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特別寄稿|作曲家と演奏家の対話・VII|サン・セルジュの丘と芸術家達|ダムニアノヴィッチ & 金子

『作曲家と演奏家の対話 VII・サン・セルジュの丘と芸術家達』

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子

>>>作曲家と演奏家の対話
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金子陽子(Y.K.)

私は20年来パリの北端の19区に住んでいる。大型バスや好奇心に満ちた観光客の視線にさらされる心配が無い地区であるが、ここの自慢は、かつての石灰石の石切り場跡をナポレオン3世が公園に改造した高名なビュット・ショーモン公園だ。石灰石とはパリの建て替えと美化に一役買った石材だ。拙宅のバルコニーから、私は向かいの林の後方にちらつく黒ずんだ赤煉瓦の建物、英国か蘭国で見るような建物のシルエットを凝視していた。幽霊屋敷だろうか? でも、この屋敷にはステンドグラスと塔も有る! 永年ここに住む隣人のフランス人女性が、ロシア教会だ、と教えてくれた。
ロシア・・私を取り巻く環境とは異質の伝統を持つ遠い国!

サン・セルジュ・ロシア正教会の右の外壁

私が拙宅前の通りを横切ってこの林のある敷地に足を踏み入れることを決心するまで20年近くかかった。それは、このロシア正教会主催のクラシック音楽の演奏会のポスターのお陰で2019年3月のことだった。教会で私を迎え入れたのは、作曲家アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ、コンサートの主催者でもあった。彼自身はロシア人ではないが、キリスト教ロシア正教の信者だ。このようにして、質素ながら情感に満ちたこの教会の佇まい、半分が赤煉瓦、残りの半分が木造の建物、周りを囲む林のある小さな公園、側面に設けられた(後に追加されたと思われる)大小さまざまな鐘が吊り下げられた鐘楼等と私は初めて対面した。聖堂の木の扉を内側に押し開けるや否や、黄土色を軸に、黄色、聖なる後光を描いた金色、そして全体の輪郭を浮き立たせる鮮やかな赤色が彩る聖画の数々に私は囲まれていた。同じキリスト教のカトリック教会やプロテスタント教会とは対照的に、椅子はほとんど見当たらないしオルガンもない。灯された数知れないろうそくの灯が揺れて、神秘的なこの雰囲気、炎から生まれた煤とお香が混ざった香りと共に、静寂の場に光明を沿え、ここに足を踏み入れた者に安堵をもたらす。私はそれから、この場所の歴史を、この教会が当初からロシア教会ではなかったということを知った。

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ (A.D.)

サン・セルジュ・ロシア正教会の鐘楼

確かにこの場所は独特な美しさを持っている。昔からこの場所を知っていた訳ではない私でも、漂う雰囲気と美しさに絶えず魅了され続けている。この教会は1861年にドイツ人のルター派の牧師 F・ファン・ボデルシュヴィング(F. von Bodelschwing) によって、ドイツ人の移民達の礼拝の場として、ビュット・ショーモン公園に近い丘の上に建てられた。彼らの大多数は貧しく、くず屋や道路清掃人として働いていた。第一次大戦後、この丘と建造物全体が、フランス政府によって戦災補償物として取り押さえられ、1924年のオークションで売却されることになった。ロシア大革命を逃れてきたロシア移民達が、世界から寄せられた寄付や個人的な出資のお陰で、丘を買い取る事ができたのだ。1924年7月18日、聖セルジュ・ド・ラドネージュ(Serge de Radonège) という、ロシアの象徴的な聖人の祝日の日に買い取りが成立した、彼らはこの場所に、この聖人の名前を掲げるロシア正教の神学院を設立し、この地は『サン・セルジュ丘』(ロシア語で Sérguéïsko Podvorïé)という名称を与えられた。サン・セルジュ・ロシア正教神学院(L’Institut de Théologie Orthodoxe Saint-Serge « ITO » ) は、西ヨーロッパ屈指のロシア正教の教育機関となった。ロシア正教の神学者だけでなく、カトリック、プロテスタントの神学者もこの学院で学んでいる。しかし、ここは芸術と植物の美の場所でもある・・・

Y.K.

クリメー通り93番地 (93 rue Crimée) を入って心を打たれるのは野生の葡萄と野草の花々に囲まれながら教会の建物まで私達を導く小さな畦道、私達は21世紀のパリにいるということを忘れ過去への旅に誘われる。この地が建立された日から恐らく何一つ変っていないのだ。そして、延々と巻かれた名画のセロファンフィルムのように、繰り返される日々、季節が、この地の住民の一日の移り変わりを刻む鐘楼の鐘の響きと共に、絶え間なく続いて来ているのだ。

サン・セルジュ・ロシア正教会の内部、日曜朝の礼拝

礼拝について触れよう、毎日曜朝の礼拝は約2時間続く。信者達も立ったままで、ごく少数による聖歌隊が歌うスラブ語での祈りのリズムに合わせて進められ、貴方もその一員だ。親密に響き、限りなく人間的であり、この昔の言語の単語を一つも理解せずとも、これらの歌による祈りが、永遠の時間を思い起こさせる世界に私達を連れていく。ビザンチン時代からこの礼拝の伝統は不変である、と知って軽い目眩を感じるのは私だけだろうか?
神に祈りを捧げるこの場所は、同じように人間性を見いだす場所でもある。

(日本の読者のためにここで説明を補足しておきたい。ロシア正教の信者の大多数は、フランスで生まれたフランス国籍所有者、又は外国から移住してフランスに帰化しながら出身国、彼らの両親の文化を引き継いでいる。つまり、彼らは2カ国語又は3カ国語を母国語とするバイリンガル、トリリンガルであり、複数の国籍を所有し続けている)

A.D.

礼拝の歴史的古さについてだが、礼拝の聖典は4世紀の聖ジャン・クリソストムが書いた物だ。ロシア正教(orthodoxe=オーソドックス)の原意は、原典の形を保存するということで、それはキリスト教の最も古い形態なのだ。礼拝時は立ちっぱなしで、伴奏なしのアカペラの歌を用いるということが、ロシア正教の数ある特徴の一つでもある。反対に、歌の様式は発展した。今日サン・セルジュ教会で聴かれるものは、19世紀のロシアの伝統から来ており、それ自身も長期に渡る変化、ビザンチン聖歌に発し、9世紀以降ロシア人達に伝えられ変化した様式に負って、直ぐに独自のスタイルとなった。ロシアは隣接した文化の影響を受けつつも、独自のオリジナリティを持ち続けたのだ。このように、私達が今日使用する歌は、西洋のクラシック和声の一面、繰り返しとミニマリスティックな形式を使用することで、中世の雰囲気を呼ぶ大変オリエンタルな方法の混合されたものである。この瞑想的な歌は、貴方が記述したような気持の良い安堵感に寄与している。音楽的に非常に簡素ながら、この歌はかなり強い精神性を持つ。個人的に私は自身の作曲活動に、直接間接的にインスピレーションを得ている。直接的には、貴方が11月21日の演奏会で演奏した拙作『パリ・サン・セルジュの鐘』の音楽的主題として。間接的には、私の幼年期から恐らく影響していると想像している瞑想的な形式への個人的趣向だ。

Y.K.

© Valentine Aleetvina 画による “Ecoute・聴く”

2021年11月21日の演奏会(と絵画展示会)は、見事な盛会となり、ホール(教会の一室)は地域の住民、友人、教会の信者達で満席となり、私達は入場できない聴衆をお断りせざるを得ない状況となってしまった。来場者達全てが、この素晴らしい場所、貴方の作品、当日出席していた女流画家の作品、そして演奏会に出演した若い20歳のヴァイオリニストの演奏に魅了されていた。このイヴェントは、私達に精神性をもたらしてくれるこの場所へのオマージュであり、物質的にこの場所の保存と修復に協力する意図が含まれていたのだ。

実際のところ、サン・セルジュの丘はこの対話の初めに触れたように、石灰石の石切り場であったビュット・ショーモン公園地区一帯にも関わることであるが、地盤の緩さに起因する構造上、建築上の問題に直面している。教会の建物が近日『重要近代建築』に指定されたことからも、この文化財を保存してゆくことは重要である。このように、サン・セルジュの丘はロシア正教徒に関わるだけでなく、今後はパリ市の文化遺産として、市自体にも関わっていくことになったのだ。

サン・セルジュの丘文化アソシエーションはダイナミックで情熱に溢れている! この団体は、この丘、まずは教会の修復工事の費用を募る文化活動を主旨として昨年結成された。その活発な運営は、すべてロシア正教の信者でもある会員達の質の高さのお陰だ。会員には、建築家、プロのグラフィックデザイナー、番組制作のプロ・・等が揃っており、幕開けコンサートの様子を報告した動画は、以下のサイトで観る事ができる。orthodoxie.com

A.D.

ここで私は「私達は入りきれない聴衆を断らざるを得ない状況となった」という証言を引用して、貴方自身の、サン・セルジュの丘のコンサートシリーズの企画への協力を強調したい。貴方自身は、ソリストとして、奈緒美さんとのデュオの共演者として、11月21日の演奏会に出演した。上記した、20歳の若きヴィルティオーゾなヴァイオリニストは実は貴方の娘だということを、この際読者に明らかにするべきだろう。彼女はこの地で、教会の向かいで生まれて育ち、貴方と共にコンサートシリーズの幕開けに携わってくれたのだ。このようにして貴方は音楽家として、この地区に住むパリ市民として、アソシエーションの会員達の情熱に更にダイナミックさを増すべく協力してくれたのだ。来年1月16日の演奏会でも、奈緒美さんのようにパリ音楽院で貴方の教えを受けている若いヴァイオリニスト、ドリアン君との共演が予定されているということも強調しておこう。

Y.K.

コンサート後に、遠方から駆けつけてくれた音楽ファンのフランス人女性が送ってくれたメッセージ(詩)をこの対話の締めくくりとして読者の皆様に紹介したい・・・

私は この 「ありそうにもない」 場所の永遠性を 信じます
私は 歴史遺産の保護を 信じます
私は すべての形の芸術、とりわけ音楽、私の分野を 信じます
私は 人間が約束できる その力を 信じます
そして 私は その全てが
それを望む人々にとって
未来を約束する ということを 確信します

© Valentine Aleetvina 画による “Initiation au mystère・神秘への入門”

陽に照らされたサン・セルジュ・ロシア正教会の正面

(2021/12/15)

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アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ

1958年セルビアのベオグラードに生まれ、当地で音楽教育を受ける。高校卒業後パリに留学し、パリ国立高等音楽院作曲科に入学、1983年に満場一致の一等賞で卒業後、レンヌのオペラ座の合唱指揮者として1994年まで勤務すると共に主要招聘指揮者としてブルターニュ交響楽団を指揮する。1993年から98年まで、声楽アンサンブルの音楽監督を勤める。1994年以降はフランス各地(ブルターニュ、ピカルディ、パリ近郊)の音楽院の学長を勤めながら、指揮者、音楽祭やコンサートシリーズの創設者、音楽監督を勤める。
作曲家としてはこれまでに、およそ10曲の国からの委嘱作品を含めた30曲程の作品を発表している。

作品はポストモダン様式とは異なり、ロシア正教の精神性とセルビアの民族音楽から影響(合唱の為の『生誕』、ソプラノとオーケストラの為にフォークソング、ヴァイオリンとオーケストラのための詩曲、ハープシコードの為の『エルサレム、私は忘れない』、オーケストラのための『水と葡萄酒』など)或は他の宗教文化の影響を受けている以下の作品(7つの楽器の為の『エオリアンハープ』弦楽オーケストラの為の『サン・アントワーヌの誘惑』、声楽とピアノの為の『リルケの4つの仏詩』、合唱とオーケストラの為の『ベル』など)が挙げられる。

音楽活動と並行して、サン・マロ美術学院で油絵を学んだ他、パリのサン・セルジュ・ロシア正教神学院の博士課程にて研究を続けており、神学と音楽の関係についての博士論文を執筆中。

2019年以来、フォルテピアノ奏者、ピアニスト、金子陽子の為にオリジナル作品(3つの瞑想曲、6つの俳句、パリ・サン・セルジュの鐘)アリアンヌの糸とアナスタジマのピアノソロ版が作曲されて、金子陽子による世界初演と録音が行われた。

Entendre

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金子陽子(Yoko Kaneko)

桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。

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