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五線紙のパンセ| 第2回 きみしぐれ ひび割れを愛でる|渋谷由香

第2回 きみしぐれ ひび割れを愛でる

Text by 渋谷由香(Yuka Shibuya)

第1回では、私がジョン・ケージの『ある風景の中で』というアルバムに偶然出会い、今まで自分が知らなかった新しい世界があることを知り、またひとつ自由の翼を得たような、そんな心持ちになったことを覚えているという話をした。私はどうしてこのアルバムに新しい世界を見たのか、そして自由の翼を得たように感じたのかということについて皆さんに知っていただくためにも、今回はまだ京都で生活していた時期の、音楽から少し離れたエピソードを交えてお話したいと思う。

茶席の風景と、今回整理をしていて偶然出てきた先生からのお手紙など

唐突だが、みなさんはきみしぐれという和菓子をご存知だろうか。ほんのりと黄色くて、何ともいえないほのかな卵色。少しいびつな丸いかたちで、何より表面にひび割れが入っているのがこの和菓子の特徴だ。食感はほろほろとしていて、口に入れると香りと甘味がふわっと口の中にやさしく広がっていく。私は小学1、2年の頃に、この和菓子を初めて口にした。今になってその当時を振り返ってみると、このひとつの和菓子との出会いもまた、第1回で皆さんにお話ししたいくつかの音楽との出会いと同じように、私の感覚や価値観を育んだ。
私は当時、幼馴染の友達のお祖母様が煎茶道の先生だったご縁もあり、お稽古に通い始めた。結果的に19歳で上京するまで、また上京してからもしばらくは帰郷する度に嵯峨野にある先生のお宅へお稽古に伺った。そして細々とだが長い期間に渡って煎茶道に親しむこととなった。その初稽古で頂戴したお菓子がきみしぐれというお菓子だった。先生はお稽古の度に、色々なお菓子やお茶、お道具、そしてお花などを通じて日本文化独特の眼差しや価値観を和気藹々としたお話の中に何気なく織り交ぜながら柔らかく説いてくださった。
毎週訪れるそんなお稽古の時間は、まずは障子を開けるところから始まる。そして挨拶をし、床の間を拝見したら、お道具の準備だ。それから静かにお点前をして、お茶とお菓子をいただく。その頃になると先生がゆっくりした口調で和やかにお話をされる。お点前が終わるとお道具をしまい、最後に終わりの挨拶をして障子をしめる。これら一連の流れは全て生活の中で営むようないわゆる日常的な所作でもあるはずなのに、この障子を開けてから閉めるまでの時間は実に不思議な時空間だった。なぜならそれは全てが日常であり、そして、全てが非日常であるかのような時間(時間というより空間という表現の方が相応しいかもしれない)だったからだ。何か日常とは違う出来事から外的な刺激を受けることによって非日常的ともいえる特別な経験をするわけでもなく、ごく日常的な普段の生活の所作から非日常を感じとることへの興味は、この頃から私の中に漠然と芽生え始めた。

“Found Overtone”
初演リハーサル風景。初演してくださったピアニストの井上郷子さんと。(「未来に受け継ぐピアノ音楽の実験」コンサート(両国門天ホール))

話は変わるが、私は今年(2021年)の初めにプリペアドピアノのための“Found Overtone”という作品を作曲した。その作曲中、慣れ親しんできたピアノという楽器から出る一音一音がプリペアドされたことによってそれまでとは全く違う印象として聴こえてくるという新鮮な驚きと喜びに満ちた体験をした。例えていうならば、見慣れていた景色が一瞬にして鮮明な色彩を放ち、さらに今までとはあたかも全く別の風景のように見えるといったような体験であった。ある程度の知識を持っていれば予想できる事柄であったとしても、実際に自分が体感することの喜びに勝るものはない。
このように、何か特別で刺激的な新しい音やシステムを追い求めるというよりも、ありふれたものや身の回りを取り巻く自分の日常世界に興味をもって創作している今の自分がいる。そして、その日常から瑞々しい新鮮な感覚を味わう喜びの原点は、まさに障子の開け閉めによって区切られた一連の時空間でのお茶とお菓子にあるようにも思うのだ。
日常と非日常のはざまに身を置く感覚に魅力を感じるなんて何とも幻想的な感じがするが、実際はそんなに格好良いものでもなかった。というのも、当時の私はといえば、正直なところ、驚くほど美味しいお茶とお菓子につられて楽しく通っていた(さらに宿題もない!)、ある意味大変健康的で単純なこどもだったのである。ただその中で、お菓子やお茶などのかたち、色あい、淹れ方、作法などにはそれぞれに様々な意味があり、それらがどういった物事の見方から来るものなのか、またどういった価値観が根底にあるのかというような話を聞くことは実に面白かった。当時は、それらの様々な話をごく自然に受け取り、また自ら意識をしてさらに深く考えを掘り下げることもなく時間は過ぎ去っていったが、そのあいだも実は自分のなかでの無意識の領域に、この細かい粒子たちが少しずつ降り積もり、うっすらとした層となって蓄積していたのだろう。たわいもない日常の体験が年月を経て、ふと自分の意識の上に浮かび、そして何となく腑に落ちるという体験もまた嬉しいものだ。それもこれも先生が実にたわいもない会話にそれらをするりと溶け込ませて、ごく自然な言葉と和やかな表情で伝えてくれていたからだろうと確信する私がいる。

“Found Overtone”のプリパレーション(接着剤、ゴム、ぬいぐるみなどを使っています。1時間ほど準備がかかります)

さて、ここまでは日常のなかに非日常を感じとる面白さについて話してきたが、もうひとつ煎茶道を通じて至極自然のこととして受け入れてきたことがある。それは先にも少し触れた、独特の眼差しを持つことについてだ。例えば、きみしぐれというお菓子は、きずひとつない艶やかな表面ではなく、わざとひびが入っている。そして完璧な丸いかたちではなく、少しいびつな丸いかたちをしている。わざとひびを入れ、わざといびつにする。この造形への意識は、均質な表面、完璧な均整のとれたいわば理想的なかたちとは違った、別の理想像があることを私たちに気づかせてくれる。つまりここでのひび割れは、均質な表面を崩しそのものの質を落としてしまうような、ある意味否定的で消極的な意味としてではなく、全く別の眼差しによる価値観によって捉えられていることが非常に興味深い。このお菓子に入れられたひびは時雨に見立てられるのだが、この見立てによって私たちはひとつの小さなお菓子からそのうちへと拡がっていく時空間を観る。自然の風景と季節、そしてそこに漂う音や匂いなどあらゆる感覚がひとつの菓子を通して喚起されるのだ。そこでは、眼前にあるものの完璧な姿形に対しての眼差しではなく、眼前にある形を通してその向こうに世界の拡がりを見ているとも言うことができるだろう。そして、何よりその眼差しを獲得するために完結した世界に差し込まれるのが、ひとつの亀裂でありひびである。このひびわれを愛でる感覚こそ、私がお茶のお稽古を通して全くの違和感なく受け入れてきた感覚であった。
その後、私は例のJ.ケージのアルバムを初めて聴いたとき、それらをまさに体現している音楽があることを知ったのだった。出会いは突然に、とはよく言ったものだ。そして現在も私はこのアルバムを聴く度に、当時の京都での様々な生活で受けた感覚—受け取る側によってその意味合いや価値が全く反転するような—をある時はじんわりと、ある時はさめざめと思い起こす。
再び音楽の話に戻ろう。私は、2007年《あいまいなシルエットの中に》(violin&cello)という作品を発表する。これが契機となり、その後10年ほど弦楽器を中心に不均等な音律を用いて調弦した弦の自然上部倍音を作曲の資源に用いるという方法を続けて作曲してきた。その仕組みから発せられる音の不均質さ、不安定さ、当然合うべきだと思われている音同士が合わない、そういった一般的に否定的で消極的に捉えられているいわば非合理的な音の事象が、私にとっては大変魅力的な音事象として聴こえたからだった。私たちは音を聴くとき、どんなに自覚的になったとしても自身にある無意識のフィルターを通さずに音を聴くことなんてできないのだろうと思う。だとしたらなおさらの事、実際のところ自分がいったい何をどのように、どんなフィルターを通して聴いているのかということに対して自覚的でありたいという想いが私の作曲の第一歩であったことは間違いない。
次回はこのあたりの話からまた皆さんにお聞き願えたらと思う。

(2021/12/15)

【今後の予定】
• 12月17日(金) アンサンブル室町による「Leçons de Ténèbres 暗闇の聖務 2021」
 開演19:00 会場:東京カテドラル聖マリア大聖堂
 渋谷由香《太陽と涙》(バロックギターと17絃箏)初演
 演奏:山田岳(バロックギター)、今野玲央(17絃箏)
 詳細はこちら→ https://www.ensemblemuromachi.or.jp/2021-lecons

• 1月21日(金) それぞれのエレクトロニクス 明日は明日の風が吹く
 開演19:00 会場:KMアートホール
 渋谷由香《そしてまた始まる》(録音作品)初演

【CD情報】
• 渋谷由香WORKS FOR PIANO / 井上郷子 (piano) [Ftarri Classical, ftarricl-666]
 https://www.ftarri.com/ftarriclassical/666/index-j.html
 9月12日Ftarri Classicalレーベルよりリリースされました!

• 24 Preludes from Japan / 内本久美 (piano)
 渋谷由香《円窓からの眺め》[Stradivarius, STR37089]

【プロフィール】
渋谷由香(しぶや ゆか)
1981年京都生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士号取得。大学院では主に非平均律による微分音程に関心を持ち音楽的資源としての微分音程の使用法について研究。在学中より「FLAT」「Music Without Borders」などのメンバーとして作曲、演奏会企画などの活動を開始。作品は、武生国際音楽祭(福井)、Quatour Bozziniとの日加交換プロジェクト(東京⇄モントリオール)、Thin Edge New Music Collective 2019 season concert(トロント)、Music From Japan(ニューヨーク) 、瀬戸内国際芸術祭内本久美ピアノコンサート、ヴォクスマーナ第35回定期演奏会、B→C東京オペラシティリサイタルシリーズvol.167(松井亜希)、アンサンブル室町「メリークリスマス エリック・サティ!」、井上郷子ピアノリサイタル#27、未来に受け継ぐピアノ音楽の実験、両国アートフェスティバルなど、国内外のフェスティバルや演奏会で取り上げられてきた。
第19回京都芸術祭新人賞、第28回現音作曲新人賞入選、富樫賞、聴衆賞受賞。
東京藝術大学、東京藝術大学音楽学部付属音楽高等学校各非常勤講師。