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漢語文献学夜話|Embrace your life as a Chinese chive!|橋本秀美

Embrace your life as a Chinese chive!

Text by 橋本秀美(Hidemi Hashimoto)

真鍋淑郎氏

10月のことだが、真鍋さんという方が、ノーベル賞を受賞することになった。日本に生まれ育ち、大学院まで勉強してからアメリカに渡り、気候変動の研究で立派な成果を挙げたというが、受賞決定後のインタビューで、「日本は調和を重んじる社会で、自分は他人と協調することが苦手なので、アメリカが合っている」という趣旨の発言が有って、研究成果よりも、そちらの方が話題になった。
テレビや新聞の論調を見ながら自分自身の受けた印象を思い返して、私は静かで大きな変化を感じている。二三十年前までは、常に周りに合わせることが求められる日本の「ムラ社会」的特徴は、克服されるべき欠点だと意識していた。私個人がそう思っていたというだけでなく、多くの人がそう思っていたのではなかろうか。そもそも、社会学者でも人類学者でもない私が日本社会について抱く感想は、独自の観察・思考の結果などであるはずは無いから、「ムラ社会」「世間」「同調圧力」「空気支配」など、使われる表現は時代によって変わるにせよ、それが問題として多くの人々に議論されてきたから、私もそう思っていたのに違いない。

菊と刀

しかし、今回の真鍋さんの発言を受けて、私も含めて多くの人の反応は、「そうだよね」という、実にあっさりしたものだった。「日本というのはそういう社会なのよ、良いとか悪いとかじゃなくて。合わない人は、国外に行くしかないよね。」そんな考えの人が多いのではないかと思う。これは、二三十年前とは完全に違う考え方で、それが普通になっているのだとすれば、日本社会の価値観が、知らない間に大きく変わったということなのではないだろうか?
反省してみれば、問題だとされながらも延々と変わらない社会の在り方は、実際には多くの人がそれで良いとずっと思ってきた結果だとも言える。社会体制・秩序の維持への強い志向は『菊と刀』に既に論じられていたし、更に遠い所で言えば、『孟子』が「義」の基礎を「恥」に求め、善悪は社会によって決まるものだとしていたのだから、周りに合わせる習慣こそ、むしろ日本社会にとって不変の価値観なのかもしれない。それではいけない、という批判的な議論は、理想主義的な書生の議論で、戦後七十年を経て、理想主義者たちの末裔は現実に安住することを学んだということか?


先月のこのコラムで紹介した『Fragile』という流行歌のMVには、ニラが何度も出てくる。それは、最近数年来中国で、一般庶民の境遇の比喩としてよく使われている。ニラは生命力旺盛に、次から次へと生え、一直線に力強く伸びていくが、ある程度伸びると、根元からごっそり切り取られて、全部丸ごと食べられてしまう。どんなに苦労して稼いでも、稼いだ分だけ持っていかれてしまう、という意味が込められている。そこには幅広い層からの不満がある。貧困層に限らず、少し小銭を貯めて株を買っても、官制相場で全部持っていかれる、というような話も多い。しかし、だからといって、それが体制・政府批判に繋がるかと言えば、そうではない。

躺平の図

「躺平」という言葉もよく使われる。こちらは、何をやっても成功する見通しが無いから、いっそ何もせずに横になっていよう、という生活態度を指す。社会体制が硬直化し、若者に与えられるチャンスが非常に限られている。切実に困ってはいるが、社会批判をしても何の解決にもならない。どうすることも出来ないのだから、諦めて淡々としているしかない。
この辺りの事情は、現在の日本にも共通している。私の働いている大学では、多くの学生が、現在の日本社会に大きな不満を持っていない。教職員も、全体としては現状に満足している人が多いようで、教職員組合が却って加入者維持に苦戦している。実際には、非常勤・有期雇用の教職員が非常に多く、年収等で較べれば、無期雇用の教職員に較べて格段に悪い状況に置かれている。しかし、非常勤・有期雇用の教職員には職場で加入できる組合組織も無く、従って不満を声にして意識することもできず、逆に、組合加入資格を持つ無期雇用の教職員の間に、自分たちは既に特権的なまでに恵まれているのだから、不満を持つなどとんでもない、という意識を深める結果になっている。10月末日投開票の衆議院選挙で野党の得票が伸びなかったのは、選挙戦略などの問題以前に、現状に満足している人人が多いことが根本的原因なのではないかと思う。


先月のコラムにも書いたように、核廃棄物や産業廃棄物・生活廃棄物が山も海も埋め尽くす勢いで、温暖化が進んで豪雨・洪水が頻発しようという状況に、現在の日本社会は有効な対応が取れる体制ではなく、格差・貧困・人権問題も深刻で、このままで良いとはとても思えない。CO2排出規制目標を達成できない日本が、強引なやり方でそれを達成した中国政府から、自治能力が無いと批判される日が来ないと誰が言えよう?
しかし、私も積極的に政治活動をしようとは思っていない。そんな能力は無いし、それよりも他にしたいことが有る。こう書くと、Beatlesの『Revolution』だの井上陽水の『傘が無い』だのを思い出すが、あれは中国で文革が、フランスで五月革命が、アメリカでベトナム戦反対運動が起こったように、社会変革に積極参画することが当然とされた時代の話しだ。現在は、経済発展の限界がはっきり見え、高齢化が進み、進歩よりも保守が優勢で、社会は変化に抵抗し、個人は「ニラ」であることに甘んじなければならない時代だ。革新・革命的社会参加を訴える歌は広い共感を呼ばず、『Revolution』や『傘が無い』もピンと来ないはずだ。
社会がどのような状況であろうとも、人間が好奇心を失って、生きる為だけに生きるようになってしまっては面白くない。三百年前に書かれた『ガリヴァー旅行記』の「不死の国」は、我々にとって近未来の地獄絵図だ。現在90歳の真鍋さんは、「最も興味深い研究とは、社会にとって重要だからといって行う研究ではなく、好奇心に突き動かされて行う研究だと思います」と言った。善哉善哉。初めから重要だと分かっていて、課題や目標が既に明確な研究は、一種の仕事として必要ではあっても、予想もしない世界を開いてくれる興味深いものではありえない。彼が「私は人生で一度も研究計画書を書いたことがありませんでした」と言うのを見れば、真に羨ましいと思わざるを得ない。計画に従う研究など面白いはずもなく、そんなものを書くのは時間の無駄でしかない。それにも関わらず、日本の大学では、ご丁寧に「科研費」申請書の書き方講習会まで開かれている。本来僅かしか無い貴重な能力・時間を投入して、僅かばかりの「科研費」を得ようと苦闘しなければならないのは、悲しくも滑稽だ。
二十年ほど前、日本では国立大学が法人化され、私は勤務していた東大の研究所で、科研費などの外部資金が無ければ、研究所の水道代・電気代も払えなくなります、と聞かされた。外部資金調達だの、プロジェクトだの、社会貢献アピールだの、私には背負いきれない仕事だと思ったこともあって、東大を辞めて北京大に拾ってもらった。当時の中国の大学教員の給料は非常に安かったが、週に一つ授業をする以外は何をしても自由で、時間を贅沢に使うことができた。しかし中国も、2010年頃から給料がどんどん上がると同時に、プロジェクトを申請しろ、というような話が増え、色々な面で管理が厳しく、自由が無くなってきた。アメリカも競争が厳しいようだから、真鍋さんのような状況は例外なのだろう。
パラダイスは、目指して行ける所ではない。私にとっては、北京で学生として、教員として過ごした十数年がパラダイスだった。今後は、与えられた条件の中で、少しでも多くの時間を好奇心だけに忠実な読書に投入し、本当に面白い発見を少しでも多く文字に遺していく。それしかないし、それでよい、と自分では思っている。

(2021/12/15)

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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。