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円盤の形の音楽|ウィリアム・カペルをご存知ですか?|佐藤馨

ウィリアム・カペルをご存知ですか?

Text by 佐藤馨(Kaoru Sato)

〈曲目・演奏〉        →foreign language
[1]-[3] ブラームス/ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15
[4]-[6] プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番ハ長調 Op.26

ウィリアム・カペル
ニューヨーク・フィルハーモニック
[1]-[3] ディミトリ・ミトロプーロス(指揮)
[4]-[6] レオポルド・ストコフスキー(指揮)

〈録音〉
[1]-[3] 1953年4月12日、ニューヨーク
[4]-[6] 1949年3月5日、ニューヨーク

好きなピアニストが三人いる。リパッティ、グールド、そしてウィリアム・カペルだ。前二人に比べ、カペルの名はいささかマイナーか。知名度で演奏家を語りはしないが、それでもファンとしては、「ウィリアム・カペルをご存知ですか?」と聞きたくなってしまう。
1922年にニューヨークに生まれたカペルは、若くしてピアノの才を示し、1940年にジュリアード音楽院へ入学した。翌年のニューヨークでのリサイタルデビューで一躍脚光を浴び、数年後にはRCAと録音契約を行い、破竹の勢いでキャリアを築く。ヨーロッパや南米のツアーも成功を収めたが、1953年にオーストラリアでの演奏旅行の帰りに飛行機事故でこの世を去った。31歳という若さ、いわゆる夭折の天才。ごく個人的には、「リパッティ、グールドが長生きしていれば」よりも、「カペルがもっと長生きしていれば!」という妄想の方がいっそう魅力的に感じてしまう。
カペルがそこらのアイドル音楽家と一線を画していた点は、音楽への飽くなき探求心であった。それはレパートリーによく表れている。古典派やロマン派は当然のこと、すでにデビュー時からJ.S.バッハを取り上げ、存命作曲家(ショスタコーヴィチやコープランド等)の曲も意欲的に紹介している。特に、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲はカペルの代名詞で、ピアニストとして名声を高めるのに決定的な役割を果たした。しかし一方で、絢爛な協奏曲を弾きこなす剛腕技巧派の評判が付き纏い、この一面的なレッテルを嫌ったカペルは後にこの曲を軽蔑し遠ざけた。
すでに十分な名声を得ていたにもかかわらず、彼は音楽院で勉強を続け、演奏をより深化させるためアルトゥール・シュナーベルにも教えを受けた。旺盛な活動の中で室内楽や歌曲でも研鑽を積み、アルテュール・グリュミオーやファイン・アーツ弦楽四重奏団、マリア・シュターダー等と共演して音楽性を広げていった。私がカペルに惹かれるのは、まさにこうした音楽への敬虔さによる。ソロしかできないようなピアニストは、どうも好みではない。音楽の様々なフィールドに突入していく気概や好奇心は、演奏そのもののバイタリティや奥行きに直結している気がするのだ。
わずか十年ほどの活動で残されたものは限られるが、カペルに魅了された者にはどんな些末な音源も宝である。中でも、折に触れて聴き返したくなるのが、1953年4月、死のおよそ半年前のニューヨークでのライブ録音だ。ここでカペルは、ディミトリ・ミトロプーロス指揮のニューヨークフィルと、ブラームスのピアノ協奏曲第1番を弾いている。当初、そもそも曲自体に馴染みがなく、演奏にもピンと来なかった。カペルといえど、長時間ダラダラ連れ回されているように感じてしまい、私は途中で聴くのを止めてしまった。しかし時が経ち、徐々に曲の良さに触れ、その頃には第1番がお気に入りになっていた。そうして、ようやくカペルの演奏に立ち戻ってきたのだ……。

冒頭から熱の塊にぶん殴られる。無知とは怖いもので、こんな恐ろしい演奏をスルーしていた自分が信じられない。ミトロプーロス率いるニューヨークフィルは凄まじい燃焼度で、すでに前奏から期待は高まる一方だ。主役が登場するには最高のお膳立て。オケが静かになり、ピアノソロが深い音色で舞い降りる。落ち着きの中にもざわめきが見え隠れし、葛藤するようにうねりながら進んでいく。そうして旋律が最初の盛り上がりを作る頃には、自分の意識も完全にそのうねりに持っていかれ、頂点のオクターブのトリルで稲妻を浴びたように痺れる。こうして私は数年越しに、ヤラレた。
カペルに隙はない。徹頭徹尾、魂を削り、曲と対峙する。火花散る鉄槌のような打鍵があれば、一方で心を融かすような温かさが弱音から溢れ出す。ただただ、一つ一つの音にカペルの命が刻みつけられていく。両端楽章はまさに嵐、どんな細部にも感情が迸り、聴く者の心が休まる暇を与えない。信じられないのは、これがライブということだ。これだけの密度の音楽が、途切れることなく鳴り続けている。
白眉は第2楽章、情熱と静謐が高い次元で融合している。カペルが生み出す空間にオケも調和して、いや、支配されていると言うべきか。ミトロプーロスはカペルを完全に理解しており、共に高みへの階段を築き上げている。カペルは人が持ちうる心の最も深いところまで下り、そこから音を拾ってきていたのだろう。全てを慈しみ、聴こえる音全てが光を帯びている。世界が彼らの一音一音を聴くために立ち止まったかのような、そんな筆舌に尽くせない特別な時間の流れ方がここには記録されている。

カペルの演奏は、魂を尽くすということにおいて容赦がない。この録音は、その類まれな姿勢のドキュメントである。こんな演奏をしていたら、命がいくつあっても足りない。聴く度に、「そりゃあ早死にするよ」と私は妙に納得してしまう。

(2021/11/15)

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佐藤馨(Kaoru Sato)
浜松出身。京都大学文学部哲学専修卒業。現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室に在籍、博士後期課程1年。学部時代はV.ジャンケレヴィッチ、修士ではCh.ケクランを研究。演奏会の企画・運営に多数携わり、プログラムノート執筆の他、アンサンブル企画『関西音楽計画』を主宰。敬愛するピアニストは、ディヌ・リパッティ、ウィリアム・カペル、グレン・グールド。
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〈Tracklist〉
[1]-[3] Brahms : Piano Concerto No.1 in d, Op.15
[4]-[6] Prokofiev : Piano Concerto No.3 in C, Op.26

William Kapell, piano
Philharmonic-Symphony Orchestra
[1]-[3] cond. Dimitri Mitropoulos
[4]-[6] cond. Leopold Stokowski

〈Recording〉
[1]-[3] 12 April 1953, New York
[4]-[8] 5 March 1949, New York