調と相まってカントリー調にすら聴こえてくる。これらの楽曲は、私たちがよく知る、親しみ易い旋律を作る人としての山田耕筰像を見せてくれた。

後半は、江戸時代を舞台とした怪談とイタリアバロックを組み合わせた創作古楽劇である。江戸時代にあって着物姿で「愛の神」を歌うという世界観の違和をどうみせるか。こうした演出はオペラの現代的演出のバリエーションと捉えることもできる。しかし、今回の演奏会では、ある場面からこの違和が解消され、時代や場所を越えた普遍性、つまり演者が狙った「綯い交ぜ」がいかなるものかが見えたように思う。

前提として、三遊亭圓朝の『牡丹灯籠』を基に吉田知明が「宿世、燃ゆ」として台本化した筋書きを見ておこう。

武家の娘、お露(阿部)と萩原新三郎なる武士が互いに一目惚れする。再会を約した後も新三郎はこれを果たさないまま、思い余ったお露は自殺。侍女のお米(上杉清仁)も後を追う。亡霊と化したお露が家の周りに現れるのを恐れた新三郎だったが、最後にはお露を招き入れ身を重ねた。意識を取り戻した新三郎は、事の顛末は夢ではなかったのかと独白する。これに家田淳の演出、三上博史の語りが加わる。

「宿世、燃ゆ」とは、男女の因縁の分かち難さを、怪談という形式で描いたものである。成就しない恋の亡霊の怪しい世界はイタリアバロックの楽曲群によって、歌手の表情から、歌詞から、旋律から、苦悩が苦悩と分かるフォルムを持って描かれていく。
消極的なお露の性格に打楽器が、本音を隠さないお米にハープの低音が寄り添う。また打楽器は、ガムランの一部と思われるゴングから、ウィンドチャイムに至るまで多彩な楽器を使い、場面に合う音を仕立てていく。慣れれば、かなり意外性のある楽器の用法は合理的だし、阿部の切々とした声と身振りに段々と引き込まれる。

選曲面で重要なのが、終盤、お露とお米が命を絶ったあと、お露と新三郎が「再会」する場面で歌われる山田の《はなのいろは》である。山田がまだ「童謡」を創作の軸としない頃の、半音進行を多く含む、色が揺れて滲むような歌曲は、恨みと悲しみの重なるお露の絶唱となって響いた。
白秋や柳虹との協働から言葉を尊重した1920年代の歌曲と、半音進行で音楽を中心に聴かせようとする《はなのいろは》とでは受ける印象が変わってくる。前半で「山田ってこういう人ですよね」と確認しあった様相とは大きく異なる沈痛な歌曲なのだ。

また、あくまで三人称での語りだった三上が新三郎の独白を通して、一人称へと変わっていく。単にイタリアバロックと並置するのでなく、わずか数年のうちに生じた山田の作風の大きな変化を見過ごさずに、この歌曲を物語の頂点に置いた。
こうして、《はなのいろは》を境にイタリアバロックと怪談の世界の違和は消え、和と洋も、時代も、物語世界の夢と現実も、境界の曖昧な一つの存在へと変わった。移ろう感情に調性すら融けていく一方、物語は悲恋という普遍性に行き着く。それ故に、《はなのいろは》は演奏会の最高潮で歌われるに相応しいものとして存在し得たのである。

サルティ・ムジカーリは、一見、音楽、舞台、世界観の断片を並べただけのような一夜を、《はなのいろは》を最重要のピースとすることで一つの普遍性を持った音楽劇に仕立て上げて見せた。
評者は今まで山田耕筰研究者の一人として、彼の管弦楽曲、歌曲、童謡、団体歌、軍歌を聴きこんできたつもりだ。しかし、この作曲家の持つ繊細かつシリアスな側面と前半に歌われた歌曲との間にある大きな隔たりを、ここまで印象づけられた聴取体験は初めてだった。山田の歌曲の親しみやすさに始まり、悲恋を歌うなかで、短期間に起きた山田の創作の根本的な変化へと至る見通しが示された。しかもこれが、古楽を軸とするグループによるものというのは、演奏史から見ても特筆すべきことだった。

(2021/12/15)

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栫大也(Masaya Kakoi)
福岡県出身。福岡大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程前期修了。専門は歴史学、特に日本近現代音楽史。
主要業績に、『「騒音と「法悦境」のあいだに―山田耕筰の音と耳』(細川周平編著『音と耳から考える』掲載) 、『「赤とんぼ」は戦後の空に翔ぶ』(『歴史地理教育』927号掲載)、『《沖縄を返せ》のプラティーク』(『琉球沖縄歴史』2号掲載)。
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