イザベル・ファウストJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ 全曲演奏会|秋元陽平
イザベル・ファウストJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ 全曲演奏会
Isabelle Faust plays J.S Bach sonatas and Partitas for solo violin
2021年11月17,18日 東京オペラシティコンサートホール
2021/11/17-18 Tokyo Opera City Concert Hall
Reviewed by AKIMOTO Yohei (秋元陽平)
Photos by 大窪道治/写真提供:東京オペラシティ文化財団
<出演> →English
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
<曲目>
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ
誰の耳にも明らかな異次元の名演奏のあとで、バッハ愛好家諸氏が、バロック音楽解釈との関連において、またヴァイオリン演奏におけるピリオド・アプローチの観点から、そのさまざまな美質を詳らかにしてくれているであろうそのときに、屋上屋を重ねてまで私がこの稿を通じて訴えたいことは、以下のともすればごく常識的な一点に集約される。つまり、ファウストの演奏を、誰しもコンサート会場でいちど体感することを勧めたい、ということだ。
すでに国際的な評価も高く、それもバッハの無伴奏ヴァイオリンという、すでに読解の歴史が積み重ねられた古典分野において、歴史的解釈も踏まえた正格たる演奏によって多くのファンを唸らせる音盤を残した演奏家が身と楽器一つで挑む無伴奏だからこそ、「それは安定して良いに決まっている」という、高い水準での「予想通り」感が、その名声ゆえにかえって、そこに聴く側の「正の先入観」が生まれるかもしれないと危惧している。しかし、どうだろう、その高い期待のハードルは易々と飛び越えられるのである。一度彫琢され、音盤において結晶化されたバッハ作品は、ファウストの手によって、ふたたび、いわばフルスクラッチで聴衆の目前で組み上げられた。その即時的創造は、プログラムノーツの(それ自体的確な)楽曲解説を、いわば二重化する。たとえばBWV1002のTempo di Bourrée。「厳しい表情」から、同時にもはや喜びに近い活力を引き出し、そのDoubleでは「静かに整然と」した音楽はむしろ快活に、心地よく弾む。これほど明るい弾き手だったのか。BWV1004冒頭の同音異弦の蒼然たる美しい輝き、一切の虚飾なしにひそやかに交わされる内声と外声の螺旋、ひとつの音が、ひとつひとつの声部が、過去・現在・未来を凝縮したモナドのように互いを乱反射する宇宙として、その可能性を増幅・拡散していく。これこそがファウストによるバッハの凄みなのだ。
だから、音盤で満足している人も、ファウストを演奏会で聴く必要がある。このことを確認するだけでもう稿を閉じてもよいのだが、もう少しだけ付け加えるならば、バロック音楽の枠組みに支えられることによって可能になることの多さ、その自由さに、ほとんど目眩がした。たとえば舞曲のリズムが生む重力の枠組みを守ることで、しかし踊りの持つ自発的なエネルギーをかえって解放し、その喜悦に満ちた勢いを生み出す。歴史的な様式の枠組というのは、それを破った人をとやかく言うための決まり事や制約ということよりも、むしろ細部のすべての色彩と形象を輝かせるための装置なのだということをつくづく思い知らされる。250年以上前の音楽にばかり淫しているのは進歩的でないという向きもあろうが、ファウストがここまで瑞々しい息遣いを与えているのを聴くと、そもそもバッハの音楽はただ「昔作られた音楽」ではなく、現在までずっと連続的な創造の過程にある、といったほうが正しいのかもしれない。
(2021/12/15)
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<Cast>
Isabelle Faust (Vn)
<Program>
J.S Bach, Sonatas and Partitas for solo violin