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撮っておきの音楽家たち|エディタ・グルベローヴァ|林喜代種

エディタ・グルベローヴァ(コロラトゥーラ・ソプラノ)
Edita Gruberová, coloratura soprano

2011年11月9日 バイエルン国立歌劇場オペラ・アリアの夕べ サントリーホール
2011年9月20日 バイエルン国立歌劇場オペラ「ロベルト・デヴェリュー」 神奈川県民ホ-ル
2012年10月25日 ウィーン国立歌劇場 「アンナ・ボレーナ」 東京文化会館
1996年10月 フィレンツェ歌劇場 「ランメルモールのルチア」 東京文化会館
Photos & Text by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

世界的なコロラトゥーラ・ソプラノ歌手エディタ・グルベローヴァがスイスのチューリヒで亡くなった。74歳だった。

1980年にウィーン国立歌劇場で初来日して以来日本の聴衆の暖かい声援に対して大好きな国になったという。地震の多いこの国に来るのをためらわれた時期もあったが、来日15回以上でオペラやコンサートを行なっている。
2011年の福島の原発事故の時にはみんなに声をかけて「バイエルン国立歌劇場」オペラ公演に率先して参加したという。原発事故を起こした日本に来る音楽家はきわめて稀であった。その先頭にいたのが 世界的な歌手のエディタ・グルベローヴァだった。
チェルノブイリ原発事故の被害に遭ったバイエルン国立歌劇場のある南ドイツは他の欧州諸国に比べ福島の原発事故への反応は敏感だった。2011年の来日公演と今までの聴衆の違いはなかったが以前にも増して親しみを感じたという。そして「あしなが基金」に2万ユーロを寄付して帰国したという。

エディタ・グルベローヴァは1946年12月23日旧チェコスロバキアのブラティスラヴァでドイツ系の父とハンガリー人の母の間に生まれた。1968年21歳で「セビリアの理髪師」のロジーナ役で歌手デビュー。1970年ウィーン国立歌劇場「魔笛」の夜の女王役で本格的オペラデビューする。最初はウィーンで歌い始めたからまだ駆け出しの頃はミュンヘンは憧れの外国のようだったと振り返る。1974年「魔笛」の夜の女王がバイエルン国立歌劇場のデビュー。そして33歳でウィーン国立歌劇場と初来日、カール・ベームの指揮で「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタを歌って東京文化会館の聴衆を心酔させた。

そのディーヴァも来日した震災の年(2011年)は64歳。「ロベルト・デヴェリュー」はエリザベス1世を現代女性に置き換え簡素化された現代風なアレンジの舞台装置と相まってグルベローヴァ演ずるエリザベッタの愛と苦悩を嫌が上にも際立たせる。かつらを剥がすラストが凄い。
旬と呼ぶには厳しい年齢ながら、衰えを感じさせないコロラトゥーラ歌唱と凄まじいまでの表現力は現代の至宝といっても差し支えなかった。
また、フィレンツェ歌劇場来日公演での「ランメルモールのルチア」の狂乱の場も忘れ難い。
昨年引退を宣言。

エディタ・グルベローヴァは永遠のディーヴァである。

(2021/12/15)

2011年11月9日 バイエルン国立歌劇場オペラ・アリアの夕べ サントリーホール


2011年9月20日 バイエルン国立歌劇場オペラ「ロベルト・デヴェリュー」 神奈川県民ホ-ル


2012年10月25日 ウィーン国立歌劇場 「アンナ・ボレーナ」 東京文化会館


1996年10月 フィレンツェ歌劇場 「ランメルモールのルチア」 東京文化会館