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ブルーノ・ジネール オペラ『シャルリー~茶色の朝』|齋藤俊夫

ブルーノ・ジネール オペラ『シャルリー~茶色の朝』
Bruno GINER “Charlie” Opéra de poche d’après la nouvelle “Matin brun” de Franck Pavloff

2021年10月30日 神奈川県立音楽堂
2021/10/30 Kanagawa Prefectural Music Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演>        →foreign language
アンサンブルK
  ソプラノ:アデール・カルリエ
  ヴァイオリン:エロディ・ハース
  クラリネット:グザヴィエ・フェルタン
  チェロ:マリー・ヴィアール
  ピアノ:セバスチャン・デュブール
  パーカッション:グレゴリー・マサット

第I部 「禁じられた音楽」による室内楽コンサート
ベルトルト・ブレヒト/クルト・ヴァイル:『三文オペラ』より「メッキー・メッサーの哀歌」
  Vn, Cl, Vc, Pf, Perc
モーリス・マーグル/クルト・ヴァイル:『セーヌ哀歌』
  Vo, Vn, Cl, Vc, Pf
ロジェ・フェルネ/クルト・ヴァイル:『ユーカリ』
  Vo, Vn, Cl, Vc, Pf, Perc
ベルトルト・ブレヒト/クルト・ヴァイル:『三文オペラ』より「大砲ソング」
  Vo, Vn, Cl, Vc, Pf, Perc
アルヴィン・シュルホフ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏より第2楽章 ジンガレスカ
  Vn, Vc
パウル・デッサウ:『ゲルニカ~ピカソに捧げる』
  Pf
ブルーノ・ジネール:『パウル・デッサウの”ゲルニカ”のためのパラフレーズ』(日本初演)
  Cl, Vc, Pf, Perc

第II部 オペラ『シャルリー』
作曲:ブルーノ・ジネール~フランク・パヴロフの『茶色の朝』にもとづくポケット・オペラ(日本初演)

演出、美術:クリスチャン・レッツ
照明デザイン、技術監督:アントニー・オーベリクス
演奏・出演:アンサンブルK

III部 ブルーノ・ジネールとのトークセッション
パネリスト(10/30):やなぎみわ、ブルーノ・ジネール(オンライン出演)

 

筆者にとって身近な人が自分たちをして「下々の者」と称するのにイラつき、かつ不安を覚え、でも咎めもしない自分がここにいる。その人が自分の生活に満足しており、「お上」に逆らうよりも下々の者としての今の生活を守ることに満足していることを知っているから。たとえ大きなものを失っても小さな下々の生活を守るであろうことがわかっているから。今回のオペラ『シャルリー』を鑑賞しても、原作の『茶色の朝』を読んでもその人は何も変えよう、変わろうとしないことがわかりきっているから。そんな自分もまた「茶色」に逆らおうとしない人間の1人なのだろう。

今回の企画は第1部:「禁じられた音楽」による室内楽コンサート、第2部:ブルーノ・ジネールのオペラ『シャルリー』、第3部:ブルーノ・ジネールとのトークセッション(30日はやなぎみわとジネール(オンライン)による)という構成を取っていた。

第1部ではナチによって「頽廃音楽」とされた小品が並べられた。
ヴァイルのエロティックですらある健康美と力に溢れた音楽、シュルホフのヴァイオリンとチェロが丁々発止のやり取りをする民俗舞曲的な音楽。これらの作品は「頽廃」などという形容詞とはおよそ程遠い生気に溢れた音楽に聴こえた。最後のデッサウはピアノが無調的だが語りかけてくるような、怒りと悲しみに満ちた作品。そこから内部奏法グリッサンドでジネールの『”ゲルニカ”のためのパラフレーズ』が続く。怒りを隠さず、甲高い響きが続くが、最後は皆どこかへと遠ざかって行き、チェロのハーモニクスがかき消えて、了。
フーコーは、権力が「非行」だと何かを認定することは、その非行的とされたもの自体に害悪があるからではなく、それを非行だと認定することによって、権力によって非行とされるものが社会にはあると民衆に知らしめ、民衆に権力側の視線を内面化させるための手段だと論じた。「頽廃音楽」というものはまさにこの「非行」的な音楽だったと言えるのではないだろうか。

そして今回のメインであるブルーノ・ジネールのオペラ『シャルリー』である。
粗筋はフランク・パヴロフの原作『茶色の朝』をほぼ忠実になぞっていた。

ある国で、「茶色の犬以外は飼ってはならない」という法律が施行される。既に猫は同様の法律で茶色以外禁じられていたのだが、語り手とその友人シャルリーは法律通り茶色ではない犬と猫を殺処分する。
やがて「茶色新報」以外の新聞は全て発禁となる。語り手とシャルリーは仕方がないと「茶色新報」を買うことにする。
2人は茶色の犬と猫を飼い、それなりに楽しく日常を暮らす。
しかし、「前に茶色以外の犬猫を飼っていた」ことも犯罪とされ、シャルリーは逮捕される。
朝早く、語り手宅のドアを叩く音がする……。

冒頭、真っ暗な舞台上で主人公・語り手(役としては男性だがソプラノ歌手によって演じられる)が聴き取れないほど小さな声でささやくのは「茶色の社会」になるのを看過してしまったことへの後悔。つまり劇の時系列から外れた、劇の終わり以後の言葉。そこから、社会が「茶色」に染まり始めた頃に戻ってオペラの本筋は始まる。
「日常的」な音楽を「不穏」な音楽が侵していく器楽5人(彼らが役を演じる箇所もある)の演奏は、ソプラノのいる前景と幕を挟んでの後景で行われる。茶色の法律がどのように決定され施行されているのかが不可視の領域にあり、また後景の者たちが前景のソプラノには見えないように彼女を監視している、という演出と筆者は捉えた。
約45分間、一分の隙もなく緊密に作曲された歌と器楽中で特に筆者が見事と思ったのは、主人公・語り手とシャルリー(彼は主人公・語り手の台詞内でだけ登場する)が茶色になった日常でそれなりに楽しく過ごしている場面で流れる「茶色の安心のバラード」ののどかな様と、このバラードの反対の極にあるような「法律に反する犬猫への哀歌」の耳にするのも恐ろしい様である。
このオペラ『シャルリー』及び原作『茶色の朝』の主題は、抵抗すべき時、抵抗すべきモノに抵抗せず、不自由・権利の侵害はありつつも人々がそれなりに楽しく日常を過ごし続けることによって最終的に全体主義が完成する、というものである。「茶色の安心のバラード」ののどかさはこの日本国、そして(筆者を含めた)日本のマジョリティが〈今〉感じているものであり、「法律に反する犬猫への哀歌」の恐ろしさは日本の(今の所は)マイノリティが感じているものではないだろうか。
オペラは主人公・語り手が馬のようなお面をつけた2人に幕の向こうに連行されて終わる。これは、近い未来の日本、近い未来の自分たちではないだろうか。10年に渡る自民党政権、さらに遡れば2000年の00年代からゆっくりと「茶色」になってきているのにそれなりに楽しく日常を過ごしている我々が置かれている状況にあまりにも酷似している。何かをする、声を挙げる、それだけで変人と見なされ、冷淡な嘲笑・軽蔑の目で見られるこの日本で本作のメッセージはどこまで届くのだろうか。大きな拍手の中で筆者は自分自身を含めこの国について考えざるを得なかった。フーコーのいないこの国で、我々は連帯して「非行」を貫くことができるのだろうか、と。

第3部のトークセッションで心に響いたジネールの言葉を幾つか挙げてこの稿を終わりとしたい。

「芸術は常に政治・社会とつながっている」
「原テクストにもある「普通の日常」の中で、不正を少しずつ妥協して受け入れ続けることによって最後には取り返しのつかない事態に陥る」
「1920年代、亡命の時代のコンパクトなオペラの形式は大きなオペラよりも作曲・劇作が難しい」
「芸術家が抵抗をやめたならばそれは芸術家の終わりである」
「我々全員にとって赤、青、黄色、緑、様々な色の朝が来るように我々全員が動かねばならない」

関連評:ブルーノ・ジネール : オペラ《シャルリー ~ 茶色の朝》|大田美佐子

(2021/11/15)


<players>
Ensemble K
  Soprano: Adèle Carlier
  Violin:Elodie Haas
  Clarinet: Xavière Fertin
  Cello : Marie Viard
  Piano: Sébastien Dubourg
  Percussion: Grégory Massat

Part I Chamber Music Concert by Forbidden Music

Bertolt Brecht / Kurt Weil: Complainte de Mackie Messer de l’Opéra de Quat’sous (1928)
 Vn, Cl,Vc, Pf, Perc
Maurice Magre / Kurt Weil: Complainte de la Seine (1934) Transcription by Sébastien Dubourg
 Vo, Vn, Cl, Vc, Pf
Roger Fernay / Kurt Weil: Youkali (1935) Transcription by Sébastien Dubourg
 Vo,Vn,Cl,Vc,Pf,Perc
Bertolt Brecht / Kurt Weil:Kanonen-Song l’Opéra de Quat’sous (1928) Transcription by Sébastien Dubourg
 Vo,Vn,Cl,Vc,Pf,Perc
Erwin Schulhoff: Duo pour violin et violoncelle (1925) 2ème mvt<Zingaresca>
 Vn, Vc
Paul Dessau: <Guernica> nach Picasso pour piano (1937)
 Pf
Bruno Giner: Paraphrase sur “Guernica” de Paul Dessau (2006) Japan premiere
 Cl, Vc, Pf, Perc

Part II Bruno Giner: Charlie d’après la nouvelle “Matin brun” de Frank Pavloff (2007) Japan premiere

Players: Emsenble K
Director, Set designer: Christian Rätz
Lighting designer, Technical director: Anthony Auberix

Part III Talk Session with Bruno Giner
<panelist>
(10/30) Miwa Yanagi
(online)Bruno Giner