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パリ・東京雑感|アフガニスタンの失敗から米国は学んだのか?|松浦茂長

アフガニスタンの失敗から米国は学んだのか?
The Dangerous Politics of “We will Not Forgive” 

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura) 

 不思議でならなかったのは、タリバンがなぜあれほど静かにカブールに入れたかだ。激しい戦闘の報道はなく、「無血入城」と言っても大げさではないだろう。その数週間前から、地方の町が次々とタリバンの手に落ちた、それも政府軍が武器弾薬を置いて出ていったと言う報道が伝わってきたタリバンは町の長老に「無駄な血を流させないで」と説得攻勢をかけ、政府軍が武器を置き土産に立ち去る。あまりにも静かに、タリバンへの寝返りが広がったので、CIAもカブール陥落の時期を見誤ったのだろう。 

米代表と会談するタリバン指導者(2020年11月)

それにしてもなぜ?何が起こっていたのか
アフガニスタンの田舎からの報道が入るにつれ、少しその謎が解けた気がする。ニューヨークタイムズの記事によると、8月半ばタリバン支配が決まって以来、アフガニスタンの地方では銃声が止み、タリバンの検問所もなくなった。
チャクワルダクという町の地区役場には新任のタリバン警察署長がクッションの効いたイスにゆったりと座り、カラシニコフを無造作に置いたデスク越しに、住民の訴えを聞いている。
――「私の娘と結婚した男は、妻がいるのを隠していました。でも娘は二人目の妻でも構わない。幸せよと言っていたのですが、夫にたびたび殴られたあげく、脚を刺されました。
――(署長)「私たちに任せなさい。すぐやります」
役所の近くで小型トラックに干し草を積んでいた男は
――「以前ここは治安が悪かった。軍はひどかったよ。なぐられてこき使われた。以前は外に出ると撃たれたけれど、いまは安心して仕事に出られる。銃声がしなくなったのは何年ぶりだろう。
丘の上の農民は
――「もちろんタリバンも腐敗している。でも軍とは比較にならない。政府軍の奴らはトラックでモノを運ぶと金を要求したし、髭を長く伸ばした男はタリバンとみなされて(タリバンは髭の長さとパンタロンの丈をムハンマドと同じにしなければならないひどい目にあった。
町にはドイツ人女性が立てた病院がある。医師のラヒミさんは
――「この22年間で紛争の負傷者が一人も運び込まれないのは初めてです。政府軍の兵士もタリバンも治療してきましたけれど、特に問題は起こらなかったですよ。」
65人の病院スタッフの内14人が女性。タリバンは女性患者を診るために女性が働くのを認めている。
 

ようやく日常らしきものが戻り、ほっと一息ついた――住民はそんな気持でいるようだ。
ロシアでKGBあがりのプーチンが大統領に選ばれたとき、ゴルバチョフ、エリツィンの改革を熱烈に支持したロシア人女性作家に感想を聞いたら「外出が怖くなくなりました。昔のモスクワは女性が夜一人で歩ける町だったのに、ソ連が崩壊して、ニューヨークより怖い町になっていたでしょう。プーチンのおかげで良くなりましたよ」と、喜んでいるのでびっくりした安心・安全さえ与えてくれるなら、多少の強権・不自由には目をつぶるあきらめの境地だ日本みたいに治安の良い国にいると、その切実さが想像できない。
タリバンがアフガニスタンの村人の心をとらえたのはこれだ。銃声のない日常が取り戻せたら」――この夢をタリバンがかなえてくれたのである
 

問題は、タリバンにこの難しい国を治める能力があるかだ。タリバンとはアラビア語で「学生」パキスタンの同じ神学校で学んだ神学生の運動であるイスラム法学には詳しいかも知れないが、科学や国際関係にはうとい。
同じように農村に根を張ったゲリラでも、毛沢東の「赤匪」には周恩来のような日本、フランスに留学した秀才がいたし、毛沢東自身も読書家だった。ベトナムのホー・チ・ミンも若いころ外国暮らしを経験している。
ひげ面の神学生集団がどこかから賢い人材を見つけ出し、仲間に引き入れるだけの度量があるか、世界は固唾を呑んで見守っている。
 

もう一つ不思議なのは、アメリカという国は軍事力で他所の国を思うように改造しようとして、ベトナムでも、レバノンでも、イラクでも毎回失敗しているのになぜ懲りずに同じ過ちを繰り返すのかだ。

西部劇の古典、ジョンフォード監督の『駅馬車』

軍が大きすぎるのかも知れない。約80兆円、日本の国家予算に迫る軍事費を使い、膨大な人材を抱えているので、何か海外でプロジェクトとなるとまず軍を動かすのが手っ取り早いどこかの国の行政支援のため役人を訓練するといった仕事にまで普通の官僚を送り込む代わりに軍人が派遣されがち軍ほど豊かな人的物的資源を持つ部門は他にないからだ。

日本やヨーロッパが「古事記」のような英雄叙事詩時代に経験した血みどろの戦いを、アメリカは近代になって経験した。インディアンとの「英雄的」な戦い西部劇=叙事詩時代だ。(もちろん白人にとっての英雄叙事詩だが)。もしかしたら、アメリカ人は英雄叙事詩時代の余韻の中で、フィリピンを征服し、日本を空襲し、ベトナムを空爆したのでは?アジア人の敵は、しばしばネイティブ・アメリカンになぞらえて語られたし、ビン・ラディン殺害作戦にはジェロニモという暗号が付けられた。舞台は世界に広がり、武器はモダンになったもののアメリカの戦いには西部劇時代の野蛮が息づいているようだ。
 

テキサス大学のジェレミ・スリ教授は軍事力による民主主義の押しつけは、実りがないだけでなく、アメリカの民主主義をも退廃させると指摘する。
 

20年間アメリカが莫大な金を掛けて支えてきたアフガニスタン政権が崩壊したのは、長い失敗物語の一コマに過ぎない。アフガニスタンの戦闘は、たんに介入の失敗例であるだけではなく、軍事的覇権がどれほどアメリカの利益を損なうかを示す明々白々の証拠である。軍事的覇権は勝利よりも敗北をもたらし、アメリカ国内外で民主主義の基盤をむしばむ結果になった 

米軍の攻撃を受け42人が犠牲になった『国境なき医師団』の病院(写真は国境なき医師団提供)

アフガニスタンではこの20年間に女性が学校に行き外に出て働けるようになったのだから、民主主義への功績はあったに違いないのだが、ごく普通の市民、子供でさえいつ誤爆や射撃で命を奪われるか分からない20年間だった8月末アメリカのNGOで人道的活動をしていたアフガニスタン人スタッフが米軍ドローンで殺され子供7人も巻き添えになったし、2015年には国境なき医師団の病院が米軍に空爆され42人が死んだ。)軍事力によってかろうじて支えられた「民主主義」は、基盤からしてむしばまれ、もろかったとスリ教授は考えるのだろう
スリ教授は「アメリカ国内外で」というが、国内でも民主主義がむしばまれたとはどういうことだろう。
ジャーナリストのスペンサー・アッカーマンは、9/11が1/6を生んだという。今年1月、大統領選挙に勝ったのはトランプだと信じる人々が、連邦議会に乱入したのは、もとをただせば、アルカイダによる同時多発テロ以降の対テロ戦争に原因がある。復讐と正義の追求は憎しみと冷酷に変わり、一国民全体への報復を願うようになる。アフガニスタンの罪なき国民と本当の敵との区別が見えなくなる。テロリストを絶滅しろ」のスローガンが「イスラムをやっつけろ」「アラブ人を追い払え」に拡張され一部の白人アメリカ人はいつか自分を反テロの戦士と思い込む習性が身についてしまった。悪と闘う正義の側に自分を置き、問答無用でやっつける。本当は議会を襲った自分達こそテロリストなのだが、彼らの善悪二元論の図式には、相手の意見に耳を傾けるとか、自由の尊重とか、民主主義のイロハが入り込む余地はない。
 

ニューヨークタイムズのコラムニスト、トマス・フリードマンに言わせると、ミイラ取りがミイラになってしまった。つまり、アメリカはイスラムの国々を民主化しようとしたのに、かえってアメリカ自体が民主主義とかけ離れた分断・対立の国に変質してしまったと言うのだ。
 

1000年後のある日、考古学者が遺跡を発掘して首をひねるに違いない。アメリカと呼ばれる大国が、中東を自分の国に似せて改造しようと企て、法の支配と多元主義を持ち込もうと奮闘したが、逆に、アメリカ自身が中東世界の最悪のトライバリズム部族主義を模倣し、国政を前代未聞の無法状態に陥れてしまった。一体全体なぜこんなことが起こりえたのだろうと。
中東の人々は彼らの大部族を「シーア派「スンニ派」と呼ぶだろうし、アメリカ人は彼らの大部族を「民主党」「共和党」と呼ぶだろうが、各々の部族はますます頑なに凝り固まり、「我々」と「彼ら」は不倶戴天の敵として対峙し続ける。
 

バイデン大統領は、カブール空港爆破で13人のアメリカ軍人と60人のアフガニスタン人の命を奪ったISのテロリストに対し、「我々は許さない。我々は忘れない。お前達を追い詰め、報いを与える」と誓った悪に対し正義を求め、敵の死を約束するのが米国大統領の習いとなっているが、聖書学のエザウ・マコーリー教授は、大胆な方向転換を提唱する。
 

憎悪に対し、赦しを、更に愛をもって立ち向かう。惨事が引き起こされたとき、テロを生む土壌である絶望との戦いを宣言してはどうか?難民救済の援助を思い切って増やしてはどうか?テロ組織が戦士を募っているその場所で、私たちは権利を奪われた人々を心に掛けていることを分からせることが出来る。アメリカは、惨めな境遇に置かれた人々の敵ではなく、彼らの友であることを見せることが出来る。
米国国内で黒人が残虐な仕打ちを受けたとき、ただちに自制と赦しを呼びかける声が上がる私たちは、不正を犯した側を痛めつけたところで解決にはならないと考える。このロジックを世界に拡張しようではないか。海外で惨事が起きたとき、なぜ同じように自制を呼びかけることが出来ないのだろうか?
 

そう、確かに中村哲さんのやったような仕事こそテロを生む土壌を減らすことにつながるだろう。しかし、アメリカが徹底報復主義から赦しと愛の精神に移る可能性はあるのだろうかマコーリー教授はこの提案について、「表面的には正当化出来そうもない提案」と前置きしている。うわべは非現実的な理想論に見えるしかし実際のところ、これが唯一実効性のある現実的なテロ対策ではないか?

アフガニスタンで医療、灌漑の人道支援をした中村哲さん 

(2021/10/15)