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帰天20+1周年コンサート|戸ノ下達也


髙田三郎とテクスト
Saburo Takata and text

2021年10月2日 キリスト品川教会
2021/10/2 Christ Shinagawa Church
Reviewed by 戸ノ下達也(Tatsuya Tonoshita)
Photos by 堀衛/写真提供:二期会21 

<演奏>
髙田江里 pf.
鈴木茂明 chor master
コーロ・ソフィア chor.
若山恵子 org.
三井清夏 sop.
望月哲也 ten.

<曲目>
髙田三郎:『典礼聖歌』
     《神を求めよ》
     《栄光は世界におよび》
     《エルサレムよ、おまえを忘れるよりは》
     《キリストは人間の姿で》
     《いつくしみと愛(ウビ・カリタス)》
     《わたしは復活し》
髙田三郎:『パリ旅情』
     Ⅰ.《さすらい》
     Ⅱ.《売子》
     Ⅲ.《パリの冬》
     Ⅳ.《街頭の果物屋》
     Ⅴ.《降誕節前夜》
     Ⅵ.《市の花屋》
     Ⅶ.《冬の森》
     Ⅷ.《すずらんの祭》
髙田三郎:『ピアノのための前奏曲集』
     Ⅰ.《蒼き沼にて》
     Ⅱ.《風に踊る日の光》
     Ⅲ.《山鳩》
     Ⅳ.《藍色の谿間》
     Ⅴ.《暮れ行く山々》
髙田三郎:組曲『残照』
     Ⅰ.《夕映え》
     Ⅱ.《凧》
     Ⅲ.《比良のシャクナゲ》
     Ⅳ.《モンゴル人》
     Ⅴ.《残照》

2000年10月に87歳の生涯を閉じた髙田三郎は、周知のとおり敬虔なクリスチャンであり、詩=テクストにこだわりながら合唱曲や歌曲を中心に創作活動や後進の育成に邁進した。その髙田三郎没後20年の昨年に予定されたコンサートは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い延期されて、今回の「帰天20+1周年コンサート」として開催となった。
髙田三郎の長女でピアニストでもある髙田江里の企画・構成によるこのコンサートは、髙田三郎の創作活動の全体を俯瞰する構成だ。1948年発表という初期のピアノ作品である『ピアノのための前奏曲集』、円熟期とも言える1963年発表の歌曲集『パリ旅情』全8編と、1963年から創作され約220曲に及ぶ『典礼聖歌』から6編、そして晩年となる1996年発表の組曲『残照』全5編からは、その時々の髙田の音楽観が明確に現れている。

日本カトリック司教団の依頼で作曲された『典礼聖歌』からの6曲は、鈴木の指揮と詩編唱、若山のオルガン、コーロ・ソフィアの混声合唱で演奏された。「神を求めよ」では憐みが、「栄光は世界におよび」では平和と安寧への祈りと希望が聴こえる。しかし、鈴木の詩編唱も伴う「エルサレムよ、おまえを忘れるよりは」では静かな怒りと誓いが、「キリストは人間の姿で」では、キリストの生涯が弱音のユニゾンで綴られる。この静謐な2曲の後に、「いつくしみと愛(ウビ・カリタス)」と「わたしは復活し」で理解と救いが重厚に響き渡る。髙田が注力した『典礼聖歌』の中から、まるで合唱組曲のごとくストーリーと曲想の変化が実感できるこの6曲で、祈りと願いを実感する見事な構成である。若山のオルガンとコーロ・ソフィアの混声合唱は、慈愛に満ちたハーモニーで信仰を表現する。この表現は、髙田作品を熟知し尽くしている、鈴木の指揮だからこそ味わうことができるものだろう。

続く『パリ旅情』は、深尾須磨子の詩がテクストで、全8曲には、明暗が交互に現れる構成の歌曲集である。三井のソプラノは、どの曲も清明なソプラノが優しくうたう。《さすらい》《パリの冬》《降誕節前夜》《冬の森》に鮮明な陰影、《売子》《街頭の果物屋》《市の花屋》《すずらんの祭》で実感される陽気さが、聴く者を引き入れる。変幻さが特徴の音楽だ。しかし演奏者にとっては、交互に現れる色彩感を描くのが難しい作品だろう。三井は、極力表情を控えつつ、実直で透明なソプラノという音色を駆使して、しとやかに演奏する。特に《すずらんの祭り》では、メリハリのきいた楽曲の展開が鮮明だ。髙田のピアノは、終始三井に寄り添うもので、何より《売子》《街頭の果物屋》《市の花屋》のリズミカルなタッチは、楽曲の雰囲気を存分に引き出す演奏だ。

『ピアノのための前奏曲集』は、プログラム曲目解説によれば、作曲者が戦時中に疎開していた長野県長瀬村(現・上田市)の日常で目にした風景を、スケッチして書きためていた作品という。その5つの章が映し出す音楽は、まさにこの長野の風景そのものの叙景詩に聴こえる。沼のそこはかとない混沌、風にそよぐ感触のリズム、下降音型が紡ぐ山鳩の鳴き声、軽やかな音型による渓谷、そして半音進行で変わりゆく黄昏の山々といった具合に、目を閉じて聴くと各章のタイトルからイメージされる自然の風景や音色が蘇るような音楽だ。髙田のピアノは、父の足跡を辿るがごとく、それぞれの景色の音を丁寧に紡いでいく。

井上靖の散文詩による組曲『残照』は、時に朗誦のごとく言葉を語りながら、心情を歌う作品だ。上昇音階を歌い上げる《夕映え》、複雑な人間の内面を語る《凧》、思いを切々と歌う《比良のシャクナゲ》、雄大さと悲哀が漂う《モンゴル人》、これら4曲を回顧し総括するように、辿ってきた自らの人生を語る《残照》という5曲は、豊かな情感が求められる作品だ。この作品の醍醐味を、望月が円熟したテノールで見事に表現する。特に、揺れ動く人間の心情を語る《凧》や《比良のシャクナゲ》での弱音と強音の対比、《残照》の凄みは、作品の本質を突く演奏だ。髙田のピアノは、望月に寄り添いながらも、さらに谺のごとくピアノで豊潤な音を重ねていく。この思慮に満ちた望月と髙田の協奏が、髙田三郎の思い描いた組曲の全体像を提示している。男声合唱版もある『残照』だが、男声でテクストを表現したいという髙田の思いは、男声合唱組曲の『戦旅』や『野分』とも共通するように、歌唱と朗誦による組曲という構成に明確に現れている。

髙田三郎の音楽は、特に合唱作品に顕著な、不安と慟哭が安息に結実する独特の音色がある。しかしその音色には、常に言葉=テクストの主張が昇華されて、髙田ならではの音魂となって私たちを魅了し続けている。それは、『水のいのち』『心の四季』という日本を代表する合唱作品に結実しているだろう。今回演奏された趣きの異なる4作品でも、その根底には、髙田のテクストを音楽に昇華させる直截な視点と思いが濃厚だ。
対話と寛容よりも、自らの保身と繁栄を優先させる内外の社会情勢が顕在化している、コロナ禍の現在にあって、髙田三郎の実直で心に響く音楽という遺産が、私たちに救いをもたらしてくれことを実感する演奏会だ。

(2021/11/15)