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ひとときの音楽|大河内文恵

ひとときの音楽
Music for a while

2021年11月15日 近江楽堂
2021/11/15  Oumigakudo
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by タナカミオ

<出演>        →foreign language
中山美紀(ソプラノ)
新田壮人(カウンターテノール)
濱田芳通(リコーダー/コルネット)
上羽剛史(チェンバロ)

<プログラム>
ローズ:キスについての対話
ダウランド:おいで、もう一度
      彼女は美徳を装って過ちを許してくれるだろうか
モンテヴェルディ:歌劇《ポッペアの戴冠》より「私はなぜ怒りと策略に駆られて」
                      「さらばローマよ」
カステッロ:ソナタ2番
モンテヴェルディ:かくも甘い苦悩を胸に秘めて
         西風が戻り

~休憩~

パーセル:ひとときの音楽
     もし音楽が愛の糧なら
A. スカルラッティ:ラ・フォリア
ヘンデル:カンタータ「甘いまどろみの中で(フィッリの夜の想い)」
     オラトリオ《サウル》より 「おお主よ、あなたの慈しみは限りなく」
     歌劇《ジュリオ・チェーザレ》より 絶望することないのよ、そうでしょ?
                      愛する人!美しい人!

~アンコール~
モンテヴェルディ:歌劇《ポッペアの戴冠》より、ただあなたをみつめ

 

不思議なもので、上手い人をたくさん集めたらそれだけでいい演奏になるかというと、そうとも限らない。音楽に対する考えかたの方向性やら、持っている音色の相性やらさまざまなファクターが絡み合うことにより、それがよい演奏の絶対条件にならないところが、また面白いところでもある。

かと思うと、一見バラバラに集めたように見えるのに、思いがけない化学反応をおこして想像を遥かに超えた素晴らしい演奏になることもある。本日はまさに後者の代表的なコンサートだった。

事の発端は、1年前、当時まだ留学中だった新田が、旧知の中山に相談して帰国後のコンサートをアレンジしてもらったところから始まったという。新田と中山の2人にアントネッロの濱田と上羽を加えた4人のユニットがここに爆誕した。

前半はイギリスの17世紀前半の作曲家による作品から始まる。ヘンリー・ローズのデュエットは若い恋人たちがキスとは何か?とじゃれあいながら対話する形で書かれており、曲そのものの持つかわいらしさと中山&新田の醸し出すキュートさがいい感じに溶けあって、聞いているこちらの頬がほころび、会場の雰囲気が一気にやわらかくなった。

この曲は交互に歌う部分と二重唱になっている部分とがあるのだが、特に最後の二重唱では、音程のとりかたが絶妙で、この後の成功はもう約束されたも同然と思えたのだが、それだけでは済まなかった。

ダウランドのソロ2曲に続き、《ポッペア》の「被害者側2人の」アリア。オットーネの「私はなぜ怒りと策略に駆られて」では、情感たっぷりに歌われる悲痛な嘆きに歩調をあわせるように上羽のチェンバロが和声の変わり目をうまく使って盛り上げ、オッターヴィアの「さらばローマよ」では、舞台袖で濱田が音効さんよろしく波の音を鳴らし、浜辺の雰囲気を醸し出すなど、歌い手の技量だけでも充分に聴かせられるところにさらに上乗せしてくる。

カステッロのソナタで濱田が技巧をみせつけて最高潮になるとみせかけて、次はモンテヴェルディの「かくも甘い苦悩を胸に秘めて」。ゆっくりの3拍子にのせて、愛しさ余って憎さ百倍の絶望的な歌詞が甘い旋律で歌われるこの曲に、濱田のコルネットの音色が切なさをさらに増幅させる。

冒頭の曲から新田の天井から降ってきて我々を包み込むような声に惹きつけられていたが、この曲で完全にノックアウトされ、最後のおわりかたに溜め息が漏れる。この演奏を涙なしで聴けと言われたら、それはまるで拷問だ。

次の曲は一転、前奏からリコーダーが入り、楽しい雰囲気になる。歌詞には一瞬苦悩も混じるのだが、音楽は一貫して明るく、楽しい雰囲気のまま前半が終わる。

休憩後は、コンサートタイトルにもある、パーセルの「ひとときの音楽」から。付随音楽「エディプス」の中のこの曲は、チェンバロによる印象的なゼクエンツで始まり、その音型は終始左手で弾かれ続ける。中山のピュアな声が高く澄んだ声を要求するこの曲によく合っていた。

新田による「もし音楽が愛の食べ物だとするなら」に続き、本日の唯一の独奏曲、上羽によるスカルラッティの「ラ・フォリア」。直前のトークで「長い変奏曲だが全部弾く」と言っていたが、1つ1つの変奏が特徴的に演奏されてそれを面白がって聞いていたら、あっという間に終わってしまい、まったく長さを感じなかったのみならず、最後のほうはバッハの半音階的幻想曲を思わせるような曲調で興味深かった。

最後はヘンデル。「甘いまどろみの中で」は最後のアリアがヘンデルらしい明るい曲調なのだが、中山の技巧的で華麗なアジリタと、後半の難解な苦しみの表現との対比に感じ入った。続いて、オラトリオ《サウル》よりデイビットのアリア。新田の丸みを帯びた声とこのアリアがもつ包容力の大きさが呼応して《サウル》の世界観をよくあらわしていた。

そして《ジュリオ・チェーザレ》より、クレオパトラの人気のアリア。リズミカルな伴奏にのってコケティッシュなクレオパトラをチャーミングに演じた。来年3月にアントネッロが上演するジュリオ・チェーザレにクレオパトラ役で出演する中山にとって、その前哨という意味もあったのだろうが、その公演を期待させるに十分な出来であった。

最後は《ジュリオ・チェーザレ》終幕のチェーザレとクレオパトラの二重唱。主役の2人もオペラも大団円を迎え、喜びを歌う二重唱とともに、コンサートも最高潮を迎えた。

アンコールはさらに、モンテヴェルディの《ポッペア》からネロとポッペアの最後の二重唱。中山も新田も声そのものの魅力もさることながら、それ以上にアジリタがよく回って、技巧的なアリアも安心して聴いていられ、二重唱を聴いた限りではアンサンブル力もなかなか。そこに上羽と濱田が加わったら、金棒がいったい何本あるのやらといった状態だったのだが、それだけでなく、プログラムもよく練られた構成で申し分なかった。「ひととき」ではなく、シリーズ化して新たな団体としての活動を望みたい。

(2021/12/15)

Players:
Miki NAKAYAMA (Soprano)
Masato NITTA (Countertenor)
Yoshimichi HAMADA(Recorder/ Zink)
Tsuyoshi UWAHA(Cembalo)

Program:
H. Lawes: A dialogue on a kiss
J. Dowland: Come again ~ Can she excuse
C. Monteverdi: L’incoronazione di Poppea I miei subiti sdegni
                    Addio Roma
D. Castello: Sonata seconda
C. Monteverdi: Si dolce e’l tormento
       Zefiro torna

–intermission—

H. Purcell: Music for a while
     If music be the food of love
A. Scarlatti: La Folia
G.F. Handel: Nel dolce dell’oblio (Pensieri notturni di Filli)
      Saul  O Lord whose mercies numberless
      Giulio Cesare  Non disperar, chi sa?
              Caro Bella!

–encore–
C. Monteverdi: L’incoronazione di Poppea Pur ti miro