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B→C バッハからコンテンポラリーへ 嘉目真木子 (ソプラノ)|秋元陽平

B→C バッハからコンテンポラリーへ 嘉目真木子 (ソプラノ)
Bach to Contemporary Makiko Yoshime (Soprano)

2021年11月9日 東京オペラシティリサイタルホール
2021/11/9 Tokyo Opera City Recital Hall
Reviewed by AKIMOTO Yohei (秋元陽平)
Photos by大窪道治/写真提供:東京オペラシティ文化財団

<キャスト>        →Foreign Language
嘉目真木子(Soprano)
髙田恵子(Pf)
<曲目>
J.S.バッハ:カンタータ第64番《見よ、父なる神の大いなる愛を》BWV64から「この世にあるものは」
J.S.バッハ:カンタータ第149番《勝利の喜びの歌が》BWV149から「神の御使いは離れない」
ベートーヴェン:希望に寄せて op.94
アドルノ:ブレヒトによる2つのプロパガンダ
リーム:メーリケの詩による2つの小さな歌曲(2009)
リーム:3つのヘルダーリンの詩(2004)
ワーグナー:ヴェーゼンドンク歌曲集
ヒンデミット:《ニーチェの詩による歌曲集》から「陽が沈む」
リッター:《3つの小さな歌曲》op.9から「おやすみ」
ライマン:私を破滅に導いた眼差し ─ ゲーテの『ステラ』から第2モノローグ(2014)
(アンコール R.シュトラウス:4つの歌曲集 op.27 より 第4番「明日!」)

 

ドイツリートは絶えず一つの伝統とみなされてきたが、統一的な定義を与えるのは容易ではないのだろう。今回のB→Cでは、シアトリカルなアドルノ作品(面白いが、穏当だし、穏当だということが面白い)をのぞけば多かれ少なかれ直接的にこの伝統的ジャンルにかかわっており、その乱反射を味わうことができる。シューベルトこそ不在だが、かわりにバッハのカンタータからはじまり、ベルクを飛ばして戦後前衛の現代リートにたどり着く。飛ばされたベルクの存在感も、こうしてみると間接的に大きく、色調のあわいをつくりだしつつも調性的情緒の表出をむしろ強烈なものにする現代音楽の雄ヴォルフガング・リームのヘルダーリンの中にもその影が幻視される。嘉目の歌唱は、高音域はもちろん、とくに中音域のppにおいて静謐な魅力に満ちていて、ベートーヴェンの問いかけ、ワーグナーの惑溺、そしてリーム=ヘルダーリンの「悲しい Weh」といった、自己の観念的な引き裂かれのなかで現れるこの音域の、息を潜めるような二言、三言の滑り出しに魅了される。
この美しい中音域がとりわけ効果的に響いたのがワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集だった。オーケストラを従えて神話的スケールを感じさせるタイプの歌唱もあるが、今回は前述の系譜のなかで、一人称の切々とした響きをきかせるアプローチで、高田恵子の、間をよくとったピアノと互いにじっと見つめ合うようにして歌われる濃厚な「夢」の広がりは、聴くひとに息をつかせない。
そう、広がりといえば、ドイツリートとワーグナーを切り離して考えることはできないだろうし、もしドイツリートのひとつの核が、このいわゆる世界苦Weltschmerzのなかにあるとするならば、『ヴェーゼンドンク歌曲』はそのテーマからしてもその正嫡といってよいはずなのだが、どうだろう、なぜかワーグナーには、この枠組みを根本的に外れる末広がりのエネルギーというか、歌詞を食い破るような、異様に力強い自己の肯定を音楽のなかに感じさせるものがある。「私の場所はここではない」という『温室』のテーマは、たとえばヘルダーリンと字面上は響きあってもよいはずなのだが、ワーグナーの「ここではない」は、よりはっきりと「わたしの場所は別にある」という肯定的な宣言に向かっているようだ。

ゲーテの『ステラ』もまた、男の裏切りによって世界にいることそのものが苦痛となってしまった女の嘆きなのだ。トーマス・マンが『ヴァイマールのロッテ』でほのめかした、この文豪のどす黒い部分が露わになるようだ--ピアノの、臓腑をひらいて見せるような凄絶な内部奏法を伴う極めて密度の高い伴奏は素晴らしく、二人がわざわざ打ち合わせずとも物語を共有してゆくアンサンブルの妙を味わった。
一つだけ。企画名にバッハが入っている以上、ピアノがやや足早にリードして過ぎ去ったカンタータでも、こうした対話をバロック演奏の枠組み内でもう少し立ち入って聞きたいと言う思いはあった。だが全体としてさまざまな詞と音楽が相互に参照しあう非常に濃密なプログラムで、帰ってからすべての作品をもういちど聴き直したくなってしまった。

(2021/12/15)

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<Cast>
Yoshime Makiko(Soprano)
Takada Keiko (Pf)
<Program>
J.S Bach : “Was die Welt in sich halt”, from Cantata No.64, Sehet, weich eine Liebe hat uns der Vater erzeiget, BWV64
J.S Bach : “Gottes Engel wiechen nie”, from Cantata No.149, Man singet mit Freuden vom Sieg, BWV149
L.V.Beethoven : An die Hoffnung, op.94
T.Adorno : 2 Propagandagedicte von Brecht
W. Rihm : 2 Kleine Lieder nach Gedichten von Eduard Mörike (2009)
W. Rihm : 3 Hölderlin-Gedichte (2004)
R.Wagner : Wesendonck Lieder
R.Hindemith : “Die Sonne sinkt” from Lieder noch Texten von Friedrich Nietzsche
A. Ritter : “Gute Nacht” from 3 Kleine lieder, op.9
A. Reimann : Der Blick war’s, der mich ins Verederben riss : Zweiter Monolog der Stella aus dem gleichnamigen Schauspiel von Johann Wolfgang von Goethe (2014)
(Encore R.Strauss : Morgen ! op.27 No.4)