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新国立劇場 <新制作> ニュルンベルクのマイスタージンガー|秋元陽平

新国立劇場 <新制作> ニュルンベルクのマイスタージンガー
Die Meistersinger von Nürnmberg

2021年11月24日 新国立劇場
2021/11/24 New National Theater Tokyo
Reviewed by AKIMOTO Yohei (秋元陽平)
Photos by 林 喜代種(Kiyotane Hayashi)

<スタッフ>        →English
【指 揮】大野和士
【演 出】イェンス=ダニエル・ヘルツォーク
【美 術】マティス・ナイトハルト
【衣 裳】シビル・ゲデケ
【照 明】ファビオ・アントーチ
【振 付】ラムセス・ジグル
【演出補】ハイコ・ヘンチェル
【舞台監督】髙橋尚史
【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団、二期会合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団
【協力】日本ワーグナー協会
<キャスト>
【ハンス・ザックス】トーマス・ヨハネス・マイヤー
【ファイト・ポーグナー】ギド・イェンティンス
【クンツ・フォーゲルゲザング】村上公太
【コンラート・ナハティガル】与那城 敬
【ジクストゥス・ベックメッサー】アドリアン・エレート
【フリッツ・コートナー】青山 貴
【バルタザール・ツォルン】秋谷直之
【ウルリヒ・アイスリンガー】鈴木 准
【アウグスティン・モーザー】菅野 敦
【ヘルマン・オルテル】大沼 徹
【ハンス・シュヴァルツ】長谷川 顯
【ハンス・フォルツ】妻屋秀和
【ヴァルター・フォン・シュトルツィング】シュテファン・フィンケ
【ダーヴィット】伊藤達人
【エーファ】林 正子
【マグダレーネ】山下牧子
【夜警】志村文彦

 

この公演のけちな「記録係」のひとりとして思うのだが、果たして喜劇とはなんだろうか。悲劇において運命が人間を相容れない二つの道へと引き裂くとすれば、喜劇は調和をもたらすのだろうか。しかし、引き起こすものが内輪受けの笑いだったとすれば、それは涙以上に分断の証となるだろう。外国に長く暮らしたことのあるひとでなくても、ある冗談をただちに理解して笑うことができるかどうかが、ひとつの文化圏への帰属の有無のリトマス紙として機能することは、学校で、職場でだれしも体験によって知っている。もちろん、笑いは全体主義的な調和をかき乱す不穏な道化の笑いにもなり得る。どこかで交わされるくすくす笑いは、権力の座にふんぞり返るものを不安にさせる。
ワーグナーの喜劇にもたしかに、こうした喜劇の風刺性、自己解体の契機がある。たとえばギルドの因習は、完全な異邦人ヴァルターの力のみによってというよりは、マイスターたちの会議の内側から、良識と改革精神の両方を持ち合わせたもう一人の主人公ザックスの葛藤をつうじて改訂されていく。
だがそれでもなお、ワーグナーはこうした喜劇的批判精神を再びユートピアの一体感に回収しようとする。この同化効果は強力で、これまでもさまざまな偶像破壊的演出がお膝元のバイロイトで末裔たちによって試みられてきたにもかかわらず、いやむしろ彼らの狙い通りに、ワーグナー美学の無限の拡張性、彼の芸術的威光はまさにそうした批判的上演によって再確認されつづけたというわけだ。
残念ながら今回の公演は、批判的な試みとしても、あるいはワーグナー美学に全乗っかりする逆張りにも成功したとはいえない。オペラハウスを舞台にしたところで、モダニズムの自己言及的な仕掛けが利いてくるわけでもないし、幕切れの肖像画をエーファが破るシーンは、実のところ意外でもなんでもなく、本国ドイツならばむしろ避けては通れないといった程度の儀礼的なもので拍子抜けするほどであり、むしろエーファへの演出上の書き込みの不足を考えるととってつけたような印象さえある。
大野和士と都響によるオーケストラはワーグナーのユートピア肯定に大いに貢献した。第一幕への前奏曲では7月の公演中止からのブランクを埋めるかのようにガツガツと各楽器が前に出てくるやや力んだ演奏から、緩急のない歌をずっと聴くようなところがあってやや困惑したが、次第に力が抜けてダイアローグを美しく支える瞬間が増え、第三幕あたりに至ってはワーグナーの音楽の持つ「これでよし」の声がただひたすらに劇場を満たすという状況であった。歌手陣はといえば、野趣溢れるヴァルターは時々コントロール不安、ザックスは線が細く生真面目、やや決め手に欠ける。日本人歌手では特にダーヴィットの明朗な歌声といかにも「徒弟」なキャラクタの演じ込みが冴え、そして全体の白眉として、ベックメッサーの卓越した「小悪党」ぶりが光ったというのはおそらく衆目の一致するところだろう。だが、エーファに劣らずベックメッサーへの演出が欠けている。このことはマイスタージンガーの相対化において致命的だ。
これに関連して、リーフレットの演出家対談の翻訳(訳者記載なし)にも問題がある。演出家のヘルツォークが、リーフレットにて「『マイスタージンガー』の中に政治は全く出てこない」(p.15)と主張しているのはいくらなんでも信じがたい素朴さであると仰天し、改めて同時掲載されている英訳を確認してみると、「politics is not mentioned」とあり、単に(表だって)「言及されていない」と彼は言っているのである。それもそのはずだ!続いて「政治は外の世界に出しておくことができない」(同頁)という意味不明瞭な訳もあるのだが、これは英訳から見る限り「政治を(ギルドから)永遠に排除しておくことはできないyou can’t keep politics outside for ever」ということだ。ヘルツォークは、政治は黙っていても侵入してくるものなのだと言っているのであって、この訳では演出家の言葉が反対の意味に受け取られかねないのだが、しかし皮肉にもそれでおかしくないと思わされる演出であった。
ところでワーグナーはまた、卓越したセルフ・パロディストだったという(例えばワーグナー協会編、ワーグナー・ヤールブッフ1997年のスヴェン・フリードリヒによる論考を参照せよ)。要するに、生半可なワーグナー批判は、全て彼の才能にとりこまれてしまうということだ。ワーグナー、この時代になお「キャンセル」されざる者よ!

(2021/12/15)

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<Creative Team>
Conductor: ONO Kazushi
Production: Jens-Daniel HERZOG
Set Design: Mathis NEIDHARDT
Costume Design: Sibylle GÄDEKE
Lighting Design: Fabio ANTOCI
Choreography: Ramses SIGL
Associate Director: Heiko HENTSCHEL

<Cast>
Hans Sachs: Thomas Johannes MAYER
Veit Pogner: Guido JENTJENS
Kunz Vogelgesang: MURAKAMI Kota
Konrad Nachtigall: YONASHIRO Kei
Sixtus Beckmesser: Adrian ERÖD
Fritz Kothner: AOYAMA Takashi
Balthasar Zorn: AKITANI Naoyuki
Ulrich Eisslinger: SUZUKI Jun
Augustin Moser: KANNO Atsushi
Hermann Ortel: ONUMA Toru
Hans Schwarz: HASEGAWA Akira
Hans Foltz: TSUMAYA Hidekazu
Walther von Stolzing: Stefan VINKE
David: ITO Tatsundo
Eva: HAYASHI Masako
Magdalene: YAMASHITA Makiko
Ein Nachtwächter: SHIMURA Fumihiko
Chorus: New National Theatre Chorus, Nikikai Chorus Group
Orchestra: Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra