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タンペレゆるゆる滞在記|5 フィンランドの原風景と文化| 徳永崇

タンペレゆるゆる滞在記5 / フィンランドの原風景と文化 

Text & Photos by 徳永崇(Takashi Tokunaga)

フィンランドの原風景 

シーカネヴァの湿原を歩く

11月初旬、タンペレ交響楽団のクラリネット奏者Reettaさんが、私たち家族をタンペレの北70kmほどに位置するシーカネヴァ自然保護公園に連れて行ってくれました。フィンランド語でフィンランドのことをSuomiと表記しますが、この中の”Suo”は「沼地」を意味します。フィンランドと沼の結びつきがイメージできなかった私でしたが、この度シーカネヴァをハイキングしてみて、ようやくその理由がわかりました。この国の、この国らしい自然の原風景がシーカネヴァのような湿地、すなわち沼地なのです。このことは、国が自然保護区として多くの湿地を管理していることからも窺えます。
沼と聞くとあまり良いイメージはありませんが、フィンランドのそれは繊細な動植物と水の織りなす生態系です。日本ですと尾瀬や釧路湿原といった感じでしょうか。フィンランドではかつて、この様な湿地の堆積物を掘り出して肥沃な土を作り出し、農業に使用していたそうですが、近年では可能な限り湿地を自然のまま残す取り組みが進んでいます。

数週間ぶりの日差し

湿地の中を歩いていると、湖のほとりや森の中とは一味違った静寂に包まれます。空気が澄んでいるのはもちろんのこと、苔の上を通る風と湿度が独特の香りとなって伝わってきました。苔類は隆起して島の様にも見えるし、美味しそうなベリー類も実っているので、つい表面を歩きたくなりますが、試しに足を踏み込んでみるとズブズブと吸い込まれ、一瞬ぞっとしました。Reettaさんによると、沼の底は深いところで10mくらいあるとのことで、ベリーを摘みにきたご老人がそのまま帰ってこないという事故も起きているみたいです。
この様な環境は地方のみならず都市部近郊にも存在しており、多くの人々がハイキングやキャンプなど、アウトドアのレジャーを気軽に楽しんでいます。しかも、深い自然が残る地域だからといって日本の過疎地のような廃れた雰囲気はなく、道を曲がると突然うじゃうじゃと子どもたちが湧いて出てきたりして、静かな田舎にも生気が溢れています。我々1970年代生まれの団塊ジュニア世代にとっての原風景にちょっと近いかも知れません。そういったある意味懐かしくも独特な子どものエナジーに満ちた音楽教育の現場に、今回も足を運んできました。

エスポーのInstitute 

作曲を指導するMarkku Kulami氏

まずはヘルシンキから地下鉄で20分の場所に位置するエスポーのInstituteです。ここでは”Opus1”プロジェクト(詳細は前回の記事を参照)の中心的なスタッフである作曲家Markku Kulami氏が教えています。ヘルシンキ近郊においては、依然としてコロナ対策の規制が厳しく、学校自体は再開したものの同時入室者数の制限があり、今回は個人レッスン1回分しか視察できませんでした。建物はホール付きの公民館程度に大きく、器楽・声楽コースも充実しており、音楽アカデミーといえる規模。ロビーで弦楽器の幼児クラスと思しき集団が発表会をしている様子は微笑ましかったです。おそらくJr.オケがあるのでしょう

教師による即興的な伴奏

視察対象のクラスの生徒はバイオリン専攻の高校生で、副専攻として作曲を履修していました。完全5度の堆積によるコードを活用してバイオリンとピアノための作品を書き進めており、これはOpus1の課題を援用しているとのこと。生徒による自作の演奏に合わせて、Markku氏がコードの構成音の配置や高さなどを即興的に変えつつピアノ伴奏することにより、同じ完全5度から得られるコードでも色合いが異なることを「体感」させていました。後日、作曲作品の発表会がある様子なので、改めて訪問する予定です。
このレッスン後に小学生による集団クラスがあり、Opus1の良い成果が出ている様子だったのですが、今回は入室不可ということで訪問は後日になりました。

明るく残酷な子どもの想像力 

演奏前のゆるゆる会議

続いて、9月末に訪問したハーパヤルヴィのInstituteへの再訪についてです。ここでは前回の記事でもご紹介した「絵を見て音楽のストーリーを作る」活動の続きを見ることができました。2週間が経過していたので話も出来上がり、即興的ではありますが実際に演奏するところまで進んでいました。話の概要は「魂を持たずに生まれた少女が、やがて王子様の魂を奪って自分のものにし(王子は即死)、周りの人も悲しんで、本人も逮捕される」という
感じです(汗)。

いざ実演

人が死んだり、主人公が警察に捕まったりする中、ちゃっかり王子様などキラキラワードが出てくるのがミソで、独特のバランス感覚に感心してしまいます。この話を元に、ピアノの内部奏法を駆使しつつ子供たちはのんびり楽しそうにノイズを発生させていました。
担当教師のSannaさんは、近隣の町にあるInstituteも掛け持ちしており、前回訪問しなかった場所にも連れて行ってくれました。カルサマキという町に移動したのですが、ここでは公立学校の理科室を借りて大人のための作曲レッスンが夜間に行われています。今回は中年女性と20代男性を対象としたクラスを拝見しました。前者は雨のイメージを楽譜に書き留める、後者は自作のコードを繋げる作業の途中です。両者とも本格的な音楽教育は受けていない様子でしたが、とても楽しそうに自作について語る姿が印象的でした。レッスンの進め方は、生徒の書いてきた楽譜に対し、様々な可能性や作業の進め方についてアドバイスするというスタイルです。楽器が設置されていない部屋なので、教師がノートパソコンで音符を打ち込み、音を出しながら確認していました。

日本の伝統音楽を教えてみた 

さて、前回同様に押しの強いSannaさんの提案で、私も講義をすることになりました。今回は事前に準備したパワポのスライドと動画を使いながら、日本の伝統的な楽器やジャンルについて解説するという内容です。1回30分程度の講義を2日で6回ほど実施したのですが、教えていて興味深かったのは、これだけインターネットによる情報のグローバル化が進んでいるとされる現代において、まだまだ日本の文化について認知されていないということです。どうやら多くのフィンランド人にとって、日本というのは文化的にも地理的にも異国中の異国であり、興味をそそられる対象ではあるものの、箏や尺八を見るのも初めての人が少なくない様でした。もちろん、日本のアニメや漫画はある程度認知されていますが、盛り上がっているのは一部の日本愛好家という狭い範囲での話です。別に無理して知ってもらわなくても良いという考えもあるかと思いますが、音楽に限らず様々な日本文化や製品の良い面に触れてもらうことで、市場を生み出すことができるのではないかと感じました。
日本では今、経済も衰退し、給料も増えず、人口も減り、底なし沼のような沈滞ムードが漂っていますが、それは狭い日本本土に固執した世界観であり、視野を世界に向ければ可能性が大いに広がっている、と多くの成功した実業家が声高に喧伝している意味を肌で感じた瞬間でした。国内経済の低迷を嘆く前に、まずは国を挙げて日本の良さを外国に宣伝してみたら良いと思います。そもそも認知されていないのですから。
定年退職したらフィンランドでお好み焼き屋を経営するのも悪くないかも知れません。寒いフィンランドと熱い鉄板はきっと相性が良いはずです。ちなみに、フィンランドのあちこちで寿司バーを見かけますが、ほとんどは日本以外のアジアの方々が経営していて、味も見た目も異国風です。ネタもサーモンばかりで、もっと変化の欲しいところ。回転寿司レベルでも良いので、日本国内の味を提供したら割と繁盛するのではないでしょうか。

イルミネーションの効用 

夜のタンペレ市内

12月の冬至に向けて、どんどん昼間の時間が短くなっています。さらに毎日が曇りか雨なので、気持も陰うつになります。それと並行して、街のイルミネーションが増えてきました。日本にいるとあまり感じなかったのですが、ここまで毎日が暗いと、不覚にもカラフルな灯りに気持ちが癒されることに気がつきました。この「光」に対するフィンランド人のこだわりは相当なものです。雑貨屋やインテリアショップに多数陳列されているムーディーな室内灯が前から気になっていましたが、その意味がようやく分かった次第です。
光を感じるためには闇を知る必要があります。厳しい冬があるからこそ、暖かい季節の有り難みがわかるとも言えます。教育が人々を無知から解放し、自己実現の力となって幸福へと導くのであるとしたら、それはやはり残酷な現世における一筋の光です。北欧の国々が教育を大事にするのは、もしかしたら風土と関係しているのかも知れません。そうであるならば、日本の教育を考えるにあたって、その風土をよく知ることが重要です。日本の風土とは如何なるもので、かつ音楽教育はどうあるべきなのでしょうか。その中で、音楽創作の営みは光となり得るのでしょうか。まだまだ私たちは日本について知る余地がありそうです。
文章が沼のように湿っぽくなってきました…。日照時間の減少により、セロトニンも不足してきた様です。フィンランド人も勧めるビタミンDをサプリで補給しつつ、この暗い時期をゆるゆると乗り越えようと思います。

(2021/11/15)

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徳永崇(Takashi Tokunaga)
作曲家。広島大学大学院教育学研究科修了後、東京藝術大学音楽学部別科作曲専修および愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。ISCM入選(2002、2014)、武生作曲賞受賞(2005)、作曲家グループ「クロノイ・プロトイ」メンバーとしてサントリー芸術財団「佐治敬三賞」受賞(2010)。近年は、生命システムを応用した創作活動を行なっている。現在、広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。2021年4月から交換研究員としてタンペレ応用科学大学に在籍。