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漢語文献学夜話|Fragile: a Chinese Song|橋本秀美

Fragile: a Chinese Song

Text by 橋本秀美(Hidemi Hashimoto)


「言論NPO」がアンケート調査の結果を公表し、今年、一般日本人の中国に対する印象、都市部中国人の日本に対する印象は、いずれも悪化し、2005年の水準に近いとした。
それにも関わらず、日本の大学における第二外国語選択者数は、中国語が他の言語より断然多い状況が続いている。そこに直接的繋がりが無いということは、印象はあくまで印象で、実際の学生生活に深い影響を与える程のものではない、ということもできるだろう。
中国人の日本に対する印象が、中国政府の外交姿勢と密接に連動していることは明らかだが、それはメディアが一般人に広く影響を与えているということだ。日本の情況も似たようなもので、印象という以上、個人の見識というよりは、社会の雰囲気が問題ということであり、それはメディアを通して形成されていると言っても間違いではない。確かに現在の「メディア」は多様だが、輿論形成過程の複雑さは、百年前も現在とそう変わらなかっただろうと思われる。だから、各種の民衆政治運動なども、常に予測を裏切って展開し、現実の尻尾を追いかけながら合理的説明を考える評論家や歴史家が、預言師として成功することは滅多に無い。
戦乱や革命のような大きな社会変動に巻き込まれた経験もなく、平凡な日々を五十年以上送ってきて、振り返れば世界も社会も自分も大きな変化を遂げていた。現実を生きる身にとって、全ては時々刻々の現在でしかなく、歴史的な社会変動もその積み重ねの結果に過ぎない。だから、必死に現実を生きるだけの人間にとって、変化は意識されないし問題にもならない。子供が成長するのも、時々刻々の感覚ではなく、一、二年ぶりに親戚の子供を見て、急に大きくなったと驚く。当然のことだが、時間の幅が無ければ、変化というものは考えられないということだ。そして、時間の幅の取り方によって、見える変化も当然変わってくる。歴史は過去の事実だから客観的に議論できる、ということにはならない。


一年以上前になるが、このコラムに、アメリカの国務卿Pompeoの演説のことを書いた。
当時、非常に大きな衝撃を以てその演説を聞いたからだが、今思い返しても、それは2020年最も記憶に残る象徴的事件だったと思う。その後、それに匹敵する大きな衝撃を受けた記憶が無いまま2021年も冬に入ろうとして、『Fragile』という流行歌が現れた。2021年10月15日にyoutubeに公開され、一日二日の間に台湾のニュースや評論番組などで大きく取り上げられた一方、中国では直ちに封殺され、作者と歌手の微博(中国版フェイスブックのようなもの)アカウントも封鎖された。
実際にyoutubeで視聴してみると、これがすごい。
詳しい解説はしないが、中国で「敏感」とされる語彙やフレーズや品物がテンコ盛りで、誰がどう見ても、徹頭徹尾、共産党政権やそれを支持する愛党ネット活動家を諷刺したものだが、直接的批判の文言は一切無く、画面はほのぼの、曲もごく自然な流行歌で、中国事情を知らない人が視聴すれば、よくある普通のMVとしか思われないだろうものだ。
この作品発表の衝撃は、「すごい」という驚きだった。中国の外国政府・外国企業に対する非難は、古くは義和団事件や五四運動が有り、近二、三十年でも反日暴動や企業ボイコットが起こったりするのは常態化していた。企業の広告や芸能人の発言などが、中国蔑視だ、と批判されて炎上し、謝罪を迫られたり市場から締め出されたりすることもよく有った。この一、二年は、外交官が公的な場面で外国政府や関係機関・人物を高圧的な態度で非難することが目立っていた。そんな「中国」に、特に台湾では、多くの人が辟易し、あきれながらも、その軍事的・政治経済的暴力の強大さに恐怖感を抱き、何も言えないという雰囲気が広まっていた。そんな中に、この歌が放り込まれた時、個人の心の中に抑え込まれていた不満が一気に発火点に達して、爆発的に支持されることになった。なんだ、そうじゃないか、諷刺すればいいんだ、その通りだ、という意識だ。実際、国家主席に似ているWinnie the Poohが「敏感」語彙にされてしまうのは「中国」ならではの事情で、ならば大声でWinnieと言ってやれば、それだけで十分馬鹿馬鹿しさが際立つ。

歌手のIG

微博アカウントを封鎖された歌手は、即座にIGに短い動画をアップし、この歌の替え歌として、「微博アカウント封鎖だって、勝手にすれば。別にIG有るし、FBも有るし、全然困らないし、youtubeのtrend一位だし」と歌った。
これも、この歌の流行に追加燃料を投入した。つまり、この歌は、「中国」を諷刺する画期的な歌だけど、これまで誰も作ってこなかったというのは、無意識に自己規制していたということで、やはりそこには「マズイんじゃないか」という不安が有った。この歌手のIGは、そこに適切な補足説明を加えることになった。実際、何の問題も無いんだよ、ということを高らかに歌ったのである。但し、この歌の作者はマレーシア人、歌手はオーストラリア人で、人種的には中国系であり、中国語で歌ってはいるけれど、「中国」との距離は台湾人よりも遠い。「中国」だけが世界ではない、ということだろう。いずれにしても、この歌は5日で1000万回という早いスピードで再生が繰り返されている。
初めは、「中国」諷刺のスゴイ歌だ、ということで大いに話題にされたが、二三日経つと、社会背景を解説する人も出てきた。歴史的に考えてみようか、ということだ。この一、二年の情勢の変化は、やはり凄まじい。まず、五十年は独自の体制が維持されるはずの香港が、完全に共産党統治下に組み込まれてしまった。一方で、欧米諸国が台湾との関係強化を進めている。政治問題に関する制裁・報復の意味合いで、台湾のパイナップルやオーストラリアの石炭の輸入を突然ストップするといった事件も有った。ところが、最大の輸出相手国であった中国から締め出される形となったオーストラリアは、輸出先を他国に変えたことでより大くの利益を上げる結果となり、逆に中国は燃料不足に苦しんでいる。Pompeo演説が象徴したアメリカの方針転換は、この一年で経済状況を大きく変えてきている。その影響で、本来中国国内が抱えていた各種の政治・経済の問題がじわじわ噴出してきている。今年になっては、政治家ばかりでなく、大企業家も有名芸能人も政権の攻撃目標とされるようになっており、いくら政権に恭順を尽くした所で、切られる時は切られるという事がはっきりしてきた。10月21日には、ピアニストの李雲迪(ユンディ・リ)が「買春」で挙げられたというニュースも流れた。李雲迪は日本でもそれなりに名が知られていると思うが、彼も共産党の各種宣伝活動に協力してきており、別に反体制派でも何でもない。『孟子』が「趙孟の貴とする所、趙孟は能くそれを賤とす」と言ったように、権力者から与えられる特権は、権力者がそれを奪うことも同様に可能だ。というわけで、「中国」はあまりにも暴力的だという意識と、「中国」は避けて通れるという意識が、徐々に形成されてきている所に、うまく乗ったのがこの歌だ、と見ることもできる。この流れは、日本のバブル経済が崩壊した後に、「ジャパン・パッシング」という言い方が流行ったことも連想させる。

封鎖されたアカウント

儒家の政治思想は上から下への教化を基本とし、礼や楽によって人々に秩序有る平和な社会を実現させようとする。二千数百年来、中国に民主的な議論による政治は実現したことがない。民意は、預言や民謡として現れ、暴動や革命として爆発した。革命にまでは至らないという場合、王朝中枢における権力闘争で権力者が入れ替わり、政策も変化する、ということも有った。いずれにしても、政権中央の権威は冒されてはならないということになっており、それが冒されれば権力が維持できなくなると考えられている。中国国内では誰であっても中国の政治秩序から逃れられないから、『Fragile』の作者や歌手は、今後中国には行かないということになるだろう。しかし、国家権力が外国で話す人々の口まで封じることはできない。そして、中国語を話す非「中国」国民は、今や世界中に数多い。
確かに、現在の中国は非常に大きな問題を抱えている。その一方で、中国の政治力の強さは、環境問題などでは大きな成果を挙げている。例えば、最近話題の意図的な予告なしの大規模停電。背景に、燃料不足などの問題が有るとされるが、CO2排出規制も一つの大きな原因だろうと思われる。上が数値目標を出して規制しろと命じれば、地方政府は競ってその要求を満足させようとする。突然の全面停電といった、民衆生活にとって非常に大きな負担を強いる方法が採られるが、結果としてCO2排出規制は実現されることになる。又例えば、日本を含む「先進国」は「リサイクル」と称して、処理の難しい廃プラスチックを中国に輸出していたが、中国はその禁止を実現した。現在、それらの廃プラスチックは東南アジアなどの国々に輸出されているという。
CO2や廃プラスチックのような問題を考えるのは、西洋人だ。現在の社会には問題が有り、それは変革しなければうまく行かない、という議論が起こってくる。中国の一般の人々は、自分たちがそのような問題を考えることに何の意味も見出さないが、中国の政権は、外国との関係で自分たちの優位性を保とうと考えるから、環境問題にも積極関与しようとする。ヨーロッパとも中国とも違う日本の政治制度では、現状維持への傾向が非常に強く、内発的に省エネやCO2排出規制やプラスチック規制を実現することは極めて困難であろう。
私は確か中学校で、ローマクラブの『成長の限界』という話を教えられた。石油は枯渇する、ゴミの埋め立て地が一杯になる、といった話が当時は割と真剣に語られていたように思う。その後四十年、石油の枯渇は何時のことか分からず、ゴミの問題は殆ど聞かれなくなっている。しかし、化石燃料の枯渇は必然だろうし、CO2増加や核汚染は確実に進行している。ゴミも、現在東京では日ノ出町などに埋めているらしいが、ゴミが減る訳ではないから、いずれゴミと共存せざるを得なくなる。こういう問題は、個人では何もできない。そこに、政治が必要になる。しかし、我々は議論によって政治を組織する文化を持っていない。首相は国民との対話を拒否し、外交も自国の主張を繰り返すだけで、その点は中国に近い。それでいて、中国のように国家を私物化している政権が、政権維持の為に必死に行政を進めるのでもない。結局、外力で強制される以外、大きな変革は起こらないように思う。安定という長所は大きいが、問題解決能力を欠いて致命的危機を招く社会だ。環境問題や外交問題、人権問題などについては、国内の利害関係者間の調整という現在の政治方式では、どうしても上手くいくはずがない。何か別の仕組みが必要だと思う。

(2021/11/15)

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橋本秀美(Hidemi Hashimoto)
1966年福島県生まれ。東京大学中国哲学専攻卒、北京大学古典文献専攻博士。東京大学東洋文化研究所助教授、北京大学歴史学系副教授、教授を経て、現在青山学院大学国際政治経済学部教授。著書は『学術史読書記』『文献学読書記』(三聯書店)、編書は『影印越刊八行本礼記正義』(北京大出版社)、訳書は『正史宋元版之研究』(中華書局)など。